退勤後に出会ったお守りは、憂鬱な毎日を染めてくれた
会社の最寄り駅の女子トイレは、白い蛍光灯がたくさん設置されているのになぜか薄暗い。
仕事終わりに立ち寄って手を洗い鏡を見た瞬間、ショックをうけた。目の前のわたしはとにかく疲れた顔をしていて、覇気がない。「あれ?こんな顔だったっけ?」と思うくらいに。
一応メイクはしている。下地とパウダーを広げて、眉毛を書いて、ブラウンのアイシャドウを塗って、黒のアイラインを引いて、ピンクのチークとリップを申し訳程度になじませる。
とにかく朝が苦手なので、固定のメイク道具たちを使い爆速で仕上げていく。10分を目安にしているが、毎朝のタイムトライアルのおかげで、急げば7分でゴールできるようになった。
わたしにとってのメイクは「マナーとして一応しておくか」くらいの認識で、正直言うと面倒だった。お金もかかるし。顔を洗い歯を磨く、その延長線でしかなくて、ただの作業である。
そうは言っても、朝の貴重な時間を使って、お金をかけて買った粉やペンを顔の上にわざわざのせているのだ。それなのに、女子トイレの鏡に映った自分の顔はあまりにも元気がない。
なにが足りないんだろう。使い古しているメイク道具を買い替えるべきだろうか。課金したらもっとよくなるかもしれない。
そう思い、ショックをうけた勢いでマルイへ向かった。
メイク道具は薬局でしか買ったことがない。こだわりもないし、なんでもよかったから。だけど今回は、いつもとちがう選択をあえてとってみようと思った。人生で初めて「コスメカウンター」に足を踏み入れると決めたのだ。
化粧品フロアにはコスメブランドの店舗がいくつか並んでいて、店内には小さなカウンターが設置されている。薬局の化粧品売り場では「ご自由にどうぞ」とテスターが置いてあるが、コスメカウンターでは店員さんに声をかけて試させてもらうパターンが多い。
そもそも化粧品のことをコスメと言うのもなんだか照れる。知識がないのにコスメカウンターに行くのも怖かった。相手はコスメのプロであり、なんといっても全店員が綺麗にメイクをしていて美しい。緊張する。
いざその場に行くと躊躇したけれど、その日の閉店時間が迫っていたので勢いで入店することに。せっかくなら、自分が絶対に選ばないコスメを買ってみたい。
数あるブランドの中で、店内もパッケージも黒で統一されたお店を選んだ。知識の浅いわたしでも、ブランド自体の名前は知っている。アイシャドウやリップは発色が濃そうで、ダークな色味も多い。
全体的にとにかく強そう。ギャルとかモード系とか、好きなものがはっきりしている人が愛用している、そんなイメージ。「無難に」「なんとなく」というようなわたしの思考とは真逆の世界観である。
並んでいるコスメを眺めていたら、男性の店員さんが「なにかお探しですか?」と話しかけてくれた。目が合う。まぶたにはキラキラでザクザクのラメがのっていて、オレンジ色のチークがよく似合っている。きっとメイクが好きで、メイクを楽しんでいる人だ。そんな気がした。
「なんか、あの⋯顔色が良く見えるようなチークがあればと思って⋯」「ご希望の色味とかはありますか?」「特になくて、どんな色が合うのかもわからなくて⋯」
歯切れの悪いわたしの返答に、店員さんは「わかりました!いくつか選んでみるので、よければお顔にのせてみませんか?」と優しく言う。奥のカウンターに案内され、数十種類もあるチークの中から店員さんが選んだ色をのせてもらうことになった。
「きっとこの色がお肌に合うと思うんです」そう言って見せてくれたのは、オレンジにもベージュにも見える色に、うっすら金色のパールが入ったチーク。
大きいブラシに大胆にとって頬にのせていく。濃くなりすぎてしまうのではと思ったけれど、丁寧にクルクルとぼかしていくと肌になじんできた。「どうですか?」と聞かれ、改めて鏡を見る。
すごい!退勤後なのに元気そうに見える⋯!違和感なく顔色が明るくなった。角度を変えると頬がツヤツヤと光る。感動しながら「なんかてんてん良いですね⋯」と語彙力ゼロ点の感想を返すと、店員さんは笑って「やっぱりすごく似合う!」と褒めてくれた。
わたしは肌の色が暗めで、それがコンプレックスでもあった。コスメの色が発色しづらいのか、なにをのせてもなんだかパッとしない。だけどこのチークは「自分のために作られたのでは?」と調子にのってしまうほど、肌になじんで綺麗に頬を染めてくれた。
他の色も試したけれど、一番目にのせたオレンジベージュのチークが忘れられない。「やっぱり最初の色にします」と、閉店ギリギリで会計をする。クレジットカードを読み込みながら、どうしてもお礼が言いたくなった。
「コスメカウンターって初めてで。でも今日、来てよかったです」
「そうなんですか、よかった!僕もこのチークのシリーズを使ってるんですけど、一生減らないんですよ。たくさん使ってくださいね!」
そう言って店頭まで見送ってくれた。チーク1個に対しては大きすぎる、ブランド名の入った真っ黒な紙袋。それを持っているだけで、嬉しくて心強くて、最強になれた気がした。
この日をきっかけに、わたしは「チーク沼」にハマることになる。
チークひとつで、顔色や印象が変わるのが面白かった。オレンジやベージュが自分に似合うことを知ってからは、薬局やいろいろなコスメカウンターで似たような色のチークを買いまくることになる。
一見同じ色では?と感じるものでも、絶妙に色味が異なったり、ラメやツヤの質感に特徴があったりするのだ。みんな違ってみんな良い。とにかくかわいい。たくさんのチークをきれいに並べてあげられるよう、大きなコスメボックスを買った。
コロナ禍では「クリームチーク」が流行った。粉のチークだとマスクでこすれて色が落ちてしまうが、クリームタイプのチークはしっとりと密着するので残りやすい。
マスクで顔はほとんど見えないから、とメイクの手を抜くようになってはいたけど、チークを欠かすことはなかった。クリームチークを普段よりも上の位置に広げておくと、目とマスクの間のわずかな隙間から色味が見えて、なんとなく顔色がよく見えるような気がする。
残業続きで寝不足の日も、仕事で病んでギリギリの状態だった日も、毎朝チークをのせた。ハッタリでもなんでもいい。「なにごともなく元気そうな顔」を作りたかった。
会社の女子トイレで、最寄り駅の女子トイレで、ふと自分の顔を見た時。覇気のなさにガッカリするよりは、頬にかわいい色がのっている方が救われる。ほんの少しだけでも。そうして乗り越えた日が山程ある。
「メイクなんてただの作業だ」と思っていたのに。
「今日はこの色を使おう」と選ぶ時間が楽しい。朝にのせたチークが退勤後まで残っていると安心する。メイクボックスに新入りのチークを並べる瞬間が嬉しい。
たくさんのチークと出会えたけれど、やっぱりわたしにとってのナンバーワンは、あの日初めて訪れたコスメカウンターで買ったチークだ。使用頻度が圧倒的に高いし、自分の顔に一番しっくりくる。
M·A·Cのミネラライズブラッシュ。カラーはウォームソウル。あの日からずっと、わたしのお守りチークだ。あると安心するし、ちょっと強くなれる。
運命のチークと出会わせてくれて、チーク沼の入口をひらいてくれた店員さんに、ずっと感謝をしている。この気持ちを伝えたいのに、またあの場所で買い物をしたいのに、彼の言った通りこのチークはまったく減らない。こんなにも使っているのに、容量が多いのかあまりにもコスパがいい。
使い続けていつか底が見えたら、またあのM·A·Cで同じ色のチークを買うと決めている。
追記:コンテスト「パーソルホールディングス×note|#これ誰にお礼言ったらいいですか」で入賞し、M·A·Cさんに直接お礼をお伝えしに行きました!

