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生成AIは、日本アニメ界そのものを揺るがすのか?

産業革命」というのは、18世紀のなかばから19世紀にかけて起きた「蒸気機関」によるエネルギー革命、およびそれに伴う工場制機械工業へのシフトである。
このへんは、学校の歴史の授業でも習ったよね。

やはり、ひとつの新しいテクノロジーが生まれれば社会構造そのものを根本から変革してしまうものかと。
そして、それは現代でも同じこと。

皆さんも、近年こういうフレーズを一度は耳にしたことがあると思う。

「日本の労働人口の49%がAIで代替が可能に」

(野村総合研究所発表)

まぁね、このへんは古くからSF作家たちが予測していた未来であり、人間によるロボット迫害からやがて戦争へと発展していくという流れはSFにおけるひとつのテンプレともいえる。

・・いや、今回はそういう大袈裟な話はひとまず置いとくとして、もう少し現実的な話をしていきたいんだ。

それは、

日本のアニメ制作現場にAIはどこまで浸食するのか?という問題ね。

いやホント、最近よく「生成AIアニメ」というのを目にするようになったでしょ?
「指示」さえ与えれば、あとは勝手にAIがアニメを作ってくれるというやつである。
今はまだ愛好者たちもそれらを遊びとして楽しんでるにすぎないが、一方でそこにイヤ~な空気を嗅ぎ取ってる人も決して少なくはないようで・・。

実際、アメリカでAI反対のデモが起きたりもしてるんだ↓↓

その一方で、我が国はこういう映画祭↓↓を企画したりもしてるんですよ。

「AI FILM FESTIVAL JAPAN2025」

どうやら、「生成AI動画」の国際コンペが開催されてるらしいのね。
結果、316作品の応募があったらしい。

なお、その応募があった39ヵ国の内訳を見ると

【1位】韓国⇒65作品
【2位】アメリカ⇒56本


この2ヵ国だけで、なんと全体の40%を占めていたっぽい。
なお、ホスト国である日本からの応募作品は全体の5%を占めたにすぎず、ぶっちゃけ、我が国はやや「生成AI」に消極的、もしくは抵抗感がある、と見た方がいいのかもしれない。

<生成AI三種の神器>

画像を作るAIソフト「Midjourney」

動画を作るAIソフト「runway」

脚本を作るAIソフト「ChatGPT」

正直、私もこっち方面に疎いから詳しいことはよく分からんが、ようするに上の3つのソフトを揃えれば、人間はただ指示を出すだけに徹し、あとはAIがやってくれるというものらしい。

つまり、ノートパソコンひとつあれば、完全に<1人>で作品を作れちゃうということね。

・・で、こういう現実に直面して皆さんがどう思うかについてだが、きっと半分近くの人は生理的嫌悪感のようなものを覚えるんじゃないだろうか?
だってさ、これはただ人間を補助するAIではなく、企画立案、プロット構成までも出来ちゃうAIなんだぞ?

もちろん「・・え?面白いものができるなら、別にそれでいいじゃん?」という考え方をする人も一定数いるとは思う。
この映画祭で、応募が最も多かったのが韓国だったのがまさしくそのへんのメンタリティ、国民性を表しており、基本、韓国人は結果至上主義なところがあるわけさ。
分かりやすいところでは、「整形」がそうでしょ?
我々日本人は、どうしてもあれには生理的な部分で躊躇してしまうんだが、彼らは「別にいいじゃん」と言い、ほとんど躊躇なく「整形」してしまう。

うむ、確かに生成AIって、ちょっと「整形」にも近い禁断の匂いがするんだよね。

いや、いまどきそんなこと言ってるようじゃ、確実に時代から取り残されていくんだろうけど・・。

感覚が古いオッサンでスミマセン。
生まれてきてスミマセン。
勝手にプリン食べてスミマセン。

さて、このへんのクリエイターの葛藤というものを、アニメで描いてくれたのがこの作品である。

「映像研には手を出すな!」

おそらく皆さんも、この作品の中でアニメーター水崎とプロデューサー金森が対立したシーンは印象深いだろう。
あれこそ、まさに「生成AI」を巡る対立だったんだよ。

「生成AI」を使わず、あくまで「手描き」に固執する水崎

「生成AI」を導入し、あくまで効率を追求する金森

これはね、ようするに「中割り」を巡る議論だったのよ。
中割りというのは原画と原画の間を埋める繋ぎの作画のことを指しており、アニメのエンドロールの中では「原画」の次に必ず「動画」のアニメーターの名前が出てくると思うが、あの人たちはようするに中割り描いてる人たちである。
どちからかというと原画1軍動画2軍、というニュアンスもあり、若いアニメーターがキャリアを始めるのは大体がこの動画からだと思う。

ただ、最近ではこういう中割りを自動でこなせるAIソフトが既に開発済みであり、金森は「水崎ひとりに任せてたら納期に間に合わない」と判断して、このソフト導入に踏み切ろうとしたわけだ。
すると水崎はそれに反発し、「イヤだ、中割りも全部手描きでいく」と拒否したというわけだね。

金森「観客には手描きもソフトも見分けがつきません」
水崎「分かる人には分かるんだよ」

このシーン、私はめっちゃ好き。
特に、職人としての誇りゆえ、ソフトの介入を拒む水崎のキモチが痛いほど分かってねぇ・・。
彼女は「分かる人には分かる」というが、いや、そんな人ほとんどいないんですよ(笑)。
つまり、この議論では納期を優先する金森の方が明らかに正しい。
だけど水崎は納得しない。
・・そう、この理不尽さこそが真の職人というものの重要な核である。

さて、ここで重要なのは、映像研が人数たった3人のサークルに過ぎない、ということ。
これは3人で自主制作アニメを作る話なわけだが、じゃ、現実世界で成功をおさめた2つの実例を皆さんに思い出してもらいたい。

①DAICON FILM制作「DAICONⅣ」

②新海誠制作「ほしのこえ」

はい、おそらく皆さんもよくご存じの2作品ですよね。

①は庵野秀明岡田斗司夫山賀博之赤井孝美といった後のガイナックスメンバーが自主制作した伝説のアニメ。
対する②は、新海誠がほとんど1人で自主制作したという伝説のアニメ。

庵野と新海という今の日本アニメを牽引する2つの才能がともに自主制作畑から湧いてきたわけだが、ここで最も重要なポイントは両者が真逆ともいうべきコンセプトを示したというところにある。

①は手描き一本、人海戦術で作ったアニメ
②はソフトを導入し、少人数で作ったアニメ


まぁ、①と②では時代に十数年の隔たりがありますからね。
特に①の時代にはまだソフトなんて無かっただろうし、手描きの人海戦術でいくより他に選択肢は無かっただろうよ。
実際、アマチュアのくせに当時の現場では100名ほどのスタッフが稼働していた、とも聞く。

一方②は、新海さんがもともとゲーム会社勤務の人だったというのもあり、コンピュータソフトの知識に秀でた人だったんだろう。
それゆえ様々なソフトを駆使することにより、人海戦術とは真逆に単独でのアニメ制作が可能だったわけさ。

ただ、皆さんもこれをデジタルなアニメだとは解釈しなかっただろう。
・・いや、新海さん自身も、そっち側の人というわけではない。
事実、その後はコミックスウェーブフィルム等で人海戦術型に転じてるからね。
でも、「こういうやり方もある」と世間に示した功績は大きかったと思う。

さて、「映像研には手を出すな!」に話を戻すが、この作品の監督を務めた湯浅政明という人も、これまた実に絶妙な立ち位置の人である。
この人、サイエンスSARUの社長(当時)として、かなり少人数制のアニメ作りを模索してた人なんだよね。
特にFlashアニメを積極的に導入していた人だ。

・・で、当時からサイエンスSARU社内でも喧々諤々の議論は絶対にあったはずなのよ。
それこそ、水崎vs金森みたいに。

で、その顛末は果たしてどうなったのかは知らんが、

・湯浅政明は社長を辞任して、いつの間にかサイエンスSARUは東宝の100%子会社になっていた!

・湯浅さんと入れ替わりで京アニから山田尚子がきた!

・FlashアニメーターでスカウトされてSARUにきたはずのアベルゴンゴラさんが、なぜか普通に「ダンダダン」の監督をしてるw

という流れを見るに、湯浅さんが志向した「改革」は挫折に終わったと見るべきなんだろうね・・。

そう、一朝一夕に何かを変えることはホントに難しいんですよ。

特に日本には、ジブリを神とする手描き信奉の宗教観があるし・・

そのへんを考えると、アメリカという国はつくづくスゲーなぁと思う。
だって、我が国のアニメーターたちもみんな憧れていた手描きアニメの頂点ウォルトディズニーが、

ある日を境に、いきなり

手描きアニメより、今後はピクサーと組んで3DCGメインでいきます!

というトンデモない方向転換をしたんだから。

こんなドラスティックな方向転換って、日本じゃできるような気がしないんんですよ

だって、日本は昔から「出る杭を叩く」、ムラの文化土壌だから・・。

思うに、「生成AIアニメ」分野において日本は今後世界に後れをとるような気がしなくもない。
特に、韓国には圧倒的な差をつけられるかも?

ただ、私自身はこの状況をどう捉えればいいのか、いまだ分からないんですよ。


あっちへ行くべきなのか、それとも踏みとどまるべきなのか・・。
おそらくだが、今は日本アニメ業界そのものが迷ってる段階といえるんじゃないかなぁ?


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