生命淘汰システム
夢の続きを見るには短くて、起きてしまうにはもったいない。
何とも言えない時間に目を覚ます。
電線のムクドリは平常通り。
何の変哲もない朝である。
ただ、私はテレビの電源を入れることをためらい続けていた。
お雑煮の鰹出汁がコポコポと音を立て始める。
それを飲んで目が覚めたら試しなど一度たりともないいつものコーヒーに湯を注ぐ。
更に“ケ”らしさを深めてしまうこの香り。
ガーという効果音がふさわしい程に口を開け、鼻の穴をかっぴらきあくびをひとつ。
電線のムクドリは飛び去り、ギエエエエエエエエエエエエエエという警戒音の余韻だけが響く町内。
窓越しに見る、向かいの家のしめ縄飾りだけが“ハレ”を感じさせてくれる。
しかし、それは同時に今日という日が“平静”のメッキを施されただけの試練の1日であることをまざまざと思い知らせてくる。
トースターの中で膨れる餅を眺めつつ、苦い息を肺の奥底から吐き出した。
「おはよう」
寝ぼけた声と共にテレビの電源が入れられる。
──餅を詰まらせ……
アナウンサーの声はきちんと弔いの装いだが、その目は絶対に“言わんこっちゃない定期”をひた隠しにしているから私は絶対に画面を観ない。
ぷっくりと膨らむ四つの長四角を睨みつけていた。
遡ること2日前、買い出しから戻るや否や隣家方向から
「ギエエエエエエエエエエエエエエ」と事件臭がぷんぷん漂う音声がもたらされる。
怪しがりて寄りて見るに、もと光る竹はなく、ジャスナイ(蕎麦よりうどん派)及び門松がひっくり返っている。
その傍らには高圧洗浄機を構えるジャスナイの息子マー君。
いつもの「裏目に出た親孝行」の年末年始エディションである。
──デジャヴだ。
今月初めにも似たような事件が起きていた。
実はマー君、ついに念願のケルヒャーの高圧洗浄機を購入したのだ。
アラナイがウッキウキでシクラメンを買ってきたのと同じ金曜日に。
「今日はおふくろの誕生日だから……その、壁を……綺麗にしようと思って……」
※シクラメン爆破事件
前回はあんなに反省の色を見せていたマー君が今日は反省どころか空前絶後のドヤ顔をしている。
「今年はケルヒャーがあるから、おふくろがまた餅詰まらせても安心! ガハハ!」
What?
やめろ!
そういう問題じゃない。
「あ、あの……またってことは……」
と口走ったところで私はピリッとした痛みに顔を歪める。
斜め下から第九・第十肋骨に恨めしい視線が突き刺さり、ギリギリとねじり込まれている。
しかし気になる……
でも、痛い……
いやだめだ!
トランクの中の鶏肉が腐っちまう!
……後ろ髪は毛根もろとも消滅したが、鶏肉を無駄にせずにすんだわい。
めでたし。
こうして後頭部更地、脇腹血まみれの私が帰宅すると、天野がモッサモッサとメロンパン納めの儀に勤しんでいた。
【メロンパン納めの儀】
大晦日に大好物のメロンパンを食べること。
必ずその年のベストオブメロンパンをひとつだけ選出。
なお、三が日はメロンパンを食べてはならない。
──という自分ルール。
天野+メロンパンときたらこれはもう事件発生の法螺貝がブォォォォオブォォォォオと吹き鳴らされているも同然。
“ひさかたの”といえば光であるように、
ルビィちゃんがチョコミントよりもあ・な・たを好いているように……
天野とメロンパンが同時刻に一つ屋根の下に存在するとろくなことがない。
「ねえ! ただでさえゴキブリの数の方が多くて肩身が狭いというのにこの期に及んでゴキブリに貢ぎ物? もうゴキブリの要塞としてここを開け渡すつもりなの?」
「え?」
「もしやお前……GK(=ゴキングダム)の使者ではあるまいな?」
ここまで捲し立てておいて私はトイレへ走る。
空腹と尿意は人を狂わせるからな。
全てを水に流し、戻ると我が要望に応えるかの如く、天野がメロンパンを詰まらせている。
「っあーーーー!! 死ぬかと思った!! 変なところに入った……!!」
──本日二度目のデジャヴだ。
それは変なところでもなんでもなく気管だ。
気管の身にもなりたまえ!
管轄外のメロンパンなんぞぶちこまれて唐突にイレギュラー対応させられてた挙句“変なところ”扱いときたら。
「俺に変なものを入れるな!!
酸素以外のものを入れるな!!」
私が気管なら間違いなくストライキを起こすだろうよ。
全く、帰省ラッシュの関越自動車道じゃあるまいし。
詰まるな!
詰めて良いのはおせちのお重だけだろうよ、この時期は。
──餅にはよく注意をして……
画面を見てしまった。
幸いアナウンサーは映っていない。
しかし、今年も生命淘汰システムとしての餅に挑む者数知れず。
フライングチャレンジした者もいると風の噂で聞いている。
突き抜けるような青空のもと、私は絶望している。
嗚呼……
人はなぜ年の初めに、運試し的に命をかけた審判に挑んでしまうのか。
私は焼き上がった餅を小松菜、サバイバー鶏肉、なるととともに腕に入れる。
かしこまった“ハレ”の出汁を注ぎ、食卓へと運ぶ。
およそ一年ぶりの雑煮に、私は恍惚としている。
出汁に浸された焼き餅の香ばしさ、なめらかな口当たり……
噛み締めるたびに深まる温かな甘み……
散々憂いておきながら、私自身も果敢に挑んでいるではないか。
命をかけた黒ひげ危機一発に。
ザリ……
……ん?
……おお?
右奥歯にむず痒い空洞を感じる。
……詰め物が淘汰されちまった!
だがしかしちょうど良い……
餅食って歯の詰め物が取れた私は衣を着せてやる歯がないから単刀直入に言う!
──黒ひげ危機一発的に餅を使うな!
生命淘汰システムとしての餅に果敢に挑むことなかれ!
全く、物心ついたころから晴れやかな新年というものを味わった試しがない。
ある年からはクリスマスあたりから我が憂鬱が始まるようになった。
「来年は……いくつの命が消えていくのだろうか……餅で。」
きらびやかなイルミネーションを見ても、豪華なディナーで胃を満たしても、漠然とした不安と掴みどころのない惧れはこびりついて消えてはくれなかった。
クラスメイトどもが終業式の日にサンタクロースからの贈り物を自慢しあう中、私だけが頭を抱えて
「餅……餅……」と唸っていた。
その数日後、私は慣れぬ夜更かしのあとのだるさのままにテレビを眺めていた。
餅により淘汰された尊き命にまつわる原稿を厳かに読み上げたアナウンサー。
今年もか……
胸が詰まりため息をつこうにも出ていってくれない。
古くなった酸素が腐っていく感覚を覚えた。
この年はいやに多かったことを記憶している。
たしか8人、一気に。
しかし、これに続くニュースは驚くべき程に無関係かつ底抜けに明るいものだった。
何かはわからないが画面いっぱいにキラッキラの笑顔が映し出されていたことを覚えている。
映像が切り替わるとそこには、厳かなままのアナウンサーの姿。
しかし、声だけは羽つきの羽の如く弾んでいる。
表情と声色の乖離に私は並々ならぬ恐怖心を覚えた。
ますます一月一日への畏怖の念は深まっていく。
そのくせ今の私ときたら、憂鬱な上に詰め物までとれてコンディション極めて悪しきことこの上ないというのに餅を貪っている。
それもあまりの餅の美味さに油断して、必死すぎるハムスターの如く詰め込んでいる。
「生命淘汰システムとしての餅、私が物心ついた時にはもうあったよ?」
「だから、お前が物心ついた時に生まれていなかった世代の方が多くなってきたんだよ。」
「あらそう、ごめんなさいね。私も随分と歳を食ったものだわね……」
「淘汰される時は、記憶どもが走馬灯の如く駆け巡るんだろうな……」
「いいえ、迷える仔羊のようによ。」
今日、鬼界でM-1が開催されたなら迷わず“来年”の話をする。
確実に爆笑をかっさらえるからな!
↑
マー君はジャスナイ宅の後ろに山小屋風の家を構えている。
ケルヒャーの高圧洗浄機で近所のヤンキーと仲良くなった。
ドイツ人並みにビールを愛する男。
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気管には水や食べ物を入れてはならない。
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●●の要塞の算出方法はこちら。
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お・ぬ・し