庵野秀明の青春時代を知ってますか?
今回は、テレビドラマ「アオイホノオ」について少し書いてみたい。
「アオイホノオ」(2014年)

これは原作が島本和彦先生の人気漫画であり、それをテレビ東京が2014年にドラマ化したものである。
一応、「これはフィクションである」と冒頭に謳ってはいるが、しかし実際には、これって島本先生がご自身の大学時代を回顧したノンフィクションですよ(多少デフォルメされてるけど・・)。
まぁ、皆さんもよくご存じでしょうが、先生が当時通ってた大学は大阪芸大で、その時に同じ学科にいた同期生がこの人たち↓↓です。
庵野秀明

山賀博之

赤井孝美

南雅彦

この1980年入学組は、なかなか凄い人材が揃ってたんだね。
なお、漫画家/士郎正宗先生もまた80年組だったらしいんだが、上記メンバーがみんな映像学科だったのに対し、士郎先生は美術学科在籍だったせいか、この作品の中では残念ながらその交流などは描かれていない。
とりわけ、このドラマは「島本和彦の目から見た庵野秀明」というところに焦点が絞られており、当時から既に「鬼才」として学内の注目を集めていた庵野さんの才能に対する島本先生の嫉妬、および敵愾心が実に面白おかしく描かれている。

また、この作品の秀逸な点は、ストーリーの全てが島本先生の目を通した形で描かれてるわけではなく、島本先生がその場に居合わせなかったシーン(当時、先生が知り得なかったはずの事実関係)も数多く挿入されてることなんだ。
どうやら、先生はこの作品を作るにあたって複数の旧ガイナックスメンバーに徹底取材をし、当時の事実関係をかなり詳細に確認していったらしいね。
単に漫画家にしておくには惜しい、もはや一流ジャーナリスト並みの取材力だと思う。
特に、私がこのドラマでズバ抜けて面白かったのが<庵野秀明と岡田斗司夫の邂逅>である。
岡田斗司夫

やはり、この人のことは過小評価してはならない。
仮にこの両者の邂逅が無かったなら、まず間違いなく庵野秀明という才能が全国区になる時期は10年以上遅れたと思う。
大阪ローカルの知る人ぞ知る「画の巧いアマチュア」というマイナー期が、その後も結構長く続いたんじゃないかなぁ・・?
皆さんもよくご存じと思うが、庵野さんの名が一躍全国区になったキッカケはこれである↓↓
日本SF大会オープニングアニメ<DAICON>

庵野が描き、赤井が描き、画を描けない山賀は、ただそれを眺めてたという伝説の<DAICON>。
業界関係者が数多く集う(手塚先生も毎回来る)日本SF大会でこのアニメが披露され、「これ誰が作ったんだ?」「大学生のアマチュアらしい」という噂が広まり、庵野さんらは一躍業界の注目株になったわけよね。
ただ、ここでひとつ考えてほしい。
アニメというのは、ただ画の巧い人がいれば出来上がるという簡単なものではない。
まず何より、先立つものとして必要なのはおカネである。
ましてや<DAICON>ほどのクオリティのものを作るとなると、そりゃ莫大な資金が必要でしょうに・・。
・・じゃ、アマチュアである彼らは、どうやってその資金を調達したのか?
普通、この問題を易々とクリアできないからこそ、若い才能はなかなか芽が出ないんだよ。
ところが、このグループには実に都合よくパトロンがいたわけですわ。
・・そう、それが岡田斗司夫、その人である。
「君たちがやりたいことをやったらええねん。
カネと人材のフォローは(僕なら)ナンボでもできると思って」

そう豪語した岡田さん。
ひとつご理解いただきたいのは、この時の岡田さんもまた大学生にすぎないということ(大阪電気通信大学⇒中退)。
・・じゃ、大学生にすぎない彼に、なぜそんな財力があったのか?


そう、おカネがあるといっても、それはぶっちゃけ、
親のおカネw
ようするに、実家がお金持ちだっただけの話である。
どうやら、岡田さんのお母さんは刺繍がうまい人らしく、その技術を使って「いつも寝ているワニをちょっとだけ立ててみたら、大当たりした」ということらしい。
有名ブランド「ラコステ」

岡田さんの母が開発したオリジナルブランド「タチワニ」


いわば、DAICONのアニメ制作は、この怪しげな「タチワニ」資金によって支えられてた・・ということだね。
・・で、当時の岡田さんはロクに大学にも行かず、ただ親のおカネを自分の趣味の為に湯水のごとく投じてたわけで、そういう放蕩のひとつが「SF大会のOPアニメ制作」だったんだろう。
彼自身は画が描けないので、描ける人材を探してるところに庵野さんの噂を聞きつけたということらしい。
描けるけど、おカネがない庵野
⇕⇕⇕
おカネはあるけど描けない岡田

これは、実に運命的な邂逅である。
しかも、「タチワニ」資金に育てられてきた岡田さんはコンプライアンスに対するスタンスも実に寛容で、メンバーには「何を描いてもいい」と言う。

庵野「何を描いてもいいんですか?『ヤマト』でも?『イデオン』でも?」
岡田「好きなもん描いたらええ」
赤井「岡田さん、そんなこと勝手にやっちゃっていいんですか?
他人の作品ですよ?」
岡田「・・赤井君、自分で自分を縛りつけとったら、アカンよ」
赤井「でも常識的に考えて・・」
岡田「赤井君、君に良い言葉を教えてあげよう」
「世の中、やったもん勝ちなんや!」

このシーン、私、大好きでねぇ(笑)。
・・で、ホントにあらゆるキャラの無断使用を敢行した庵野さん↓↓



・・そう、ここが庵野さんにとって、ひとつの<原点>なんですよね。
いや、<分水嶺>だったという方が的確かもしれん。
最近になり、庵野さんは
「自分は<空っぽ>の人間」
「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことに大体いつも元ネタがあり、時に嫌になる」
と自己否定しており、自分のオリジナリティの無さをやたら嘆いてるように感じるんだが、思えば80年代、その立身出世のターニングポイントからしてキャラ盗用だったわけですよ。
そもそも、パトロンは「タチワニ」だったしw

ただ、このドラマを見てると、キャラの盗用がそんな悪いことだとはとても思えなくてね。
事実、SF大会の終了後、庵野さんらがいる控室に手塚治虫先生が訪れ、そのアニメの出来を絶賛する一方で「何かが足りませんでしたよね?」と言い、つまり、自分の漫画のキャラを使ってくれてないことに不満を持ってたことを匂わせてきたほどなんだから・・。

基本、このドラマは庵野さんに向けて「あの時代を思い出せ!」とエールを送ってるかのようにも感じるんだわ。
だって、このドラマのオンエアが2014年でしょ?
・・ぶっちゃけ、この頃は庵野さんがまだ鬱病で弱ってた時期なんだ。
自殺未遂の噂が業界を流れ、あの宮崎駿が思わず救いの手を差し伸べたほどの時期である。

でね、この「アオイホノオ」の原作漫画自体は2007年から連載が始まってるわけだが(今も継続中)、敢えて、この2014年というタイミングにドラマ化したあたりは「庵野さん、頑張って!またアニメ界に帰ってきて!」という誰かの想いがそこに込められてたような気がするんですよ。
というか、多分、きっとそうだと思うぞ。
・・で、このドラマ放映の2年後、
庵野秀明、遂に「シンゴジラ」で復活!



この「アオイホノオ」という作品は、庵野秀明⇔島本和彦の言葉ではうまく説明のできない関係性がひとつのキモで、ドラマ最終回、庵野さんは生まれて初めて雑誌に作品が掲載された島本先生に対し、その記念すべき掲載誌を差し出し、「サインくれよ」と言うくだりで締められるんですよ。

これ、決してフィクションではなくホントの事実らしくて、つまり島本先生にとって初めてのサインをした相手は庵野さんだったらしい。
このくだり、なんかグッときたわ~!
青春ドラマとして、また庵野さんらの学生時代を描いたノンフィクションとして、そして爆笑できるコメディとして、このドラマはマジで秀作だと思います。
未見の方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。


