マリリン・マンソンvsフジツボ
マリリン・マンソンとにらめっこをしている。
かれこれ三時間だ。
依然として勝敗はつかず、両者譲らぬ状況である。
キツかったのは最初の三分だけで、あとはもう無の境地。
互いに互いを空気として受け入れている。
とはいえ今度はマリリンの白塗りの下の眉毛の萌芽の予感にニヤケが止まらない。
彼の毛細胞とは裏腹に真っ白を貫く我がパソコンの画面。
やうやう白くなりゆく我が顔。
もはや塗らずとも白!
蒼白!
それにしてもあまりの不動の刻が長過ぎて、すっかり尻と背中が椅子に貼り付いてしまった。
いけない!
碇ゲンドウの形で居眠りしておったわい。
これじゃあ岩にこびりつくフジツボだよ!
マリリン!
せめて、パソコン前のとげぬき地蔵になりたかった。
だがしかし現実は椅子にこびりつくフジツボである。
それも、あろうことか碇ゲンドウ型フジツボ。
そして私は今無性に腹が立っている。
だから、己の「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!」というモラハラもいいところな台詞に屈しエヴァに乗ったシンジ君を引きずりおろして初号機に乗ってやりたいくらいだ!
だが体重が二百キログラムもある。
エヴァに適合する以前に私に適合するサイズのプラグスーツがない!
無念!
──時は二〇二一年。
世間はコロナウイルスに翻弄されていた。
咳払いひとつで疎まれ、蔑まれ、排除される。
そんな世界線で何を血迷ったか私はジョブを看護師に変更してしまった。
気づいた時にはチュートリアルが完了しており、所属ギルドも決められていた。
キャンセルボタン(B)を連打するも、無情にも画面は進んでいく。
気づけば黒雲の下の白き世界にぶち込まれている。
定められた運命に逆らうことなどできず、ガラス一枚隔てた空を自由に飛び回る鳥たちを睨み続けていた。
……ってなんの話だよ!
あまりにも頭の中がとっ散らかって、看護師だった過去をRPG化しちまったよ……
フラッシュバックするなら脚色せずにフラッシュバックしてくれ。
──ここは、怒りと哀しみにその翼を折られた悪意の天使が集う悪の巣窟。
私が所属していたICUは、慢性的な椅子不足に喘いでいた。
そしてこの日は仲違いする悪意の天使たちに業を煮やしたパソコンがほぼ一斉に自決。
三人の翼の折れかけた天使は肩を寄せ合い一台のパソコンを囲んでいた。
「ちょっと、新人!」
「はい!」
「はい!」
「はい!」
ヒメ、マイちゃん、私は一斉に振り向く。
入職から一ヶ月、“新人”とひとまとめにされた際は
立っている位置の左から順に「はい!」と言いながら振り返るというささやかな抵抗をしてきた。
回転式のキャスター付き椅子にどっかり座るアンジェリックゴーレム(※先輩看護師)は、呼びつけたくせにこちらには目もくれず爆発的にキーボードを叩いている。
私たちは今にも折れそうな翼を背負ったまま彼女を取り囲むように厳かに佇む。
よく見ると、エンターキーがひしゃげている。
「あのさあ……」
パァァァァアン!!!
私は反射的に目を閉じた。
おそらく、エンターキーが逝った。
とどめをさされたのだろう。
……すまない、St.エンタキ。
お前の骨は俺が必ず拾うからな……!
「ジョジョのスタンドみたいにそこに立つのやめてもらえないかなあ?!」
「グハァッ!」
わりと遠くに座っていたはずのすっとぼ研修医が床に崩れ落ちている。
相も変わらず指導医を立たせ、自分が座るという無礼をはたらき指導医の腰が爆発しかけている。
左隣でマイちゃんがうつむき、今にも溢れ出しそうな何かを堰き止めながら震えている。
右隣でヒメが低過ぎる天井を仰いでいる。
目の周りが赤く染まっている。
私はゴーレムの両羽根の間で磔にされているコバエから目が離せない。
加えて自分の腕に大量にくっついているコバエを払うことに忙しい。
ガゴッ!!
鈍い音がしてアンジェリックゴーレムと椅子とが倒れかかる。
しかし瞬間、彼女は椅子を自分の尻にぴったりとつける形で立ち上がりそのまま何事もなかったかのように方向転換してキャスターを再度床に設置させた。
「あのォ、この記録ね……S情報(※患者本人のしゃべった内容)の“轍”はってさ、この誤字何回やるの?」
「はい、申し訳ないです。」
「ほぼ毎回じゃない?」
「はい、その通りです。すみません。轍だけに。轍を踏みまくってますね、私。」
「誰も上手いこと言えとは言ってない。轍だけならまだしも、毎度毎度こうやって注意してる私の気持ちも踏みにじってるんだからね?」
お言葉だが、確かに前例ある失敗を繰り返してはいる。
だがそれはそれだ。
アンタの心は踏みにじったかもしれないが、轍のことは踏みにじってないない。
轍は踏んだだけだ。
そして気づけ!
轍を踏んだ、それはつまりこのミスの創始者は私ではないのだ!
フハハハハハ!!!
私は悪くない!
私ははめられたに過ぎない!
恨むのなら師長を恨むがよい!
必殺・責任転嫁をお見舞いしてやったぜ。
ガゴッ!!
再び鈍い音がしてバランスを崩すゴーレム。
「もう! 何この椅子!」
とぷんぷんしているが、椅子の方も椅子の方で思っていることだろう。
「何、このゴーレム! 耐荷重オーバーで首が回らん!」と。
再び尻に椅子を貼り付ける形で方向転換を始めるゴーレム。
そのシルエットが、世紀末のハシビロコウといった具合で耐え難い。
我思う。
ゴーレムだって轍を踏み、椅子の頭をケツでにじっているじゃないかと。
なお、ゴーレムの場合は直前の自分で作った轍にまんまと引っかかる自滅型である。
マイちゃんが身体を右に全力で傾け、私に耳打ちする。
「ハヒィ……我々の……ス……スタンドとしての役目は済んだのかな?」
「んぐっ!」
「た……たぶん。」
その後も世紀末のハシビロコウは延々同じ位置で微動だにせずパソコンに拷問を加え続けている。
午前九時四十五分、私は汚物室に閉じ込めらた。
「開けろやボケェ!!!!」
基本的に叫びなど無意味なこだまと化しがちな極めて黒に近い白き世界で、珍しく救済の手が差し伸べられ命からがら悪の巣窟(=ナースステーション)へ戻る。
アンジェリックゴーレムは依然として変わらぬ姿でエンターキーをいじめ倒している。
午前十時三十分。
防護服という名の全く整わせる気のない着るタイプのサウナに苦しめられている間もガラス越しに彼女の姿を確認したが、微動だにしなかった。
否、途中椅子ごと移動して据わったまま注射器に薬を詰めているのが見えた。
その姿はさながら、火縄銃に弾薬をこめる敏腕のマタギのようだった。
ただでさえN95マスクでヒマラヤ山脈を疑似体験しているというのに、いつの間にやら宇宙空間に飛ばされていた時のそれに等しかった。
※どれだよ
十三時、私は汗だくのまま職員食堂に駆け込む。
冷やしうどんを注文するつもりが脊髄反射でかき揚げうどんボタンをグイッと押し込んでいた。
もちろん、銀色を背景に堂々とお出ましになったのは“かき揚げうどん(熱)”の食券である。
ところで、なぜこの病院の食堂は、食べ物の温度を
「熱・冷」で表記するのだろう。
一般的には「温・冷」ではあるまいか?
自販機だって、「つめた〜い」と「あったか〜い」だった気がするぞ!
「あつ〜い」なんてそんなお色気自販機見たことないぞ!
私はひたすらに自問自答を繰り返していた。
そして、あつ〜いかき揚げうどんを頬張ろうとしたその瞬間。
「ウォッツかれさまです〜」
カレーの匂いを引き連れてすっとぼ研修医がやってきた。
“ウォッツ”が気になるが、そんなことを掘り下げて得られる対価は期待できない。
だからスルーだ。
「おつかれ様です。」
「今、休憩ですか?」
……いや、どう考えても休憩だからかき揚げうどんのスタンドとして湯気の後ろに鎮座しとるんじゃい!
休憩でもなんでもないのに誰がかき揚げサクサクできるとお思いか!
ワシ、病棟においては尻を据える場所もなけりゃ肝も据わってないんじゃ!
毎日ビクつき過ぎて断層の方が私の揺れに驚いているくらいだろうよ。
まあ尻を据える場所がないのはこやつが悪の巣窟に常駐しているのも原因のひとつではあるがな。
とにもかくにも私はイライラしていた。
この時すでに文字という文字全てがガラガラと崩れ落ち、瓦礫と化すという症状に見舞われていた。
だから仮に巣窟に、尻を据えるための椅子が送り込まれようともこの苛立ちがどうにかなるということもなかろう。
サクサクイライラ……サクサクイライラ……
サクサクイライラ…….サクサクイライラ……
横並びのすっとぼ研修医のカレーの匂いも相まって、かき揚げカレーうどんの味わい。
カロリーの上乗せ。
しかし、幸いゼロキロカロリーである。
かき揚げが汁を吸いバラバラにならんとした時、私はつぶやいた。
「あいつ、フジツボなんでしょうか……」
「え?」
「フジツボ……」
「フジツボ……ヤッちゃってる人か……」
「え?」
「光源氏とヤッちゃってる……」
「違いますゥ! そっちじゃないですゥ! 岩とかカニにくっついてる方ですゥ!」
「あ、ああ! ああ! 俺、去年フジツボで怪我しましたよ!」
まさか医師から『源氏物語』ネタを返されるとは思わなんだ。
間髪入れずに気づけなかったワシは文学士の学位を返還せねばなるまい。
とんだフジツボ違いで変な空気になったまま、昼休みを終える。
フジツボで負傷した男と共に巣窟へと戻ると、背後でに椅子を持ち、尻にぴたりとくっつけた状態でアンジェリックゴーレムが近づいてくる。
「いい加減にしなさいよ! 言ったそばからまた轍を踏む……」
フォッフ!
笑止!
どう見ても巨大フジツボ!
椅子に寄生せし巨大フジツボ!
フジツボならぬ椅子の局!
私はその場に膝から崩れ落ちた。
その床はこの世の終わりのような音を立てながらガラガラと崩れていく。
瓦礫に飲み込まれてゆく。
身体は宙へと放たれ、私は堕ちて堕ちて堕ちていく。
堕ちた先もまた悪の巣窟。
そこにもまた、違う顔をしたフジツボがいた。
その隣の巣窟にも、フジツボがいた。
私はなけなしの友人に尋ねた。
近隣の病院にもフジツボの存在を認めた。
途端に院内を満たす消毒液の香りは磯の香りへと変性していった。
そこから、もう記憶がない。
──夜が来た。
マリリンはまだパソコンの右斜め上で睨みをきかせている。
また私はここで目を見開き、フジツボとして朝を迎えるのだろう。
「もう……もう私は……二度と目覚めたくない!」
「ならば、眠るな。」
「え?」
「眠らなければ目覚めなくて済むぞ。意識を全て地続きにするのだ。」
おっと、いけない。
また碇ゲンドウの形で居眠りしておったわい!
朝から晩まで私のがん飛ばしに耐えるパソコンがあまりにも不憫だったので、画面の右上にマリリン・マンソンを貼り付けたのだよ。
これは学生時代からやっていて、いよいよどうしようもなくなった時にやる裏技だ。
刺激が足りなければその傍らに、鳥肌実氏も配置するとよかろう。
しかしだ。
マリリンを持ってしてもこの身のフジツボ化は止められなかった。
なんたる強靭ぶりなんだフジツボ……
フジツボ……
【看護師系記事】
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国家試験の解答用紙が開始早々廃止された。
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