私は“B級キャラ”がちょうど良い
弱さと余白を抱えたまま、
世界を翻訳していく。
一流ではなく、B級のほうが、
遠くまで届くこともありそうだ。
■ はじめに
文章には、
読んだ瞬間に「すごい!」と感じさせるタイプと、
読み終わってからじわじわ効いてくるタイプ
があります。
私は、
自分の論考や文体が後者だと感じています。
スッキリとした結論や鋭い切れ味を狙っているわけではなく、
不器用で、余白が多く、
モヤモヤしながら、
読み手の中でゆっくり発酵していく、
そんな文章や表現が好きです。
こうした中、最近、
B級キャラクターについての記事を読んだとき、
私はふと気づきました。
https://renaissance-media.jp/articles/-/26234
zenodoで公開している私の論考も、
noteに備忘録的に置いている文も、
mediumに載せる短文も、
まさに“B級キャラ”の構造を
持っているのではないかと。
■ B級キャラは「不完全さ」を価値に変えます
B級キャラは、A級キャラのように、
完璧ではありません。
少し不器用で、どこか抜けていて、
でも、その“弱さ”は人が寄り添いやすい。
心理学では、こうした存在に対して、
「自分と似ている」
「守りたくなる」
という投影が起きるといわれます。
私の論考などは、
社会の“弱さ”や“ほころび”から、
その構造を読み解く姿勢を取っています。
たとえば
思考不能化論考3.8版 では、
制度や日常の中に潜む
「思考が止まる瞬間」
を扱いました。
それは人の強さではなく、
弱さの側から世界を見つめる試みでした。
不完全さは、欠点ではなく、
むしろ、読み手にとって、
自分を重ねる“余白”として働く。
■ 周縁から中心を照らす視点
B級キャラは、
中心ではなく、周縁に立つ存在とのこと。
地域の歴史や自然を、
「かわいい」という形式に翻訳し、
文化をわかりやすく伝える役割。
私の論考なども、
いつも周縁から始まっています。
昭和の食堂、
地方の小さな店、
日常の中の違和感、
誰も注目しないような現象。
そこから、
社会の構造を照らしてみたいという点では、
B級キャラの立ち位置と、
驚くほど似ていました。
たとえば 、
論考5.0(思考不能化の装置) では、
「小さな違和感」
から、装置の全体像を描き出す構造
を取りました。
これは、
周縁から中心へ向かう視点でした。
■ じわじわ効く“遅効性”の魅力
B級キャラは、
一目惚れされる存在ではありません。
むしろ、
見続けるうちに
じわじわ好きになるタイプ。
私の文章は、
決して派手な主張はありません。
結論はなくモヤモヤするはずです。
読んだ瞬間に「すごい」と感じるより、
読み終わってから静かに残るものを、
自分自身、大切にしたいと思っていました。
余白があるから、
じわじわ発酵していくのかもしれません。
不完全だから、
自分の経験に重ねられるのかもしれないと。
この“遅効性”は、
私の論考自体の本質であり、
B級キャラの魅力と同じだと感じたのです。
■ 不完全さは、翻訳装置になります
B級キャラは、
地域文化を「かわいい」に翻訳します。
私は、
社会の構造を「物語」に翻訳しています。
どちらも、複雑なものを、
誰かが受け取れる形に変換しようとする装置なのかもしれません。
そして、その装置は、
完璧である必要はありません。
むしろ、
不完全さがあるからこそ、
人はそこに入り込むことができる。
私の論考が扱ってきた、
「装置層の4作用 」や「関係温度」といった概念も、
一流の専門的な理論ではなく、
日常の感覚に寄り添う“翻訳”として
機能しているものだと思います。
■ おわりに
私はこれまで、
自分の論考などの記録にあたり、
「もっと鋭く書くべきではないか」
「もっとスッキリまとめるべきではないか」
と感じることがありました。
しかし、今回、
B級キャラの記事を読んで、
ストンと腑に落ちました。
私は、元々A級を目指していなかった。
最初から“B級キャラ的な文章”を置いていた。
不完全で、余白があって、
じわじわ効いてくる。
それでいい。
むしろ、それが自分らしくていいのだ、
と思いました。
処方箋より、サプリメントな効きめが
私にはとても心地よいのです。
※関連する論考
・思考不能化論考3.8版(Zenodo)
・思考不能化論考5.0版(Zenodo)
・英語版の短文(Medium)
yoitenki4110
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