自由な生活にはお金が必要だと思っていた #1
↓前回の記事はこちら。
怒涛の勢いで退職したものの、
本当に何にも決めてない私。
退職前、これからどうするか、色んな葛藤があった。
退職してどう生活するか?
退職の数ヶ月前までは、その時住んでいた名古屋でこのまま一人暮らしがしたいなと考えて、
物件を内覧したりしていた。
家を借りるとなると、当然安定した収入が必要になってくる。
なので、何か正社員の仕事を探そうと、当時好きだったインテリア関係の仕事の面接を受けたりもした。
仕事は別にしたくないけど、
せめて好きなインテリアに関わる仕事にしたら、より自分に一致した働き方が出来るのではないかと当時そんな風に簡単に考えていた。
初めから100%満足のいく選択は出来ない。
100%なんて目指すと、踏み出すことすら出来なくなる。
だから、行動しながら、少しずつキャリアを微調整して、ゆくゆくは何らかの仕事で独立出来ればいいなぁなんて考えていた。
経済的に豊かであることを目指す
当時の私にとって、
自分の人生を生きるということのゴールは
何か起業したりして、会社に依存せず、経済的に自立することだった。
何か自分だけの仕事で独立すれば、
私の望みであった、お金や時間に縛られない自由な生活が手に入ると思っていた。
当時の私にとっての自由は、経済的に豊かであることが条件だったのだ。
経済的に豊かでないと、
自分にとっての自由は手に入らない。
そんな風に、社会常識に習った考え方をしていた。
俗にいうキラキラした人達が、自分の仕事を持って活動しているイメージがあったから、そこへの憧れがあったのだと思う。
所有へのこだわり
そして当時は、まだやっぱり、モノを所有することにこだわりがあった。
特に一人暮らしをして自分の家を持つことは、
自由の証みたいなもので、自分だけの居場所を持つことに強いこだわりがあった。
幼い頃、四人兄弟の末っ子で、自分の部屋というものがなかった私は、自分だけの居場所というものに強い憧れがあったのだ。
約三年住んでいた社会人時代の家は、初めての一人暮らしの家で、インテリアには多少のお金をかけ、好きなものに囲まれた私だけの城になった。
この生活を手放したくない
そして何より、自分のような内向的な人間には、一人になれる場所が必要だと思っていたから、
この家という存在はなくてはならないものだった。
実際、この安心できる居場所のおかげで、仕事や趣味など、より活動的に日々をおくれていたと思う。
好きな物を買って、自分のお気に入りのものに囲まれたこの生活が好きだった。
所有するには、お金が必要
だから、仕事を辞めた後も、そんな生活を維持したいと思っていた。
できれば、このこだわりは捨てたくなかった。
そのために、何か収入を得なければいけないと思って、仕事を探した。
でもうまく行かなかった。
好きなインテリアの仕事だったけど、
面接の段階から、もう違和感を感じてしまった。
面接をしてくれた担当者が、自分の会社に合わせられそうな人間か、ついてこられそうな人間かを見定めているのが分かった。
当然だ。それが会社というものだ。
評価するのが会社組織だ。
でも、私はもう他人に評価されたり、選ばれたりすることに対し、違和感を感じていた。
もう人を評価するのも、評価されるのも馬鹿らしく感じた。だって人は皆んな対等で等しく尊い存在だ。
何故、比較して、競争しなけれないけない?
そんな評価の目に対し、頑張って努力してあげる気概はもうなかった。
そんな社会のレースにもう興味がなかった。
人の期待に応えることに興味がなかった。
「私はもう、違う道を行くことにするよ。」
インテリアに関係する仕事にすれば、
好きを仕事にすれば、ある程度自分を納得させて働くことができると思ったけど、
もうその時の私は、もう一切の妥協が出来なくなってしまっていた。
どうにも違和感を無視できなかった。
妥協することを諦める
だから仕方ない。
もう自分が思うままにやるしかないと思い、
一切の転職活動を辞めた。
会社で働くことへの違和感をそのままには出来なかった。
そうなると当然、物件探しもストップ。
結局、仕事を辞めた後、一時的に母親の家に転がりこむことになった。
持っていたもの全て、ほとんど処分した。
ダンボール2箱とスーツケースだけになった。
でも不思議と、すっきりした。
自分はちゃんとあったから。
無職になってから
転がり込んだ矢先、謎の病気にかかり、
結局田舎にある実家で世話になることに。
↓退職直後のリアルなら様子はこちらに
一人暮らしの家を持って、このまま自立した生活を続けたいと考えていた退職前。
実際に無職になってからは、
病気にかかり、もうそれどころではなくなった。
流れのままに、もう降伏するしかなかった。
頑張らない、ことを頑張るしかなくなった。
今まで、生まれてから走り続けた人生だった。
周りに合わそうとして、ひたすら努力してきた人生だった。
そして上手くいかない自分を否定してきた人生だった。
そんな私が、初めて腰をおろし、人生に休む時間を作ったのだ。
本当に頑張らない。
何か勉強したり、仕事を探そうとするのは辞めた。
そうして、実家での静養と、無職ニート生活が始まったのだ。
あとがき
ちなみに、当時を振り返ると、自由でいることに何か条件があったことがわかります。
・自由に生きるためには、経済的豊かさが必要
という思い込みがあって、本当は自由でいることが目的なのに、そのための手段であった独立や起業が、いつしか人生の目的のようになってしまっていました。
でも、今、実際に体験して気づいたことですが、
自由でいることは、本当は経済的豊かは必ずしも必要ではないということです。
これは、一人旅やゲストハウス生活をやってみて、実際に体感した気づきです。
お金ではない方法で、時間に囚われず暮らす方法は普通にあります。
当時の私は、手段が先行して、自分がなりたい自由という在り方を模索出来ていませんでした。
でも、もしなりたい在り方があるのなら、
お金に関わらず、まずはやってみてよかったのです。
ただ、お金への不安はあって当然です。
私がそうでした。
結局、働くことから自由でいたいという思いよりも、経済的に自立することを優先していたのも、そんな不安からです。
お金がないと、自由は暮らしは手に入らないと思っていたのです。
実際、世の中、全てお金で解決できると思う人は多いのではないでしょうか?
でも、本当はお金で解決できないことばかりです。
逆に、お金がないと無理だと思っていたことでも、思い込みを外して挑戦していくことで、お金以外のやり方で世界を広げていくことが出来るかもしれません。
何かを選択するときには、お金を言い訳にしない、自分の本音をぜひ汲み取ることを意識づけたいものです。
まだまだ資本主義で我々は生きているので、価値観をアップデートするのは容易ではありません。
でも、自ら行動し体感することで、新たな気づきが生まれます。
そうすると、きっと思ってもいない方向からのアプローチがやってくるかもしれません。
ps
一連の話は、こちらの自叙伝に詳しく書いています。もし先の話が気になる方は、ぜひご覧ください。
