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繊細無職の生存戦略 | 無職1ヶ月目。心病んで、心理カウンセラーの資格を取るまでの心境。



立ち止まった景色の中で、起きた心の変化。


不意に、その日は訪れた。
プツンと糸が切れたような音が、どこからか聞こえたような気がした。

​昨日まで、当たり前のようにこなしていた満員電車での通勤、関わる人みんなの顔色を伺いながらの業務調整、デスクに積み上がる未処理のタスク。

業務を淡々とこなす日々の繰り返し。

それらすべてが一つ一つ積み重なったからなのか、心をじりじりと消耗し、尽くしたせいなのか、ある朝、そこにはベッドから動けなくなった自分がいた。

うつ病と診断されてから休職し、1年弱が経とうとしていたとき、
「あ、これだけ休んでおいて、会社には申し訳ない気持ちしかないが、もう復帰は無理かもしれない。」と、心の声が聴こえた。

そして、会社を辞める選択をした。

私の手元に残ったのは、空っぽのスケジュール帳と、ボロ雑巾のような心だけだったが、辞めると決断してからの数日は、少しだけ肩の荷が下りたのか、気持ちはどこか穏やかでいた。

以前は肩書きもない、社会へ何も与えられていない自分には価値がないと焦っていた。何かに追われるような感覚が常につきまとう。だから、とにかく社会に取り残されないように必死だったように思える。

心の病を経験して、私の捉え方は少しずつ変わっていった。

特別な肩書きも、高級な腕時計も、誰かに誇れる成功体験も、それらがないと立っていられない自分を卒業すること。

何にもとらわれずに、自分として生きると。

しかしながら、いざ、退職して無職になると、社会に出てから初めての経験なわけで不安はよぎる。
人は全ての不安を消し去ることはできず、何かしらカタチを変え、色を変え、不安は押し寄せてくるのだとわかった。無職になった直後は、うつ病の時に近い、深い闇の中に迷い込んだような感覚に陥った期間もあった。

​けれど、その内なる心は闇でも、何もないからこそなのか、何かを行動に移したいという熱が込み上げてくる。そこに、思考停止していたどん底の時期との違いを感じ、自分の中での大きな進歩だと思えた。

一番はじめに手に取ったのが、先ず人生でやっておきたいことを紙に書いていくことだった。リストアップとかそんなかっこいいものではなく、なぐり書きに近い箇条書き。ただただ、想いのままに。

書いたことの中で、いま出来ることを一つ一つ始めてみる。そんな取り組みをスモールスタートさせた。

その中でも、最初に始めたのがエンディングノートだ。


次に、箇条書きの中の一つをやることを決めた。
それが、心理カウンセラーの勉強だった。


​「資格」の勉強というより、自分を知りたい。


​世の中には、キャリアアップや転職のために資格を取る人が多い。もちろん、それは素晴らしいことだと思う。

でも、心に傷を負い、人一倍「繊細(HSP)」な気質を持つ人にとって、資格取得の目的は少し違っていてもいいのだと気づく。

​私が今回、手にとったのは「JADP認定メンタル心理カウンセラー®」の講座。

この講座を経て、資格を取ったからといって、明日からすぐにプロのカウンセラーとして、バリバリ働く自分を想像していたわけではない。

​私が求めていたのは、肩書きではなく「自己理解」という名の、自分自身への処方箋だった。

​これまで、どれほど自分の感情を蔑ろにしてきただろうか。

「これくらいで、疲れてちゃダメだ。」

「みんなは、もっと頑張っている。」

そうやって、自分の心の声を押し殺しては、外の世界に適応しようと必死だった。外にばかり、ベクトルが向いていた。

繊細さんは、他人の感情のちょっとした動きを感じとるのが得意な反面、自分の内側で起きている火災には驚くほど無頓着なことがある。燃え尽きたり、火傷してから、気づいたりする。

「あ、これは火事だったんだな。」と。

繊細なわりに、自分には案外、ズボラだったりするのだ。

無職になってすぐは、闇の中に心が吸いこまれ、無気力も相まって、何をするのも億劫すぎた。勉強を開始しないまま、平気で2週間が経っていた。退職の手続きだけでやっとなキャパシティの自分にゲンナリした。

その頃、理由は分からないが、「そろそろ、始めないと。」とようやくやる気スイッチが入り、​勉強を始めてみると、思っていた以上に、のめり込む自分がいた。

気づいたのは、テキストに書いてある「心理学と哲学の基礎」を知っているつもりだったが、うわべしか知らなかったということ。
そして、勉強と同時に、頭の中では、また内省が始まる。

なぜ、あんなに苦しかったのか。
なぜ、常に不安がつきまとっていたのか。
何と闘い、何と葛藤していたのか。

学問という客観的なフィルターを通すことで、ようやく自分を「責める対象」ではなく、「理解する対象」として見ることができるようになった。


ハードルを下げ、​「小さく始めてみる。」

​心が折れた直後は、大きな目標を立てる必要なんてない。むしろ、立ててはいけない。

いきなり、「何か小説のようなものを書きたい。」と思い、400文字の原稿用紙を前に立ち尽くすより、今日感じたことを一行でも、日記に書く。

分厚い参考書を読破しようとするより、まずは一日一ページだけ開いてみる。

​こうした「小さく始めること」の積み重ねが、少しずつ自分を形作っていく。

ここで大切だったのは、ハードルを徹底的に下げてあげることだった。

繊細さんは、完璧主義の傾向が強い。だからこそ、あえて「不完全な一歩」を許してあげてほしい。資格の勉強も、試験に受かること以上に、時たま内省の時間が加わり、人よりも脱線が多い。けれど、その「自分が何に共感し、何に救われたか。」を感じるプロセスそのものにも価値があると思えた。

私も、この心理カウンセラーの資格を資格を勉強しようと思ったきっかけは、いじめられている小学生の娘に何かしてあげたい気持ちと、自分自身を知るためであった。

​一瞬でも、誰かを救うために。

あるいは、迷子になった自分を救い出すために。

そんな純粋な動機で始めた学びは、知識として頭に入るだけでなく、じわじわと心の栄養になっていくことがわかる。

​自己理解は、自分への一番の優しさ。


少しずつ心が回復してきて、何かを始めたいと思っているなら、知っておいてほしいことをこれから述べたい。

今、何かを学びたい、自分を変えたいという微かなエネルギーが湧いてきたなら、まずは「自分を知る」ことにその力を使ってみてほしい。

​自己理解を深めることは、自分を甘やかすことではない。

自分の特性を知り、何が地雷で、何が癒やしになるのかを少しずつ始めながら、明確にしていくこと。それは、また、自分が壊れそうなときに効いてくる。
「今の自分を知る。」を繰り返しやっていくことが、最強の防衛策なのだ。やがて習慣となり、自分軸が形成される。


さいごに

​無職になり一ヶ月が経ち、無事に資格を取ることができた。



資格証という一枚の紙は、合格したことの証明以上に、「私は私を理解しようと一歩踏み出した。」という、再生の記録だと受け止めている。


かつての私のように、繊細で、人間という仕事に疲れ、心病んでしまい、限界を感じ、立ち止まってしまった人がこれを読んでいるのなら。

「焦らなくていい。」と伝えたい。

世の中のスピードに無理に合わせる必要もない。

​まずは、一番身近で、一番放っておかれた「あなた自身」の声に耳を傾けることから始めてみよう。

小さく始めたその一歩が、いつか誰かの心を照らす灯火になる日が必ず来るから。


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