「マーズ・エクスプレス」これを評価しないSFファンは存在しない
今回は、フランス発のこのアニメ↓↓をご紹介しようと思う。
「マーズ・エクスプレス」(2023年)

これ、本国では2023年の公開だったらしいが、日本では今春に公開。
「なぜ3年越しで?」というのは正直あるにせよ、おそらく配給側の思惑としては「攻殻」の年である2026年が公開時期としてベストで、実際のところプロモーションの仕掛けでも<フランス版「攻殻」>というセールストークだったからね。

まぁ、そのプロモーションにしてもあながち間違いではなかったというか、確かに本作は「攻殻」っぽさがあり、こういうのが好きな人(SFファン)にはタマらんものがあったのでは?
ぶっちゃけ、SFファンで本作を「面白い!」と言わなかった人は私の知る限り皆無

そのぐらいの近年に稀に見る傑作SFアニメでしたね。
監督:ジェレミー・ぺラン(1978年生まれ)

・・で、この監督なんて正直名前も聞いたことない人でしょ?
おそらくフランス国内でも知る人ぞ知る的なクリエイターだと思うが、それが日本では「電脳コイル」(←サイバーパンクの大傑作!)の磯光雄さんがぺラン監督の過去作を見て「自分たちの<後継者>は、意外と海外にいるのかもしれん」と語ったという逸話まであり、もともとその筋では評価の高い人物だったっぽい。
で、彼自身も「自分の原点は『AKIRA』」と語っており、好きな監督として挙げる名も大友克洋、押井守、今敏など日本人が多い。
それもいまどきのジャパニメーションじゃなく、四半世紀ほど前の古い系のやつ(主に90年代)ばかり。
なぜか宮崎駿の方(ファンタジー)にいかず、SFの方にハマったらしい。

しかし、こういう言い方はあれだが、もう今の時代は日本でSFは流行ってないよなぁ~。
トレンドは、明らかにSFでなくダークファンタジーの方に寄っている。
だから正直、SFが好きな世代というのはぺラン氏ぐらいの年齢までが限界では?
ようするに「AKIRA」「GHOST IN THE SHELL」をリアルタイムで見てる世代まで(もちろん、私もこのオッサン世代に含まれる)。

で、懸案の「マーズ・エクスプレス」についても、いかにもオッサンが喜びそうな作りになっており、「この世代の人たちなら漏れなく見てきたもの」に対するオマージュ、そのオンパレードといったテイストだね。
大友克洋「AKIRA」(1988年)

ポール・バーホーベン「トータルリコール」(1990年)

J・キャメロン「ターミネーター2」(1991年)

押井守「GHOST IN THE SHELL」(1995年)

大友克洋/今敏「MEMORIES」(1995年)

リュックベッソン「フィフスエレメント」(1997年)

ウォシャウスキー「マトリックス」(1999年)

りんたろう/大友克洋「メトロポリス」(2001年)

押井守「イノセンス」(2004年)

今敏「パプリカ」(2006年)

で、この監督さんはこれらの作品↑↑に一番多感な年齢で遭遇してるわけで、そりゃ作家性の<核>にもなるよな、と。
さらに厳密にいえば、上記作品群に加えてSF古典の「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」といったところがプロットのベースになっている。
キューブリック「2001年宇宙の旅」(1968年)

リドリースコット「ブレードランナー」(1982年)

で、この作品を既にご覧いただいた人には分かってもらえると思うが、このぺラン監督って、ビックリするほど独自のオリジナリティを出してこないんだよね。
早い話が、プロットからディテールに至るまで全てにどこか既視感がある、ということ。
・・という書き方するとこれはディスってるようにも感じるものだろうが、いやいや、実はむしろ個人的には逆にこれが好印象で、ぺラン監督はこの「既視感」というやつを作中で実にうまくコントロールしてるのよ。

まず、本作は「23世紀の火星の社会」という非常に難しい舞台設定であり、普通ならこの世界観を観客に説明するだけで相当なカロリーを消費するものである。
ところが、本作では世界観を説明するナレーション、説明台詞の類いが一切出てこない。
ある意味では不親切構造とも言えるが、でも、これが不思議なことに作品を見てるだけで意外なほどすんなり世界観が理解できちゃうんだよね。
・・なぜなのかな?と自分でも不思議だったんだが、これってよく考えたらまさしく例の「既視感」のお陰なんだわ。
つまりぺラン監督は言葉にこそしないが、「分かるでしょコレ?ようするに例のアレですよ、アレ!」という感じで観客たちのSF知識のアーカイブを最初からアテにした作劇にしており、いわば作中の画における「既視感」はそれを皆に悟らせる一種のサインみたいなものなんです。

この作品、時間としては約90分ぐらいの割と短いものです。
でも、ストーリーとしてはテレビアニメ1クール分ほどのスケールがあり、どうしたって構造的には「言葉足らず」になっちゃうんですよ。
・・で、そこをどうするかがそれこそ監督さんのセンスというものであり、少なくともぺラン監督はそのセンスがめちゃくちゃ長けてたと思う。
これほど「言葉足らず」を貫きつつ、でもしっかり世界観とストーリー展開がちゃんと観客に伝わってるんだから・・。

ストーリーそのものとしては、非常に古典的な人間vsロボット(AI)の物語なんですよ。
昔、手塚先生がよく描いてたやつ。
人間側ではロボット排斥運動が極めて活発化し、その一方でロボット側は「脱獄(ロボット三原則から自由になる➾極論、人間を殺せる)」をする者が増え、まさに一触即発の状況。

で、個人的にお気に入りだったキャラは主人公の1人、上の画のカルロスという探偵。
こいつ人間っぽく見えるが実はロボットで、頭部/顔の部分は実はホログラムである。
こういう仕様のロボットは「死亡した人間の意識(記憶含む)をコピーして移植したタイプ」なんだわ。
人格的には、ほぼ生前と同じ。
草薙みたく「脳だけはナマ」というパターンじゃなく完全に100%機械なんだろうが、なのにしっかり感情もあるところが興味深い。

・・で、こういうのは「いかにもSF」と思うかもしれんが、実は現実世界でも実際こういう「意識のコピー」の研究が進められてるらしいぞ?
つまり一度死んでも、意識のバックアップデータさえあればロボットとしてまた蘇生できる未来がくる可能性も決してゼロではないらしい。
まぁ、確かに人間の意識/記憶というのも突き詰めれば電気信号ですからね。

ようするにひと言で「ロボット」といってもそれは決して一元的ではなく、こういう元人間のタイプから純粋なAIに至るまで様々なバリエーションがあるということ。
<以降、物語ラストのネタバレ>

とはいえ、ここで興味深いのはエンディングである。
というのも実はラストで、こういう元人間タイプのロボットもAIタイプのロボットもみんな全員が揃って「カラダは不要」だとしてボディを廃棄し、意識データのみ宇宙船にインストールして全員が繋がった「ひとつの大きな意識体」になるのね。

はい、これは上の画を見てもお分かりの通り、明らかに「2001年宇宙の旅」のオマージュある。
つまり、このラストにおけるロボットたちの行動は「2001年」ボーマン船長「スターチャイルド化」をなぞらえてることは明確で、いわば彼らロボットたちはこの選択で進化し、次の過程に入った、と見るべきなんでしょう。


また、この融合のカタチは同時に「攻殻」における草薙の「人形使い」との融合のオマージュとして受け取ることもできます。

うむ、どっちにせよ、我ら古参のSFファンにとってはまさに総決算というべきエンディングのカタチである・・
ぺラン監督って、なかなか分かっとるな~と思う。
オッサン世代SFファンのココロのツボを実によく分かってらっしゃる。
というわけで、この作品はSF好きのオッサン世代に是非お薦めしたいですね。
若い世代は「??」となるかもしれんし、オンナノコもまた「??」となるかもしれん。
でもオッサン世代は、何の苦もなく本作を理解できると思います。
これ、そういう作品なんですよ。


