「シンゴジラ」「-1.0」、新しい怪獣映画の本当の価値
今夏、日本映画界の話題を独占したのは「鬼滅の刃」と「国宝」だったのは皆さんもよくご存じでしょうが、特に「国宝」については、これまでずっとアニメの日陰になっていた実写部門にとってホント久々の大型ヒットなんだよね。

思えば、東宝もアニメでは新海誠作品や「名探偵コナン」など<ドル箱>のシリーズを所有してるものの、実写ではそういうシリーズ企画が特に無いんだよなぁ・・。
邦画の黄金期(50~60年代)には多分そういうものも幾つかあったんだろうが、少なくとも今は全く無い。
・・そうね、東宝で今でも使えそうなコンテンツを敢えてひとつほど挙げるとするなら、やっぱ、コレ↓↓の一択ということになると思うよ。
「ゴジラ」

なんのかんの言いつつ、東宝が世界に誇れる実写のコンテンツは「ゴジラ」である。
近年はハリウッドも制作してるし、あと庵野秀明「シンゴジラ」、山崎貴「-1.0」、ここにきて日本国内でも2連続で大型ヒットを記録している。
・・とはいえ、実のところ「シンゴジラ」と「-1.0」には何ら繋がりがなくて、ようするにこれ、東宝としての「ゴジラ」シリーズというわけでもないんだよね。
「ゴジラ」のシリーズとしては、これまで3つほどあったんです。
<昭和シリーズ>15作品
第1作「ゴジラ」(1954年)
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第15作「メカゴジラの逆襲」(1975年)

<平成シリーズ>7作品
第16作「ゴジラ」(1984年)
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第22作「ゴジラvsデストロイヤ」(1995年)

<ミレニアムシリーズ>6作品
第23作「ゴジラ2000ミレニアム」(1999年)
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第28作「ゴジラFINAL WARS」(2004年)

はい、シリーズとしては2004年作品「FINAL WARS」が最後だったみたいなんです。
じゃ、「シンゴジラ」と「-1.0」は何だったのかというと、いや、何だったんでしょうねぇ?
よく分かりません。
でも、山崎監督が「-1.0」の続編やるのはほぼ確実らしく、これがなし崩し的に長期シリーズ化していくような気がしなくもない。
そのうち<-1.0シリーズ>と銘打たれるんじゃないかな?
で、この3つのシリーズのうち、お薦めはどれ?ということだが、まぁ真のゴジラファンは、十中八九<昭和シリーズ>を推すでしょうね。
みんな、円谷英二特技監督を完全に神格化してるから・・。
でもさ、「シンゴジラ」を作った庵野秀明は
「僕は84年版『ゴジラ』が一番好きです」

と超意外な発言をしてるんですよ。
これには多くのゴジラファンが耳を疑ったと思う。
というのも、84年版「ゴジラ」は超地味な作品であり、ゴジラファンからの人気はお世辞にも高いとはいえないやつなんだ。
・・いや、これは別に駄作というわけじゃなく、むしろ政治ドラマとしては米ソの思惑に翻弄されて苦悩する総理大臣役の小林桂樹がイイ味出してるし、個人的には嫌いではない。
ただちょっと、怪獣映画としては硬派すぎるというか、真面目すぎるんだよね。
しかし庵野さんがこれを最高評価するとは、この人、実は「ゴジラファン」ではないのでは・・?とさえ思ってしまった。
と言いつつも、今思えば<昭和シリーズ>第1作目の元祖「ゴジラ」もまたそのドラマの作りは、かなり硬派で真面目なものだったよな・・。

<昭和シリーズ>と<平成シリーズ>に共通していえるのは、
最初は<真面目>だったのに、回を重ねるごとにだんだん<バカ>になっていく・・

という流れなんだよね。
私は少なくとも<平成シリーズ>の方は全部見てることもあり、「ゴジラ」の<バカ>化現象については割とよく知っています。
・・あ、まず<平成シリーズ>について少し説明しておくと、このシリーズは全部で7作品、その7つのストーリーが全部繋がってるんですよ。
84年版「ゴジラ」がシーズン1で、89年公開の「ゴジラvsビオランテ」がシーズン2、といった感じね。
で、この第2作目「ゴジラvsビオランテ」から、もう既に<バカ>化現象が生じ始めてるわけです。

このゴジラと闘ってる巨大怪獣↑↑が、本作のメインを張るビオランテなんだが、実はコイツ、人間サイドがバイオテクノジーを駆使して作った人造怪獣なのよ。
で、コイツの誕生には3種類の細胞(DNA)が掛け合わせられており、その内訳はというと、
1種類目⇒G細胞(ゴジラの細胞)

2種類目⇒植物(薔薇)の細胞

3種類目⇒沢口靖子の細胞

この3つを掛け合わせてできたのが、コレ↓↓です。

・・あぁ、言われてみれば動きが少し沢口靖子っぽいですよね。
たまに「科捜研の女」で出てくるトリッキーな動きです。


変身後の沢口靖子(たまに変な液を吐く沢口靖子)

そりゃ私も沢口ファンですからね、ビオランテは応援しましたとも。
・・いや、この「vsビオランテ」はまだいいのよ。
何のかんの言いつつも、ちゃんとメッセージ性もあってよくできたドラマである。
それより、問題は第3作目↓↓ですわ。
第3作目「ゴジラvsキングギドラ」

・・もうね、このあたりから<バカ>化が真骨頂になってくるのよ。
まず、いきなり未来人(23世紀の人間)がタイムマシンで現代日本にやってきます。
未来人がチャックウィルソンだよ~ん

で、コイツらが「一緒にゴジラを倒しましょう」と申し出るわけだが、実はチャックの正体は歴史改変(日本の壊滅)を企む悪人でして・・。

で、そのチャックの相棒がアンドロイドという設定なんだが、これが一応「ターミネーター」をオマージュしてるつもりなんだろうが、実際のところこんな感じ↓↓のなんですよ。
めっちゃ足が速いアンドロイド(笑)

酷い、いくら何でも酷すぎる・・。
でも、これの監督/脚本が日本映画界では大物とされる大森一樹監督で、彼も「前作(「vsビオランテ」)は一生懸命作ったけど、今回は・・」という言い方をしてまして(笑)。
なかば「失敗作だよね?」と自分で認めちゃってるかのようなニュアンス。
なのに、この「vsキングギドラ」の興収は「vsビオランテ」を上回ったんだよな。
この予想外のヒットに大森さん自身が驚き、あぁ、「ゴジラ」とはそういうコンテンツなのか・・と認識を改めたという。
というのも、この「vsキングギドラ」はドラマパートこそクソだが、特撮パートはそこそこいいんですね。


そもそも、一度ゴジラに負けたキングギドラが、次は「メカキングギドラ」(人間が中に入って操縦するタイプ)になって復活しちゃうような雑な脚本だったのに、意外とこういうノリでもファンは受け入れてくれたっぽい。
結局、特撮の出来が良けりゃ、多少のドラマの粗には目を瞑ってくれるのがゴジラファンというものなんだね?


で、もう少し特撮映画の根本的な話をすると、
実は東宝の特撮では「監督」と「特技監督」の立場が<対等>というのが伝統らしくてね。


このへん、本多⇔円谷時代の名残りなんでしょうか?
「ゴジラ」とは本多の映画か?円谷の映画か?と問われても、返答に困ってしまうのが実情だったらしい。
普通の映画なら、「作品は監督のもの」というのが一般的認識でしょ?
でも特撮映画は違う。
よってスタッフもドラマ班と特撮班に分離し、各々の監督が予算を握る感じだったんだろうね。
当然かもしれんが、監督と特技監督は作品の主導権争いから不仲になることもかなり多かったらしい。
よって、その両者を仕切るプロデューサーの手腕が何より問われる現場で、「ゴジラ」では田中友幸という大物プロデューサーが第1作目から一貫してそこを制御してきたらしいんだけどさ。
ただ、「平成シリーズ」の頃には田中Pもさすがに年老いてて、うまく裁けてたかどうかは怪しいものである。
監督は頻繁に入れ替わる一方、特技監督の方は一貫して川北紘一という東宝生え抜きの大物が続投し続けたんだ。

・・すると、現場では川北さんの方が監督以上の「ヌシ」になるわな?
で、こうして力関係で特撮班の方が強くなると、当然ドラマ(脚本)の方にも影響出てくることになるでしょ。
それこそ、特撮班が撮りたい内容ばかりプロデューサーが受け入れた場合、脚本が思いっきり<バカ>になると思うよ?
で、結局のところ話は冒頭の件に戻るが、
最初は<真面目>だったのに、回を重ねるごとにだんだん<バカ>になっていく

というのは、やはりこの<監督⇔特技監督>2頭体制というところに主因があるんじゃないのかなぁ?
・・あ、その点でいうと、「シンゴジラ」「-1.0」では特にそこが問題にはならなかったんですよ。
なぜなら
庵野(総監督)と樋口(特技監督)は仲良し

山崎貴は監督と特技監督を1人2役やりました

ある意味、庵野、樋口、山崎の3名で「東宝の特撮の伝統」をブッ壊したんです。
逆にいえば、だからこそ、あれほど首尾一貫した素晴らしい作品を作れたんじゃないの?
いや、ごめんなさいね、私も特撮には詳しい方じゃないし、ひょっとしたらトンチンカンなことを言ってるのかも。
だけどさ、監督と特技監督が<対等>の立場で映画を作るの、やっぱ構造的におかしくね?
そういう意味では、上記の3名が邦画界の新風になり、確実に何かを変えたと思うんですよ。
「シンゴジラ」と「-1.0」は、やはり画期的な作品だったということね。


