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【オトナになることのうた】米津玄師 その7●「烏」に秘められた、大人になることへの思い

お心当たりがない?

最近の口ぐせなんです。

これは3、4年前、とある場所のとあるカウンターで言われた言葉でして。「あなたには覚えがないことなんですね?」と、数回ほど念を押されるように訊かれまして。ただ、字面と違い、向こうの話しぶりはていねいで、決して無礼ではなく。でも僕に落ち度はなし。
そんな状況で差し向けられた、「お心当たりがない?」。
言われながら思ったのは、「お、お心当たり? とは? それが、ない?」ってこと。自問しながら、脳内では自分で自分の心臓を指さしてる感じ。なので、「は、はい」的な返事をするばかりでした。
だってー。お心当たり、ほんとになかったんですわ。心に当たるものナッシング。ラッシングはどうか成長してほしい(ドジャースの捕手)。嶋村捕手は一軍に置いてほしい(阪神タイガース)。
この一件が今でも頭から離れず、ふと「お心当たりとは」と思ったりします。意味もなく、カミさんに「お心当たりがない?」とツッコむとかね。

お心当たりがない日常ですが、新しいスマホの導入は前向きに検討中です。情報を集めまくり。
しかしスマホの買い替えを考えるたびに、取材で某夏フェスに同行した編集者が、自分のスマホを会場内のトイレに、ぼっとんと落っことしてしまったアクシデントを思い出すわ。アーメン。しかも2例あったというね……お疲れでごんす。手塚治虫調。おむかえでごんす、か。

そんなフェスシーズンが本格化する前の季節。今日の台風を懸念しながら、みなさまの無事を祈りながら。
今回も米津玄師です。

「烏」の集団的な熱狂からの、リアルな、絶妙な、距離感


米津玄師の新曲「烏」はすでに音源もビデオも発表されている。先日はこの上に、MVのショートアニメ版がアップされた。

前回も書いたように、これは2026NHKサッカーのテーマ曲である。ワールドカップに向けた曲ということだろう。

これは4月28日に発表された米津本人のコメント。


NHK サッカーテーマソングとして「烏」という曲を作りました。
長年愛してきたサッカーをテーマに、今この時代に、他でもない自分が作るのなら一体どういう曲がいいだろうか?と思案しながらいろいろ試みた結果、出来上がったのは自分でも拍子抜けするくらい個人的な曲でした。サッカーという大きな構造の中で、前を見据え屹立し続ける人々が、集団であると同時に健やかなる個人でもあってほしいという願いを元にこの曲を作りました。よろしくお願いします。


この後、5月に入ると、10日の『サンデースポーツ』でも彼自身へのインタビューがOA。
さらに下旬からは『2026NHKサッカーテーマ 米津玄師「烏」』という5分番組もたびたびOAされている。

なお、本大会の開幕直前には、米津と遠藤航キャプテンとの対談が収録されていたが、これは遠藤選手がチームを離脱することになったため、放送自体が見送られた。関係各所は調整して実現させただろうに、残念である。


さて、このうち、『2026NHKサッカーテーマ 米津玄師「烏」』から、彼自身の言葉を拾ってみた。全部ではないが、主だったところを追っていこうと思う。

前回紹介したほかのインタビューでも似た話をしているが、米津は最初に、サッカー日本代表のユニフォームの左胸に烏のマークがあること、それから昔、自分の住んでいた家の屋上に来る烏たちとコミュニケーションを取っていたことなどを語る。

以下は、この番組の中盤からのコメント。

ピッチの中にいる選手もそうだし 監督もそうですし
サッカーっていうものに携わってる人たち
一人一人の それぞれの人生っていうものを
個別に肯定できるようなものにしたかったんですよね

もちろん勝つとか 優勝するっていうものが
大前提のみんなの共通する目標だったとしても
それぞれがこれまでやってきた人生っていうものは
全く個別のものであって
どんどん大人になって 複雑になっていって
責任も増えるけれども
子供の頃の自分みたいなものが 消えてなくなるわけじゃない
どれだけ複雑に大きく重たく 責任が乗っかったとしても
その中にあるブロック1個みたいなものが
ちゃんと把握できてさえいれば
全てのことは さしてどうでもいいというか
そういう気持ちが強くありますね この曲に


この話の内容は、先ほどの公式のコメントでの「個人」「集団」という言葉と重なるところがある。

つまり、「一人一人の それぞれの人生」「個別に肯定」「みんなの共通する目標」「それぞれがこれまでやってきた人生」「全く個別」といった言い方。
そして、「その中にあるブロック1個みたいなもの」。

サッカーというスポーツと、その国の代表チーム、そして彼らを目いっぱい応援し、一体であることを前提として熱狂する国民レベルの集団、その興奮。
彼はそうしたところから、彼なりのスタンスで、リアルな、そして絶妙な距離をとりながら、この曲を書いたのではないかと思う。

集団的熱狂、それが生み出す同調圧力的な空気。おそらく彼は、こうしたものには違和感を抱くような人なのだろう。

これについては、前回のエントリーでも触れた。

米津自身は、少年時代にサッカーをやっていて、ただし本格的にハマったのは10年ぐらい前のワールドカップを観てからとのこと。
番組では、カタールでのW杯の時にメッシを応援していたことを話している。

一緒にしてもらいたいわけではないが、このへんの感覚は僕にもあるし、こういう人は多いと思う。チームでの、集団での一体感や達成感は嫌いじゃないし、人間が力を合わせる行為は本当に素晴らしく、尊い。そしてそこでいい結果が出たり、悪いことがあったりするのを分かち合うのは、人としてすごく意義があることだと思う。
ただ、ひとつ間違うと、それらは暴力的な同調圧力と化す危険性をつねにはらんでいる。それは怖く、恐ろしいことだ。集団の熱狂が生み出すものゆえの恐怖という、ネガティヴな要素である。

米津はこうしてサッカー中継の楽曲を依頼され、その歌を世に出した。それもあって、公式コメントにおいてはそうしたスポーツの集団性の影の部分には触れていない。ただ、この危うさから彼なりに距離を置いているようにも感じる。

こうした姿勢が米津らしいなと僕が思うのは、過去に「パプリカ」を書いた時のインタビューでも近いことを語っていたからだ。

「パプリカ」については、このnoteでも書いた。

Foorinに「パプリカ」を書いた時の米津は、世間一般で思われるような応援ソングを作ろうとは考えていなかったという。


やっぱり「応援ソングを作ってほしい」と言われたときに、果たして自分にできるかどうかを考えたんです。わかりやすい、大きな応援ソングというものに対する嫌悪感が、子供の頃からすごくあったんです。

――大きな応援ソングへの嫌悪感、というと?

わかりやすく大きなもの、広いもの、壮大なものに対する不信感はまず第一にあって。たとえば、いろんな応援ソングを聴いても、すごくいい曲だけど、あそこで歌われてる歌詞を、俺は信じられないんですよ。そういう人間として生まれ育ってしまったんです。だから、自分はそれとは違う応援ソングを作らなければならない。そういうデカいものじゃなくていいと思ったんです。


もう一度、補足しておきたい。
先ほどのカタール大会でのメッシをすごく応援したエピソードがあるように、米津自身、スポーツに熱くなる性質がないわけではなさそうだ。スポーツの面白さ、興奮に理解があり、シンパシーを持っている人なのだと思う。冷めているわけでは、決してない。
ただ、単純に鼓舞するような、みんなで一斉に盛り上がるだけ、みたいな応援歌を作るようなアーティストではないということだ。

実際、今回の「烏」は、無尽蔵な熱気を生み出す歌ではなく、浮遊感のある音色が舞う、ポップでピースフルな曲調になっている。そして本人いわく「出来上がったのは自分でも拍子抜けするくらい個人的な曲でした」とのこと。


<僕が生まれたのは/誰かの為じゃなかったんだ>


ところで、もうひとつあらためて書いておきたいのは、この歌についての彼のコメントにも、大人であることと、子供だった自分の話が出ている点である。
くり返しになるが、先ほどのNHKで話されたこのくだり。

もちろん勝つとか 優勝するっていうものが
大前提のみんなの共通する目標だったとしても
それぞれがこれまでやってきた人生っていうものは
全く個別のものであって
どんどん大人になって 複雑になっていって
責任も増えるけれども
子供の頃の自分みたいなものが 消えてなくなるわけじゃない
どれだけ複雑に大きく重たく 責任が乗っかったとしても
その中にあるブロック1個みたいなものが
ちゃんと把握できてさえいれば
全てのことは さしてどうでもいいというか
そういう気持ちが強くありますね この曲に

番組を観て、彼の話を聞いていた時、ここのくだりは最初、ん? どういうこと? と僕は感じた。
さっきまで書いた、集団の熱狂から距離をとろうとするスタンスはすぐに理解できた。しかし話はそこから、自分が大人になって責任を持つようになること、その中でも子供の頃の自分は生きていること、という話の流れになっている。やや唐突なふうにも思える。

考えてみた。
つまり米津は、このふたつの事柄……人が集団性に絡めとられることと、子供が大人になることとの間には、密接な関係があると捉えているのだろう。
大人になって責任を持つこととは、家族や親族、友人知人、地元とか仕事関係、そして社会、世界と、無下にできない集団の中に身を置きながら、そこで義務とされることを果たし、税金だって払いながら、ルールや秩序を守りながら、生きていくことである。その中には、法律はもちろんのこと、古いしきたりや規則、因習や慣習に従わないといけないことだって起こりうる。
逆に言えば、子供の頃は、そうした生活の中にいたとしても、ある程度は(人や場合によってはかなり)無責任でいられる。まるでモラトリアム、無罪放免であるかのように。

大人になるというのは、しんどいことなのだ。
でも米津玄師は、そんな中でも<漫画の世界>のような、子供の頃に大切にしていた自分を失うことなんてしなくていいよ、と唄ってくれている。
それを大事にしながら大人になっていってもいいんじゃないか、ということだろうか。

そして「烏」の歌詞で<上手く言えないけど僕が生まれたのは/誰かの為じゃなかったんだ>というのは、こういうものを全部ひっくるめて、端的に表しているはずだ。
……と言うと、ちょっと短絡的で、大雑把か。でも、古いルールに従うことで、自分の中の大切なものを捨て去ることなんてしなくていいよ、と言ってくれてる気はする。

そんな米津に、僕は積極的な感情を抱く。


先ほどの番組の最後に、彼は今回のワールドカップ大会に向けて、こう話している。

思い残すことがないような 清々しい試合をしてほしいなとは思いますね
それをちゃんと見守りたいなとは思っていますね

W杯の試合自体を楽しみにしているのは、本心だと思う。ただ、ここでむやみに、必勝!とか、全力で勝利を! みたいな言い方をしていないのが心に残る。

「烏」が米津らしい曲であることを、うれしく思う。



千石の喜三郎農場にて
卵かけご飯定食(たまご1ケ)、600円。
生卵は「日本海食べて ご卵」を、
この後にかけた醤油には
日本たまごかけごはん研究所 公式醤油を選択。
とても豊かなTKGの味わいでした~

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