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パーティーはいつか終わる《4》【#創作大賞2025】

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「潮田さんに今日初めてお見せした僕のタトゥーは、母につけられた”傷”が理由で入れたものなんです」

突然発せられた物騒な言葉とは裏腹に、青羽さんが至って落ち着いた声色でシャツの袖を捲り上げると、普段からあまり日を浴びていなさそうな色白肌の肘関節の上あたりから突如として真っ黒い幾何学模様が顔をのぞかせた。何度見ても見慣れない青羽さんの黒々としたタトゥーに驚愕しつつ、先ほど青羽さんが発した”母につけられた傷”という言葉にも静かな衝撃を感じて、私は口を噤んでいる。

唾を飲んで青羽さんの腕をじっと見つめている私に「長袖のワイシャツを着ていれば隠れる範囲なので、どんなに暑くても僕は会社で半袖を着たことがないんです、潮田さんもしかして気付いていましたか?」と青羽さんが茶化すように笑ったので、私は咄嗟に顔を上げて「まさか!」という意図で首と手を左右にぶんぶんと振って否定する。

「母は、一言でいえば不安定な人間でした。僕には兄弟がいなくて、父はいつも仕事で帰りが遅かったので、家では専業主婦の母と二人で過ごす時間が大半だったんですけど、母は僕に気に入らないところがあるとすぐに手を上げるような人でした。どんなに些細なことでも、そして時には母の機嫌が優れないという理由だけでも、僕は一方的な暴力を受けました。母は暴力が父にバレないように、僕の顔や腕にはあえて傷をつけなかったんです」

顔や腕の見える部分にタトゥーがないのはそのためです、と青羽さんがほがらかに笑いながら自分の顔を人差し指で丸く囲む。

青羽さんのさっぱりとした口調にどう反応すべきか分からず、「……その、お父様に助けを求めようとはしたんですか?」と通常想定されるような質問を返す。すると青羽さんは「いえ」ときっぱり答えてから、また話を続けた。

「父は、良くも悪くも鈍感な人間でした。それに母は、父の前では人が変わるように明るくなり、僕にも優しくしてくれたので、父の目には三人が完璧な家族に映っていたと思います。”僕が裏で母から暴力を受けている”という事実さえ抜きにすれば、家族はこんなにも素敵に見える。僕はそういう風に考えるようになり、父の無知の幸福を壊そうとはしませんでした」

理性的に考えれば”当時の青羽さんがどうするべきだったか”ということについて教科書的な模範解答が色々と浮かぶけれど、当事者ではない私が何を言っても本質的には意味がないものだと思った。結局、家族という問題はどこまでいっても感情論でしか語れない、ということは身に染みて分かっている。

「父の前では別人のように明るくなる母は、とても幸せそうに見えました。きっと本来の母の姿はこっちで、僕を痛めつけるあの凶暴な母は、他の誰でもない僕自身がそうさせている姿だと気付いたんです。それに、もし僕が原因で二人が離婚したら、専業主婦の母は一人では生きていけないんじゃないかという心配もありました。僕が傷つくだけで二人の幸せが守れるなら、いっそこのままでいいと思ったんです」

「ということは、青羽さんはその虐待に、ずっと耐えてきたということですか?」

第三者である私が、当事者である青羽さん本人が口にしていない”虐待”や”耐える”という言葉を使うのはどうなんだろうという迷いがあったが、他に適切な言い換えが思い浮かばず、客観的な言葉で青羽さんの目を見据える。

「その時の僕は、ずっとこのままでもいいと本気で考えていました。ですがある日、母がよく分からない新興宗教に大金を注ぎ込んでいたことが父にバレて、そして芋づる式に母の暴力も明らかになり、すべてを知った父は母を激しく糾弾して、僕を連れて家を出ました。生まれ育った土地から遥か遠い場所に引っ越して、それからは父と二人で暮らしてきました。母とは家を出たきり会ってませんし、今どこにいるのかも分かりません」

そこまで立ち入るべきではないと思いつつも「不躾ですけど、お母さんのことを恨んでいたりはしないんですか?」と純粋な疑問を青羽さんにぶつけてしまって、私は咄嗟に「あっ、もちろん、答えづらかったら答えていただかなくても全然大丈夫です」と言い添える。私の質問が核心を突いたのか、青羽さんは「うーん」と小首を傾げて少し考えてから言葉を選ぶように口を開いた。

「恨みや憎しみというより、何か別の感情の方が大きいんです。父が僕を連れて家を出ていく時、母は僕の方を見て『お前なんか産まなければ』と涙ながらに何度も口にしていました。後から聞いた話ですが、母は僕を産む前に二度も流産を経験していたそうなんです。それでも僕を産んだのは、父側の親戚から相当な重圧を受けていたからで、不妊治療に精神を病みながらも出産を免れることは許されない状況だったと父から反省するように聞かされました。きっと母にとっての家族とは”母と父”の二人のことで、最初から僕は勘定に入っていなかったんです。母にとっての家族を壊してしまったのは他の誰でもない僕なのかもしれない。そう考えると、母だけを恨むのは正しくない気がして。僕は単純に、父と母を悲しませたくなかっただけなんです」

「まとまりのない答えですいません」と青羽さんが気恥ずかしそうに頭をぽりぽり掻く。至極プライベートかつセンシティブな話に対して、私は返すべき正しい言葉が見当たらず、何を血迷ったのか

「……今日のDJのパフォーマンス、すごかったです」

と場違いな感想を突然口にしてしまった。部外者である私が他人の家族についてどんなに言及してもそれはただの慰めにしかならないと思う。けれども、”僕は勘定に入っていない”という青羽さんの発言を聞いて、そんなことは絶対ないです、という意図だけはどうしても伝えたくなった。先ほどのステージ上であんなにも大勢の人たちに求められていた青羽さんは、とにかく存在感が半端なくて、そしてとても輝いていたから。

先ほどのまでの重い話に対する私の突拍子のない感想に青羽さんは虚を衝かれたのか「……えっ、あ、ほんとですか! あーよかった……本当にありがとうございます。いやぁー嬉しいです」と戸惑いつつも確かに喜び始めた。

「すいません、なんて返すべきか分からず、謎のタイミングで感想を口にしてしまって……。あの、陳腐な表現で恐縮ですけど、今日のパフォーマンス観て、なんだかすごくエネルギー感じました。こんな経験初めてです」

私も人を褒め慣れていないが、青羽さんも人に褒められ慣れていないのか「ああ、ほんとですか……! それはなんていうかもう死ぬほど恐縮ですありがとうございます……」と先ほどから同じようなことを何度も言いながら照れ臭そうに頭をぽろぽりと掻き始めた。青羽さんの癖に気が付く自分がいて、いつの間にか青羽さんとの距離が縮まっていることに気付く。

「音楽は、僕にとっての救いでした。中でもヒップホップ界隈には自分と似たような境遇を経験した人も多くいて、非常に刺激を受けました。タトゥーを入れようと思ったのも、ヒップホップ仲間の影響です」

青羽さんは、二の腕が半分くらい見える高さまで捲り上げていた袖をさらに少し上に持ち上げて、先ほどよりも大きく顔をのぞかせたタトゥーを指でなぞりながら呟くように言った。

「母から受けた傷に自分なりの意味を加えたくて、このタトゥーを入れました。”実母から痛めつけられた証”という意味だけで、この傷を終わらせたくなかったんです」

「ということで、長くなって申し訳ございませんが、僕の身の上話を聞いていただきありがとうございました」と青羽さんが仰々しく頭を下げると、先ほどまで神妙な面持ちで青羽さんの話を黙って聞いていた芹沢さんがぱちぱちぱちと茶化すような拍手を送った。
重苦しい話はもうおしまい、とでも言いたげな溌剌とした笑顔で「ではお互いの身の上話も済んだところで、こっからは本題に入っていきましょう!」と芹沢さんがビールジョッキを高く掲げる。大分酔っ払った様子の彼女は、私が青羽さんの話を聞いている最中にもかなりの酒を飲んでいたようだった。芹沢さんも行方さんも、おそらく青羽さんの話を聞くのは今回が初めてではないはずだけれど、それにしても芹沢さんのこの素晴らしい切り替えっぷりには目を見張るものがある。

「潮田さん、わたし質問していいですか?」
「……はい、なんでしょう?」
「結局、潮田さんは地元に戻ってその男性と本気で結婚するつもりなんですか?」
「……はい。そうするほかありませんから」
「ていうか、お相手の方とは会ったことあるんですか?」
「私が小さい頃に寺の付き合いで何度か会ったことがあるそうですが、かなり昔のことなので正直まったく覚えていません。来月の顔合わせで、初めてちゃんとお会いします」
「潮田さんは、本当にそれでいいんですか? 寺を継ぐのが嫌だったから、東京に出てきたんじゃないんですか」

急に痛いところを突かれて、私は一瞬反応に困ってしまった。上京してからほぼ毎日考えていた、このままでいいのだろうかという漠然とした不安。自分の世界を広げてみたくて東京へ来たのに、結局何も変われずに四十歳になり却って広がりを失った私の人生。すべてはこの歳になるまで無為に時間を過ごした私の自業自得なのだけど、私がどう足掻いていたところで結局この閉塞感からは逃れることはできなかった気がする。そうやって自分を正当化する癖も、私が何も成し得ない人間である所以の一つなのだろう。

「顔合わせって、来月のいつですか」

私が芹沢さんの質問にきゅうしていると、青羽さんが妙に真剣な表情で聞いてきた。しかしよく見ると、深く考え込んでいる顔つきというよりは酔いが回って目が据わっているというべき風貌で、先ほどの長話を終えて緊張から解放されたからだろうか、さっきからあり得ないペースで酒を飲んでいた気がする。

「あ、えっと、顔合わせは四月の三十日です」
「じゃあそれまでに僕、潮田さんに認めてもらえるように努力します」
「いや、それはすごく、何というか申し訳ないです」
「潮田さんさえよければ、僕が僧侶になってお寺を継ぎますよ。あ、その前にお父様を説得しなくてはいけませんね。それか、いっそのこと駆け落ちなんかどうでしょう? あ、いや、もちろんすべて潮田さんがよければの話ですが」

この人は急に何を言い出すんだ、と戸惑いながらも、青羽さんは意外にもこんな酔い方をするんだという他人事のような気持ちも湧いてきて、内容はさておき何だか笑ってしまった。

「あ! それいいですね! 青羽さんのタトゥーならタイの僧侶に憧れて彫りましたーとか言って誤魔化せるんじゃないですか?」
「はは。俺やっぱ花音ちゃんの発想好きだわー。でも知ってる? タイって上座部仏教だから日本の大乗仏教と根本的に違うんよね」
「んー、系譜とかよく分からないですけど、なんかタイの寺院とかってインスタ映えしそうな感じで日本とは全然違いますもんね。てか好きとかキモいんでマジでやめてくださいほんとに今鳥肌立ったじゃないですか。あっ! そいえば行方さん先週までタイでバックパッカーしてたじゃないですか! ナンパした女性といい感じになってホテル行ったら突然ニューハーフ暴露されて引くに引けず最後まで致したら新しい扉が開いちゃった話、もっと詳しく教えてくださいよー!」

私と青羽さんの話題をいつの間にか差し置いて、行方さんと芹沢さんが仲の良い叔父と姪っ子のような距離感で盛り上がるのを傍観しながら、”今なら伝えられるかも”と思った私は青羽さんに今の自分の気持ちを打ち明けることにした。

「青羽さん、あの、すいません。さっきも言ったように、わたし恋愛というものがよく分からなくて。恋愛の仕方を忘れたとかいうものではなく、本当にしたことがないんです。ずっとひとりで生きてきましたし、その方が気楽なんです。でも、このままひとりで死んでいくのは嫌だなっていう都合が良過ぎる考えもあって、その意味では正直なところ今回の結婚も悪いことばかりではないというか。ただ……」

どうかしましたか? と心配そうに顔を覗き込んでくる青羽さんに、私は思ったことをすべて口に出してしまいそうになる危うさを感じて、いかんいかんとできるだけ気持ちを律する。

「……ただ、このまま実家に戻ってしまって本当にいいのだろうかと思っている自分もいて。なのでその、はっきりした答えになっていませんが、実家に戻るまでに、青羽さんのことをもっとよく知りたいと思います。すぐにお返事できなくて申し訳ございません」

口に出してみると、私はなんて幼稚で身勝手で優柔不断な痛い中年女なんだろうという自己嫌悪が脳裏を掠めたが、私の言葉を聞くや否や青羽さんが「ほんとですか! 嬉しいです! 僕、待ちます!」と尻尾を振る犬のように嬉しがったので、不意打ちを食らった私はつい吹き出してしまった。

普段はおじいちゃんみたいな青羽さんが、酔うとこんなにも溌剌とした表情を浮かべるのが新鮮で面白くて、もう少し酔わせたらどうなるんだろうという不埒ふらちな好奇心が湧いた私は「青羽さんまだ飲めますか」「はい、潮田さんとならもう無限に飲めます!」という距離感のバグったやり取りをしたのちタッチパネルでウーロンハイを二つ注文した。

私が注文したウーロンハイと一緒に、芹沢さんが最初に頼んでいたメインの串も運ばれてきて、そこで初めて食指しょくしが動いた。この居酒屋に来てからずっと緊張と驚きの目まぐるしい連続で酒しか喉を通らなかったので、随分と空腹だったことにようやく気付く。

「行方さんぼんじりみたいな顔してるんでこれあげます」
「あんがと。じゃあ花音ちゃんはヤゲン軟骨かな。あっ、痩せてるって意味ね」
「そういうのセクハラになるんでやめた方がいいですよ。あ、潮田さんと青羽さんは好きなのとってください」

「どれにしようかなぁ」と青羽さんが口の前に拳を作って熟考している姿を見て、そういえば退職の挨拶で菓子折りを持って行った際もこんな風にいちいち考え込んでいたな、と思い出す。
こんなにも慎重な人間が、私を急にクラブへ誘い出し、突然DJパフォーマンスを披露し、会社の人間も誰も知らないタトゥーを曝け出し、好意も生い立ちも告白してきたのだ。
おそらく青羽さんには相当な覚悟があって、そもそもそんな覚悟を持ってまで私なんかのどこがよかったのか甚だ疑問だが、今は青羽さんの気持ちを素直に受け止めてしっかりと向き合ってみたいと思っている自分がいる。青羽さんを私の人生に巻き込んでいいのか逡巡しつつも、今は青羽さんのことをもっと理解したいというか、未知の領域に足を踏み入れるという好奇心のようなものが頭の中を支配していた。

「私は砂肝にします。青羽さん、つくね取ってもいいんですよ」
「え、いいんですか!? この、一個しかない小鉢の卵黄を贅沢に独り占めするのが申し訳なくて遠慮してたんですけど、え、本当にいいんですか?」
「はい。ぜひ、好きなのを食べてください」

「やったぁ……潮田さん、懐が広いんですね」と謎の褒め言葉を頂戴した私は、手に取ったつくねを愛でるように見つめている青羽さんを見て「さすがに大袈裟過ぎますよ!」と声を上げて笑った。

「潮田さんが楽しそうで、今日は、本当にいい日です」
「……あ、すいません。テンションが上がってしまって、つい」
「いや、謝ることではありませんよ」
「あ、はい。そうなんですけど、わたし、こういう楽しい瞬間みたいなのが何となく苦手で。楽しい時間って、終わってしまった後の喪失感が辛いじゃないですか。子供の頃からそうだったんです。親が稀に連れて行ってくれた遊園地とか水族館とかも、楽しい記憶より、帰りの車内の薄暗い光景の方が脳裏に焼き付いているというか。基本的に感情の落差をなるべく作りたくないっていう俯瞰視点の自分が常に頭の片隅にいて、楽しくてもどこか冷静になってしまうのが私の悪い癖なんですよね」

しまった。酔いに任せてつい場がしらけるような発言をしてしまった。急に申し訳なさを感じてお茶を濁そうとしたところ、

「それ、分かります。僕もライブしてる時そんな感じですよ」と青羽さんが思いがけず賛同してきたので、私は思わず「え、あんなに楽しそうにDJしてる青羽さんもそう思うんですか?」と前のめりで返す。

「はい。もう、とってもそう思いますよ。最後の曲の途中くらいから、明日早起きして洗濯回さなきゃなあ、とか考えたりして急に萎えることもあります」

銀色のディスコボール型のヘルメットを被り、上半身裸でタトゥーを曝け出しながら荒れ狂ったようにターンテーブルを回し倒すあの青羽さんでさえもライブ中にそんなことを考えてるとは思わず、何だか一気に親近感が湧いてくる。考えてみれば、「ライブ」と「生活」は対義語の関係にあるのかもしれない。

「生活は、否が応でも続きますもんね」と私が答えると、「おっしゃるとおりです。でもパーティーの先に生活があるからこそ、安心できたりもします」と青羽さんは笑った。

「パーティー、ですか。私は普段からときめきのない生活をしているので、一時のパーティーすら楽しめないと何だか損した気持ちになるんです。楽しい場面で楽しい感情に全振りできない私のようなコスパの悪い人間は、パーティーとか飲み会みたいな刹那的なイベントよりも適度な退屈の方が性に合っているんですよ。せっかくの楽しい時間もどうせ生活に侵食されるなら、浮き沈みのない日常の方が私にとって精神衛生上望ましいものなんです」

と言いつつも、非日常であるこの瞬間を今まさに楽しんでいる自分がいる。青羽さんと話すのは、楽しい。誰かと頭の中の言葉を差し出し合うというのは、こんなにも楽しいことだったのか。

「まあ、楽しみ方に正解なんてないですよ。はっちゃけることだけが楽しさの表現ではないですからね」

青羽さんの、押し付けがましくない言葉の置き方が心地よくて、もっと他愛のない会話をしたいと思った。

「青羽さん、もう飲めませんか」
「これ以上飲むと、ちょっとまずいかもです」
「それは体調的にということでしょうか」
「いえ。潮田さんに何を言い出すか自分でも分からなくて、まずいという意味です」

「きっと朝起きたら忘れてると思うので、ぜひ聞かせてください」と笑いながら、私は有無を言わせずウーロンハイを二つ注文した。「勘弁してください」と、青羽さんも楽しそうに笑う。

もはや今が何時か分からないけれど、日が昇るまではまだまだ時間はあるはずだ、と思った。



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