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【オトナになることのうた】佐野元春 その4●「大人のくせに」…ここでも彼は希望を唄う

こないだですね、
なりすまし詐欺の被害に遭いそうになりました。
くわばらくわばら。

総務省の総合通信基盤局データ通信課を名乗る人物から電話がかかってきまして。
これこれ。こういう(↓)やつ。

結局は引っかからなかったので被害はゼロだったけど。いちおう警察に出頭というか(ではない)、相談というか報告をしに行きました。
そうしたらこのデジポリスをDLするように言われたんですわ。

山崎怜奈に注意される


で、このチラシをくれた警察の方に「おじいさんおばあさんはかなり警戒されてるけど、意外と若い人たちが騙されることがあるんですよ」と言われて。いやいや、もはや私も若いとは言えぬ者でしてな(爺)。
しかし最近『大都会PARTⅡ』とか『特捜最前線』を観てたので(古)、取調室(ではない)に連行された(されてない)時は少しアガりました。カツ丼食べたい(30分ぐらいで済んだので出前などなし/いまどきはどうなんでしょう)。


こういう詐欺に引っかかるのって、ボーッとしてるからだとか、警戒心が薄いぞとか思われそうな気がしますが。実際は日頃ものすごく疑ってて、かなり警戒していて、それでも網の目を縫うように迫ってくるもんなんですね。こわこわ。カミさんの忠告も大きかったので、感謝だわ。
みなさまもどうか気をつけられますよう。
しかし2月に続いて、3月も自分にとってはだいぶ奇妙な月である。ふえー。

今週は、「つげ義春のいるところ展」がとても良かったです。1月から開催していたのに最近知ったもんで、急いで行ってきまして。もう終わったけど、本当に行った甲斐があった。

調布の街を歩いたのはほぼ初めてでしたね。東京に長年いるのに。それも良かった。

あとは、熊の恐ろしさを書いた本を読みました。元の発刊は1977年で、大正時代(1915年)の話で。

これ、ドキュメンタリーというかノンフィクション作品で、だいぶ生々しく、相当怖いです。で、読ませるんだけど……こういうののディテールって、作家の想像というか、妄想がずいぶん入ってるんですよね。
この熊被害の話も、当時から生きてる人に取材したとはいえ、そんな何十年も前の幼少時のことを詳細に覚えてはないだろうし、登場人物はきっと作ってるだろうから、その設定や細かいところはフィクションだろうし、その心理も創作だろうし。と思いました。

似たことは、まったく方向性も時代も違うけど、落合野球の本でも感じたことがあります。現場に居合わせてもないのに、そこまで書くんか?という。まあ、それはそれですごいけど。

ドキュメンタリー作家の、作家性の部分なんでしょうかね。参考になる。

さてさてライヴは、金曜はROOTS66、土曜は佐野元春を見ました。連夜のガーデンシアター、連夜の長尺公演、連夜の興奮空間。
このふたつのコンサートのことは、後日、僕が書くライヴレポートが掲載されることになっています。どこかに。

今回は、そのうちの佐野元春の曲について書きます。

なお、佐野元春のその1から3は、すでに去年の初夏に書いてます。

なので今日は、その4になります。

<間違えて傷つけないように/言葉を選ばなくちゃ>と唄う「大人のくせに」


佐野元春の【 #オトナになることのうた 】で、書き漏らしていた楽曲がある。
2022年発表のアルバム『今、何処』に収録された「大人のくせに」という曲だ。

タイトルからすでに伝わってくるものがあるが、「大人のくせに」は、大人でありながら……もはや大人だとみなされる年齢でありながら、その域に達していなさそうな人間の描写から始まる曲である。
こう唄い出されるのだ。

<もう大人なのに/ナイーブな君だから/間違えて傷つけないように/言葉を選ばなくちゃ>

大人のはずの君だけど気を遣ってあげなきゃね、という歌詞は、その相手に目線を下げてあげているかのようである。ただ、この歌は、決して対象の人を蔑んではいないし、曲自体のストーリーもポジティヴな方向に向かっていく。そこは佐野らしさの本領発揮である。

それから、もうひとつ。
これ以前の佐野の【 #オトナになることのうた 】とは、大人の存在がずいぶんと違っている。どこか敵対するような存在として描いていた「ガラスのジェネレーション」(その再定義曲の「つまらない大人にはなりたくない」も含む)。それに、もはや自分自身がそうなった(大人になった)存在として書いているように感じられる、捨て鉢気味な「ぼくは大人になった」。

そう思うと、「大人のくせに」は、そこにいる相手の<君>が<もう大人なのに>と言われるような存在で、曲はその彼、もしくは彼女を起点に転がっていく。
タイトルと、実際の歌詞との違いも、ちょっと面白い。ニュアンスは同じとしても、だ。

また、こうして他者のことから話を進め、そこから社会のムードや情勢を描いていく佐野のスタイルのは、彼独特のジャーナリスティックなものも感じる。そう、ジャーナリスティック、ジャーナリスト的。これは80年代の彼の作品を論じる際に、幾度か指摘された言い方だ(批評的、という表現もできる)。とくに僕が記憶しているのは、2020年に亡くなってしまったが、音楽文化ライターの佐伯明がこのことを書いたテキストである。当時の『ロッキング・オン』……そう、『ジャパン』が創刊される前の洋楽誌のほうで読んだものだ。

佐野はこうした視点の鋭さを損なうことなく、この21世紀もアーティストとして走り続けている。

そして何よりもこのことが重要だと考えるのだが、そこには希望と優しさがある。さらには夢と、それにもちろん、愛もある。
これが、ものすごく佐野元春らしいと思う。

「これからの子供たちが戦争に巻き込まれないように」と前置きして唄われた「愛が分母」


ここからは昨夜の東京ガーデンシアターでの佐野元春のライヴのことを書く。
この夜は、去年から続いてきた45周年アニバーサリー・ツアーの追加公演にして最終日だった。なお、この3月21日は、佐野がデビューシングル「アンジェリーナ」でデビューした日でもある。46年前のことだ。
とはいえ、自分はこの公演のレポートを別に書く予定であることもあり、ここでコンサートの詳細は追わない。ただ、素晴らしい夜だったことは強調しておく。

先ほど触れた「大人のくせに」は、アルバム『今、何処』に収録されてからの佐野のライヴではくり返し演奏されているようだ。それは昨日も同じくで、同曲はセットリストの終盤に置かれていた。

今ここで書き留めておきたいのは、ひとつ。ライヴではその前のところ。佐野がMCで子供たち、キッズたちについて言及したシーンがあった。二部構成となった長いライヴの第二部の、最初のほうだ。

「今日この会場には何人かキッズたちも来てくれています。これからの子供たちが戦争に巻き込まれないように、この曲を世界中のキッズたちに唄いたいと思います」

佐野はそう言って、「愛が分母」という歌を唄った。2019年にシングルになっている曲である。アルバムとしては『ENTERTAINMENT!』に収録。


大人になること、なったことを唄ってきた佐野だが、これはその心が今でも、キッズ、子供にちゃんと向いていることがわかった瞬間だった。と同時に、彼が、世界のあちこちで続く戦争、殺戮への悲しみを抱いていることが伝わった時でもあった。
佐野の心は今でもキッズに、子供に、若者たちのほうに向いているのだ。

佐野のライヴは、45年という歳月を走り続けてきた、いや、(正確には)46年という時間の波の中を今も走り続けるこのアーティストの一貫した姿勢が強く伝わってきて、それが本当に気高く思えた。きっと彼はこれからも、ずっとそうなのだろう。

これからも佐野元春には期待している。



キムカツ亭 有明ガーデン店にて
ロースかつ、1200円。
刑事ドラマのカツ丼よろしく、
かっくらいました


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