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<SF>と<ファンタジー>の境界線①

2025年の日本SF大賞にて、特別賞にアニメ「GQuuuuuuX」が選ばれ表彰されたニュースは皆さんも耳にしたことがあると思う。

・・まぁ、そこまではいいんだ。
ただ私が驚いたのは、その表彰に対して異議を唱えるファンが結構いた、という話の方だね。

いや、私もディスってる人たちの意見を直接目にしたわけじゃないのでよく分からんのだが、おそらくディスってるのはかなり純度の高いSFファンの人たちではないだろうか?
SFの定義にはコダワリのある彼らだけに、「ガンダムだと?あんなもんはSFじゃない!」と言いたくてタマらないものかもしれん(←想像です)。

また、同じくSF賞である「星雲賞」の2025年表彰においては、長編部門で選ばれたのが驚いたことにコレ↓↓である。

「本好きの下克上」

2026年4月よりアニメ第4期放送予定

いやいや、「本好きの下克上」の一体どこがSFだというのか、私にはさっぱり分からない・・

これ完全に「異世界転生ファンタジー」だし、めっちゃSFとは程遠いやつだと思うんだが?
これがSFだと認められるなら、「GQuuuuuuX」なんてむしろハードSFの範疇ですよ。

・・といっても、この星雲賞受賞は2025年のことだし、ひょっとしたら小説の最新刊では新たにSF的展開があったのかもしれません。
ちなみに、私の把握はアニメ第3期のところまでだし、今春始まる第4期からSFっぽい展開になっていく可能性もある、ということなのか・・?

よし、次の「本好きの下克上」第4期は絶対に見ることにしよう!

さて、今回は<SFとファンタジーの境界>という件について書いてみたいと思う。

これは案外難しいお題である。
前述の通り、「本好きの下克上」のような物語がSF賞で表彰される現実もあるわけだし・・。
一方で、「GQuuuuuuX」のような未来っぽい物語ですらファンタジー扱いする人たちも実際いるんですわ。
つまり、SFとファンタジーの間には皆が思ってるほど<絶対的な境界線>など存在せず、どちらかというと「その境界線の引き方は貴方次第」という曖昧な定義で、あくまでも個人の主観に委ねられるものなのかもしれない。

じゃ、ファンタジーとSF、各々の成り立ちについてだが、これについては後発のSFの方がハッキリしており、その開祖はジュール・ベルヌ、またはH・G・ウェルズのどちらかでしょうね。

どっちにせよ、SFの始まりは19世紀ですな?

一方で、「世界最古のSFは竹取物語」という話も昔からよく聞く(そんなこと言ってるのは日本人だけかも?)。
当然、これは単に発想の遊びで、さすがに日本SF作家協会も「竹取物語」をSFだとは認識してはいないだろう。
・・あ、もちろん「超かぐや姫!」の方はSFに入るだろうけどさ。

「超かぐや姫!」

まぁ、ようするに19世紀より前は、ほとんどの物語がファンタジーばっかりだったんですよ。
思えば「旧約聖書」からしてファンタジーだが、あれの物語が一体いつからあったものかもよく分からん。

我が国でもそうだよね?
古事記」の成立は西暦712年と明確になってるが、それはあくまで編纂が完了した年のことに過ぎない。
そこに載っている物語そのものは文字の成立以前から口述で伝えられてきたものであり、一体いつの時代の誰がこれを作ったのかも分かってないんだ。

で、上の画↑↑は古事記の中にある、スサノオによる八岐大蛇退治のくだり。

多くの人はこういうのを見て、「昔の人はハナシを大袈裟に盛るね~w」と解釈してると思う。
ただし、多くの古代史ファン(他ならぬ私も含む)はこの物語を「ハナシを盛ってる」というふうには捉えないものなんですよ。

じゃ、これをどういう意味で捉えてるのかというと、それは<メタファー>です。
たとえば、八岐大蛇はそのまんま「8つの頭の大蛇」と捉えるんじゃなく、「8つに分岐した河川」と捉えるわけですね。
つまり、この地域は水害に悩まされてたという前提で、スサノオが成した「退治」は「治水工事」のことを指してるんじゃないか、と。
そして、倒した八岐大蛇の体内から草薙の剣が出てきたくだりについても、これは「治水工事の過程で良質な砂鉄の産地を発見⇒たたら製鉄を興した」という、この地の製鉄発祥の経緯が暗喩されたメタファーなのではないか、と。

※たたら製鉄・・出雲地方の製鉄

もちろんですが、こういう文献の読み解き方が正しいとは言いません。
しかし古代史ファンって、割とそういう読み方をする人が多いんですよね。

でも、皆さんはこう思うかもしれない。
「そうやって、わざわざメンドクサイ暗喩なんかしたりせず、普通に事実を伝えればいいのに・・」ってね。
・・いや、私から言わせるとそういうのは、まさに「現代人の思考」。
ここで大事なのは「古代人の思考」である。
この時代、まだ文字も紙も無いという前提で考えてみてくれ。
当然、伝える手段は口述しかない。
しかし口述というのは皆さんも「伝言ゲーム」の経験でお分かりだと思うが、大体のパターン、前半の伝言者と後半の伝言者とでは言っている内容が大きく食い違ってしまうものさ。
つまり、口述は「正確な事実の伝達」に適したメディアではない
おそらくだが、古代人はそのことをよく分かっていたんだろう。

そこで彼らが編み出した秘策は、「事実を物語に変換することでイメージを伝える」という発想の転換だったんだね。
結局、そういうカタチの方が本質がブレずに永く子孫に伝えられるだろう、と。
・・うむ、こういうのは彼ら古代人なりの優れた知恵だったと私は思うよ?

桃太郎
浦島太郎

で、我々古代史ファンの多くは割とそういう物語の読み方をする癖があるので、必然、「桃太郎」「浦島太郎」といったお伽噺も<メタファー>として読んじゃいますねぇ・・。

「桃太郎」における鬼、犬、猿、雉。
「浦島太郎」における亀、竜宮城、玉手箱。

結局、そういうのも全て何かを暗喩してるものではないのか、と。

そういう意味では、旧約聖書においても同じことである。

特に冒頭の創世記のくだりは口述ベースで語り継がれてきたものだろうし、そういう意味じゃ古事記同様<メタファー>の多用が十分にありうるわけです。
エデンの園、アダムとイブ、蛇、知恵の実、カインとアベル、ノアの方舟、バベルの塔etc

これらはめっちゃファンタジー色強いやつだけど、そのモトになった出来事は案外全然違うニュアンスのものだった気がするんだよねぇ・・。

で、こういう読み方の癖がある私たちみたいな人種は、ラノベ系ファンタジーだろうと、それをお伽噺的なものとして解釈しないヘンな傾向があって・・

「本好きの下克上」

多分だが、星雲賞で「本好きの下克上」に投票した人たちも私と似たタイプなんでしょうね・・。

いやいや、私自身はこれをSFだと感じたことはありませんけど。
ただ、こういう異世界転生ファンタジーを見てて、

異世界=死後の世界(冥界)

だと解釈していることは認めます。

いまや、古の宗教観からくる「天国」「極楽」「地獄」ではないんですよね。

・・じゃ、なぜ異世界はいつも「中世ヨーロッパ風」なの?
日本人だし「BLEACH」尸魂界みたいな和風じゃダメなの?

と言いたい人もおそらくいることでしょう。

いや、こういうのが「中世ヨーロッパ風」であることにも一応の意味があるんですよ。
それは最近の「悪役令嬢」モノでもお分かりのように、いまどきは

死後の世界=異世界=ゲーム世界

であることが明確にされてきています。
で、ゲームならば中世ヨーロッパ風世界観が基本だろ、ということね。

そして、なぜこれが<ゲーム世界>である必要があるのか?については、

最近流行りの<シミュレーション仮説>が根幹になっているんだと思われます。

シミュレーション仮説、これはニック・ボストロムというスウェーデン人の哲学者が00年代に唱えた理論で、この仮説にSF界はここ近年めっちゃ影響受けちゃってるんだわ。

まぁ、ようするに我々の世界はどこか高次元の知性がプログラミングしたVR(シミュレーションゲームっぽいもの?)である、という考え方さ。
別に、こういうのを信じる必要は特にないと思うよ?
仮にそれが真実だったとしても、我々の生き方がそれで何か変わるわけでもないから・・。

だが、SF界には「仮にこの世が<ゲーム世界>なら、あの世もまた別層の<ゲーム世界>ということだよね?」という発想が出てきており、そういうのが昨今の異世界転生ブームとリンクしてるかはまた別の話として、それら異世界系ファンタジー(ゲーム世界に近いもの)をSF的視点で捉えることが可能になってきたのは確かに事実なんです。

ひょっとしたら、そういうのが「本好きの下克上」星雲賞受賞にしっかり関係してるかもしれない。


だけどさ、最近の量子物理学者たちは結構この<シミュレーション仮説>の立証に本気になってるみたいで、彼らが具体的に何をしてるのか知ってる?

それが笑っちゃう話なんだが、

「この世が人為的なプログラムなら、
必ずどこかに<バグ>があるはずだ!」
⇓⇓⇓
「よし!<バグ>を見つけようぜ!」

ということで、今必死にこの世の<バグ>を見つけようとしてるみたいですね(笑)。
まだ見つかってないみたいだが・・。

だけど、よく考えたら少し怖い話である。

万が一、どこぞの量子物理学者が念願の<バグ>を発見し、

そのせいで彼が人智を超えたパワーを入手してしまったら一体どうなるんだ?

なんか、このセカイが終わってしまうような気がします・・(笑)

まぁ、仮にそういうことになっても、私はゲームのモブだし、ただ逃げ惑うことに専念しますけど・・?


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