【日常エッセイ】上野さんぽ③─場数を踏むということ
このエッセイは、過去2回投稿した以下作品の続きです。
【日常エッセイ】上野さんぽ①─背の低い緑に囲まれたのはいつ以来か
【日常エッセイ】上野さんぽ②─噴水広場に集う人生たち
およそ2時間半にわたって噴水広場に滞在した僕は、読書を終えた。“時間が来た”からではなく、“読み進めていた本を最後まで読み終えた”からだった。ゆえに、この時の15:40という時刻には何の意図も介在していない。
向こうに見える白いテントに囲まれた世界はまだ賑わっているようで、微かに歌声のようなものも聞こえてくる。すでにこの日の目的を達成した僕は少し覗いていくことを決め、賑やかな音の方へ歩き始めた。
白い世界に足を踏み入れるとそこは本当に別の国に来たみたいに賑わっていた。どうやら僕は、会場の前方上手の入り口から入り込んだようで、左側には牡蠣や焼きそばなどの食事の屋台に人々が列を作っていた。
屋台の並びから人2人分くらいの通路を挟んだ会場の真ん中に当たる部分にはクラフトビールの試飲場と飲食スペースが設置され、ほとんど空きがないくらいに人が密集して座っていた。
さらに正面の奥側、牡蠣や焼きそばの屋台の線対象となる位置には日本酒の試飲場が並んでおり、改めてこのイベントの名前を確認すると「酒まつりJAPAN」だった。名前の通りのイベントに関心し、僕も何か飲めばよかったと思うものの、先ほど読書のお供にコンビニで買ったハイボールを飲んでしまったため我慢することにした。
正面から顔を少し右に回転させるとそこにはステージが組まれており、そこには、先ほど隣の世界まで声を響かせていた人物が手足を開いたり閉じたり、動き回ったり、まさに“全力で”という言葉が似合う動きを見せていた。
シンプルな白いスカートと、こちらもシンプルな紺色のTシャツのような装いの3人組の女性たち。白いリボンのような髪飾りやツインテールといった、各々の自己表現に身をつつんだ彼女たちからは素朴さが感じられた。
パフォーマンスを見ていると、どんどん心が惹かれていくのがわかった。
素朴でピュアなファーストインプレッションとは裏腹に、歌や踊りが「しっかりしている」のだ。
踊りながらなのに息切れしている様子もなく、歌がブレない。3人で一緒に歌えば多少の誤魔化しはきくだろうが、彼女たちにはそれもない。一人一人にソロパートがあり、そのどれもが“アーティストの歌”として成立している。
踊りも完璧だった。ポッと出のアイドルであれば多少フリが雑になったり、グダっとする瞬間があってもおかしくない。だが、彼女たちは誰一人としてそんな瞬間がなかった。全身を使って手足を伸ばす彼女たちのダンスは、一際存在感を放っていた。
そしてアイドルにとって何より大事な表情管理。ただでさえ日差しが照り付ける夏のような暑さの中、笑顔を絶やさなかった。ステージの目の前まで集まるファンへも目線を送り、少し離れたところにいる僕のようなちょっと立ち寄っただけのような人たちにも、変わらない熱量の目線を送っているのがわかった。
「どれだけの“場数”を重ねたら……」
彼女たちのパフォーマンスからは圧倒的な“場数”が感じられた。それは時間の積み重ねというより、厚く高い壁を乗り越えた経験を身体に刻み込んだ者だけが纏う鎧のようなものだった。
最後の曲の終わり、メンバーの1人が、ステージの一番前に立ちロングトーンを放った。体を逸らせ、顔とマイクを空に向けて放つその声は、一筋の光となって天を貫くように見えた。
およそ20分のステージが終わり、彼女たちは次のライブの告知などをしているようだった。この短時間で、僕は彼女たちの虜になった。十数分前まで僕の世界に存在すらしていなかった彼女たちが、忽然と姿を現し、先導し始めた。
ただ、僕はまだ彼女たちの名前を聞いていない──。
15時40分、僕は意図せず噴水広場を離れてこの場所へ来た。ただ読み進めていた本の最後のページまで辿り着いた、それだけだった。それがこの出会いを生み出したことが、とても偶然とは思えなかった。
と、彼女たちの最後の挨拶が聞こえてきた。
「アイドル、イイトコ、全部入りっ!以上、エイアイカでしたー!」
彼女たちの名前は「エイアイカ」といった。
