織姫伝説!クレハトリ&アヤハトリ姉妹「伊居太神社/呉服神社」秦氏と東漢氏【大阪キタシリーズ/北摂シリーズ/大阪北摂シリーズ】
池田市は「伊居太(いけだ)」から来ているようだ。池田市には古代から中世にかけて「秦上郷(はたのかみのごう)」、「秦下郷(はたのしものごう)」という地名があり、渡来系氏族で養蚕・機織に従事した秦氏が住んでいた場所。
一説には、秦氏と並ぶ渡来系氏族の東漢氏(私のNOTE)の居住地でもあったとも。本NOTEのキーマン・阿知使主は渡来系氏族・東漢氏の祖と言われているからだろうか。秦氏も東漢氏もどちらも同じような時代に日本に移り住み様々な技術をもたらした有力氏族だろうから説得力はある。秦氏と東漢氏が仲良くした時代の地なのかもしれない。秦氏と東漢氏ゆかりの神社仏閣を数点ほど挙げておき、神社紹介とする。
秦氏
東漢氏
池田駅側にある呉服神社が「下の宮」とされるのに対し、五月山山麓にある伊居太神社は「上の宮」とされ、互いの関係はとても深いので1本書きです。
織姫伝承の場所は池田市観光協会と池田市のPDFがオススメ。織姫コースがあるようです。そして、この阪急宝塚線には梅田方面に服部駅もあり、広域でスサノオ、熊野の繋がりを感じる場所が多いことを記しておく。
本NOTEを参拝するなら「星の宮」と「猪名津彦社」はセットで行くべき。機織の工房があったのが「星の宮」で、ここに機織を連れてきたのが「猪名津彦社」である。NOTEは翌日以降に公開していく。
変更履歴
2025/11/09:初版
▼見どころ
▽伊居太神社と呉服神社
伊居太神社は穴織姫ことアヤハトリで、呉服神社が呉服姫ことクレハトリ
池田駅側にある呉服神社が「下の宮」とされるのに対し、五月山山麓にある伊居太神社は「上の宮」とされ、互いの関係はとても深い
『日本書紀』に見える呉国からの技術の伝来の奇祭と神社の由緒などから発祥を結びつけるものが多い
中国から渡来して機織・縫製の技術の普及に功績があった縫工女の4人中2人を祀っている
阿知使主一行と織姫達は、「呉服姫(クレハトリノヒメ)」「穴織姫(アヤハトリノヒメ)」「兄媛(エヒメ)」「弟媛(オトヒメ)」の4姉妹である(『日本書紀』より)
呉服姫・穴織姫は、現在の九州宗像大社あたりから、兵庫の尼崎から西宮の一帯である摂津国武庫浦に帰り着くが、その地で応神天皇崩御の知らせを受け、船をそのまま猪名の海に乗り入れ、猪名川にある唐船渕に上陸する
先ず九州の筑紫潟に着き、筑紫・宗像明神のお望みで兄媛は留まる(福岡県福津市:縫殿神社)
他の三媛は海路で兵庫・西宮に着く
最終、クレハトリとアヤハトリがこの地域に祀られる
尼崎市にも「伊居太神社」がある
本NOTEの池田市にある「伊居太神社」は伊丹にあった説もある
弟媛の最終地は不明だが、私がは京都の秦氏の大酒神社(私のNOTE)に祀られているのを知っている
織女らが亡くなったとき、クレハトリは「姫室」、アヤハトリは「梅室」に葬られた
その墳墓はかつて阪急池田駅付近にあったようだが、現在の阪急電鉄の開通の際に、姫室は伊居太神社境内に、梅室は呉服神社境内に遷した
(というのもあって、NOTEを1本で書く背景の1つ)姫室は「秘め室」、梅室は「埋め室」という意味の名称ではないかと池田町史には書かれているようだ
また神仏習合時代の穴織姫神像と呉服姫神像が残っている
「穴織」は伊居太神社、「呉織」は「呉服神社」に祀る
伊居太神社と呉服神社に塚がある
伊居太神社は「秦上社伊居太神社」だったので秦氏とも
伊居太神社の神主河村氏は長らく秦姓を名乗り、1693年には「穴織宮神主采女正秦定直」、1640年の「河村三右衛門秦定年」、1824年の「河村安芸守秦定正」などの史料の記録が残っているようだ
なお、伊居太神社の摂社・末社より坂上氏も関係している地であるので、もしかして、上の宮・伊居太神社は秦氏で、下社・呉服神社は坂上氏なのかもしれない
この地の秦氏は、応神天皇時代に新羅から武庫に遣わされた造船・木工の技術集団「猪名部」が秦氏になっていくのではないか説がある。また、葛城から南山城・岡田鴨そして摂津・鴨君と共に、秦氏がこの地に来た説があるよう
また、猪名川の呼称は、応神天皇の時に猪名部たちが暮らす村を流れる川に由来し、猪名部とは応神天皇の船を誤って延焼させたお詫びに新羅から送られた船匠の集団らしい
姉・クレハと妹・アヤハの漫画と動画をどうぞ!


やっぱ秦氏なのかな~。秦氏の氏社である京都・大酒神社(私のNOTE)の祭神にいるんですよね~。祭神・秦の始皇帝が表舞台では出てくることが多いのだが。次の写真の通り祀っているんですよね~!!

兄媛(エヒメ)・弟媛(オトヒメ)とあり、括弧書きで漢字は違うが、「呉服姫(クレハトリノヒメ)」「穴織姫(アヤハトリノヒメ)」と思わしき記載がある
▽伊居太神社:大阪府池田市綾羽2丁目4−5
境内に「猪名津彦神社」があり、ここは式内社の爲那都比古神社との説もあるそうです。祭神は「阿知使主」、「都加使主(つかおみ)」と東漢氏の祖が祀られていることから古代葛城王朝に力を与えた東漢氏により製鉄、機織、土器、農耕技術などもこの地域に伝わったのだろう。
→参拝ルート
五月山公園・動物園の駐車場から徒歩で行きましょう。駐車場は1時間300円です。1時間以内なら駐車場無料でした。駐車場からショートカット出来るのですが、私たちが行ったときは無理でした・・・。駐車場から東側の公園と動物園の坂を下っていきます。


→祭神
穴織大明神
→穴織姫(あやはひめ)
→呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫で、4姉妹の次女で呉服媛の妹
※呉服媛は後述の「呉服神社」に続く仁徳天皇
応神天皇
→由緒
地元では「いこた」神社と呼ばれる事があり、別名「穴織(あやは)社」とも
正式名は「穴織宮伊居太神社(あやはぐういけだじんじゃ)」
歴代天皇や皇族などの崇敬の厚い「延喜式内社」
応神天皇の時代に、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された阿知使主と都加使主父子が、呉織・穴織・兄媛・弟媛の4人の縫工女のうち、呉服・穴織姉妹の妹・穴織媛を迎えた
造りは珍しい三社造りで、境内には源頼光お手植えの「頼光松」がある
「織姫伝説」ゆかりの神社であり、織姫が水を汲み色染めした井戸があったとされる場所だそう
313年、仁徳天皇が即位され、阿知使主一族及び織姫は仁徳天皇にお仕えする
現在の池田市付近を領地として賜り、機織・裁縫の技術を広める
389年、穴織姫は亡くなり「姫室」に葬られる
390年、創建
池田市内に現存する最古の神社
天皇の命により、功績を称えられた
「呉織の里(くれはのさと)」と呼ばれていたこの地を「伊居太(いけだ)」と改め、社は「秦上社伊居太神社(はたかみのやしろ いけだじんじゃ)」となる
785年、桓武天皇の勅命により社殿を新たにし、応神天皇、仁徳天皇も祀るようになった
860年、清和天皇勅諚にて社殿を修復
971年、源満仲公(多田神社の祭神。私のNOTE)により再興
1325年、後醍醐天皇より「穴織大明神」の宸筆を賜り、「穴織宮伊居太神社」と名を改める
1339年、足利尊氏により社殿を改造し、神田を寄進される
1578年か1579年、織田信長と荒木村重による有岡城の戦いの戦火に巻き込まれて社殿が焼失
1604年、豊臣秀頼公により改築造営 境内に猪名津彦神社造営
1819年、有栖川宮家の祈願所と定められる
1604年、豊臣秀頼によって本殿が再建
→参道:主祭神の塚/稲荷社/厳島社




社殿の色などからお稲荷さんですね。

次に厳島社ですね。周りは池だったよう。


→参道:猪名津彦社

祭神は「阿知使主」と「都加使主」で織姫をこの地に導いた方「為那都比古大明神」です
為那都比古神社とも呼ばれているとか
為那都比古はこの付近を治めていた豪族説もある。理由は、この神社のすぐ下を流れる「猪名川(いながわ)」が訛ったのではないか説のようだが
為那都比古って風の神・シナツヒコと思ってしまった・・
猪名津彦社は別の場所にもありますので、詳細はそちら(私のNOTEは明後日公開)

爲那都比古大明神由来
使主室と云うのは後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔阿智王都加王の両人を祀る所で延喜式に云う摂津豊島群鎮座の爲那都比古神社である。
日本本書紀に応神天皇20年秋9月阿知使主其子都加使主は部下十七県の人達を連れて我国に帰化し大和国松隈に往居を与えられ同天皇37年春2月両人を勅使として呉国に縫工女を求めしめんとされ呉王より兄媛弟媛烏沙架女、幾利区珥女の四婦女を与へられ同41年春2月阿知使主等呉国よち筑紫に帰着したが胸月形大神の乞に兄媛を差し上げ他の三婦女を伴い摂津武庫に到る時に天皇崩御の報に接し献ずるを得ず後仁徳天皇は居館を豊島郡為那野に造営し羅綾織紐の業を専らにされその功績により此の地を呉服と名付け反正天皇は勅令を持って送り名をされ為那都比古大明神とし之が倭漢直の祖である。
降って允恭天皇の時その子孫忘奴手直に阪上姓を弟奴留間直に拳姓を賜う文化年間に古墳の盗堀がはやり阿知使主の古墳と伝へられた所も其の例に漏れず行なはれ此の所より珠塗の棺の破片入骨の若干を持帰り爲那都比古太明神跡に埋葬し現地に御祀りしたものであります。

祠の前に大量の石が積まれており、阿知使主の墓とされる墳墓から出土した骨が納められているとか・・・。
→境内:大門
随身像が安置されているので随身門だが、公式HPでは「大門」となっている。内側には「だんじり」が保管されているので、そこも注目。




大門内側に「だんじり」やお祭りの説明がありました。


あれ・・・公式HPでは大門だが、山門となっている・・?



→境内:参集殿/源頼光お手植え「頼光松(らいこうまつ)」

「頼光松」は、源頼光が大江山の鬼退治の時に祈願に立ち寄って植えた松なんだそうな。大江山の鬼退治はここから京都の福知山まで伝わる伝承ですね。
関係する神社を紹介しておきます。「多田神社」と元伊勢・福知山「元伊勢外宮豊受大神社/元伊勢内宮皇大神社」ですね。
→拝殿・本殿



1604年に豊臣秀頼により再建。全国唯一の千鳥唐破風寄棟造りの三社造なんだそうな。




祭神は中央に「穴織大明神」で、右に「応神天皇」で、左に「仁徳天皇」である。「穴織大明神」が「穴織姫(あやはひめ)」という女性なので、中央の千木は内削ぎで、両端は外削ぎになるはずだが、すべて外削ぎになっているのは、なぜだろうか??実は、後述する「呉服神社」も、千木ルール問題(女神は内削ぎ。男神は外削ぎ)がある。



→摂社・末社:両皇大神宮/松尾社/国常立尊社/住吉社
社殿の右に境内社が鎮座している。本殿殿並びに「両皇大神宮」で、石段の上の覆屋に三棟の境内社「松尾社」「国常立尊社」「住吉社」がある。
まずは「両皇大神宮」で、「豊受皇太神宮」と「天照皇太神宮」の相殿で、「伊勢社」とも呼ばれているよう。


次に「松尾社」「国常立尊社」「住吉社」になります。
左に「松尾社」ですね。地名なども含めて秦氏が腰を下ろした地で良いでしょう。





→境内と本殿の写真









最後に、境内には観音堂があった。本尊は十一面観音像が安置されており、栄本町に移転したようだ。
→メディア情報
▽呉服神社:大阪府池田市室町7−4
日本書紀にある「呉織・穴織伝承」を受け継ぐ神社。呉服と書いて「くれは」と読む。応神天皇の時代に呉から日本に渡ってきた工匠のうち、呉織(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)姉妹がこの地に住みつき、機織・裁縫の技術を伝えたとされる。その後、「呉服」という言葉は「ごふく」として日本に定着。
→由緒
創建までの話は、前述にあるので、創建後の話を中心にする。
呉服神社は「くれはじんじゃ」と読み、祭神・呉服は「クレハトリ」と読む
古事記には「呉服」、日本書紀には「呉織」とある
「くれは」という言葉は「呉(くれ)服(はとり)」が訛った説などがある
私見だが、最近は訛ったのではなくて、神様と同じ呼び方は失礼なので、意図的に読みを変えている気がする(貴船神社は「きふね」で住所は「きぶね」など)
祭神は呉服大明神と仁徳天皇で、呉服大明神は「呉服(クレハトリ)」
「呉服大明神」は「呉服(クレハトリ)」で、仁徳天皇の時代に、139歳で亡くなったといわれている(現在は1年は365日だが、当時は半分だったとも。つまり69.5歳かも)
絹布類を指す「呉服(ごふく)」の発祥地とも言われ。現在も服飾関係者の信仰を集めている
毎年1月の十日戒には多くの人が訪れる
仁徳天皇はその功績を称えて遺体を室に納め、翌年御神祠が建てられたのが、呉服神社の始まり
池田は河内の渡来氏族・坂上氏が進出した
その最初が、坂上正任(土師太郎)で、自らが開発領主となった池田の地を「呉庭(くれは)」と名付け、呉庭田を中心とする呉庭荘の繁栄の為に総社として天王社を建て、自らその神主となる
この天王社が呉服神社の起源であり、その始祖神として、阿知使主と都加使主、穴織、呉織の他、天王社と称するからには牛頭天王も祀った説がある
1579年、北摂一円を渦中に巻きこんだ伊丹城主荒木村重の乱により本殿始め建物、資料など大半を焼失
1604年、豊臣秀頼が片桐且元を奉公として再建
その後、有栖川宮殿下の御祈願所となりました
→参道
阪急宝塚線の池田駅に沿って北上!!







呉服神社の御縁起
大阪府呉服里池田市にかしこくも鎮座まします。
日本最初「繊維」の祖神呉服大神 の御由緒を左に申述べます。
人第十五代応神天皇 の御代に猪名津彦命を中国の呉の国に遣わし機織裁縫の工匠をお需めになりました。その時久礼波、久礼志の二人を案内役として呉の国に趣き呉王に乞うて呉服 ・綾織・兄媛・弟媛の四人を伴い渡来する事となりました。帰路九州の築紫潟に着きましたが兄媛は胸形明神の御望みにてこの地にお留りになり他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになりましたので猪名の港(今の唐船ヶ渕)に機殿を建て呉服媛をお迎え致しました。呉服の神女は昼夜怠りなく布帛を織り少しも倦み給う事がなかったと申します。この時より機織裁縫染色の技術が我国に伝わり男女寒暑の服装の別が定まりました。尚四季には上妙の衣服を天子に献し下は万民に施されました。
仁徳天皇 の七十六年(385)九月十八日呉服の大神は御齢百三十九才という人生に倍する御長寿を以てお隠れになり、その御遺体を今にその跡を残す梅室、姫室にお納め申し上げました。その年仁徳天皇が勅令を以て御神祠を
お建てになりました。
この大神が糸を様々にお染め分けになった所を添殿井と称しその糸を掛け晒しになりました松を絹掛松と名付けその跡は今も残って居ります大神の御託宣に「我は衣服の神となり人をして寒暑の憂なく養蚕機織絹布裁縫の道を守護し且つ船路遙かにこの日本に帰化せし故海上の難おも無からしめん」とあります。代々の帝殊に崇敬篤く、円融天皇 御代には鎮守府将軍源満仲 公が社祠を修復、又下って御陽成天皇の御代には豊臣秀頼公が片桐且元を奉行に命じて再建の事があり、文政二年には有栖川宮殿下の御祈願所となりました。近年になって昭和四十四年、新拝殿の御造営が相なりました。
因みに呉服大神の御名は後醍醐天皇 より賜りました御宸翰より起り、又これにより、我国にて絹布の類をすべて「呉服」と称する事となりました。
省みまするに五穀を作るすべを授け万民に飢餓の憂の無い事は天照大神の
御神徳であると等しく機織裁縫の道を教えて寒暑の憂なきはこの大神の御遺徳に他ならずと信じます。この故を以て衣服の業に従い並びにその産物を商うものはおしなべてその祖神なる呉服大神を崇敬すべき事は論を俟たぬ事であり、古来より健康長寿家業繁栄、文化、経済手芸上達り神徳があるといわれています。

→境内へ


→拝殿・本殿






拝殿内部には、狩野派の絵師・桃田伊信の4面の杉戸絵がある。
現在の朱色の拝殿は大阪万博に建替工事されたもので、拝殿正面左右のステンドグラスはこの時に設置された。

呉服神社の見どころの1つが拝殿の桐竹と鳳凰のステンドグラス。神社に西洋風のステンドグラスは初めて見ました。妻は気づかず、2024年11月の参拝日は寒かったので拝殿の暖房から外に出てくる温風に感動していた!?



本殿は、1604年に豊臣秀頼により再建したもの。













→本殿左の「天満宮」
現・阪急電鉄であるが、当時の箕面有馬電気軌道を設立するにあたり、軌道敷設にあっで遷座した。元々は池田駅にあったようだ。





→天満宮奥の「姫室の道」


社務所に声を掛けましょう。
石碑の裏には大正時代に建てられた事が刻まれている
阪急池田駅の建設の際に姫室、梅室と呼ばれていた古墳から人骨や鏡が発見され、こちらに遷されて建てられたもの
伊居太神社に「姫室」の石碑が有り対になっている認識

→本殿裏の磐座/摂社・末社「伊勢神宮」「稲荷神社」

次の伊勢神社横に、岩石がある。詳細は不明です。

多分、伊勢神宮ですね。祭神は、アマテラスと豐受大神です。社殿と鳥居も神明なのであっているでしょう。



→六神社

小さな社殿が6社あり、神社名はなく祀られている神様が書かれている。神様は次の通りで、せっかくなので本宮を記しておきます。
市杵島姫命(イチキシマヒメ):宗像大社(私のNOTE)
大物主命(オオモノヌシ):大神神社(私のNOTE)
大国主命(オオクニヌシノミコト):出雲大社(私のNOTE)
国常立命(クニトコタチ):不二阿祖山太神宮







祓戸神社です。穢れを流すので、神社入口に鎮座するところが多い認識だが、なぜここなんだろうか・・。そして社殿のガードが凄い・・。


→本殿裏の摂社・末社「恵比寿社」
西国七福神のひとつ「恵比寿神」の神社。恵比寿様は耳が悪いので、本殿左右から願うようにしている神社がありますが、ここもその一つです。
祭神はコトシロヌシですね。神社の成り立ちなどから、出雲・美保神社(私のNOTE)のコトシロヌシではなく、兵庫・西宮神社(私のNOTE)のヒルコかな~と思っていたのですが。








やっぱ小槌あるので、3回たたいて願いを伝えた。


西国七福神集印めぐりがあるようですが、まだまだだな。。
明示的にエビス様は耳が悪い説を取っている神社を詳細しておきます。
→メディア情報
▽呉服神社:大阪府池田市五月丘1丁目10
他力本願です。別のところにもあります。
▼2社のメディア情報など
▼旅行記/セットで行くところ
池田市の紅葉寺!秦氏?織姫姉妹巡り◆大阪キタ⑤|やんまあ@旅行記
▼旅行記
その他の旅行記です。
▼仏像展
----
#織姫
#クレハトリ
#アヤハトリ
#伊居太神社
#呉服神社
#秦氏
#東漢氏
#大阪キタシリーズ
#北摂シリーズ
#大阪北摂シリーズ
#大阪
#池田市
#秦上郷
#秦下郷
#養蚕
#機織
#池田駅
#五月山
#池田市観光協会
#穴織姫
#呉服姫
#日本書紀
#阿知使主
#織姫
#兄媛
#エヒメ
#弟媛
#オトヒメ
#姫室
#梅室
#秘め室
#埋め室
#河村氏
#穴織宮神主采女正秦定直
#河村三右衛門秦定年
#河村安芸守秦定正
#坂上氏
#猪名部
#新羅
#姫室塚
#呉服神社
#仁徳天皇
#応神天皇
#源頼光
#頼光松
#織姫伝説
#呉織の里
#源満仲
#穴織大明神
#穴織宮伊居太神社
#阿知使主
#都加使主
#為那都比古大明神
#聖裔阿智王都加王
#摂津豊島群鎮座
#爲那都比古神社
#穴織大明神
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#人文学
#大阪
#大阪キタ
#大阪キタシリーズ
#北摂シリーズ
#大阪北摂シリーズ
#北摂シリーズ
#秦
#記紀
#古事記
#日本書紀
#旅行・おでかけ
