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舞台 「チ。 ー地球の運動についてー」 観劇レビュー 2025/10/11


写真引用元:ホリプロステージ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「チ。 ー地球の運動についてー」
劇場:新国立劇場 中劇場
企画・制作:ホリプロ
原作:魚豊「チ。 ―地球の運動について―」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)
脚本:長塚圭史
演出:アブシャロム・ポラック
音楽:阿部海太郎
振付:エラ・ホチルド
出演:窪田正孝、三浦透子、大貫勇輔、吉柳咲良、吹越満、成河、森山未來、小野桜介、皆川まゆむ、川合ロン、加賀谷一肇、笹本龍史、Rion Watley、半山ゆきの(※観劇回のキャストのみ記載)
演奏:竹内理恵、ギデオン・ジュークス
期間:10/8〜10/26(東京)、11/8〜11/9(愛知)、11/15〜11/16(広島)、11/21〜11/23(大阪)、11/29〜11/30(福岡)
上演時間:約3時間5分(途中休憩15分を含む)
作品キーワード:漫画原作、地動説、近世ヨーロッパ、世界史、生演奏、コンテンポラリーダンス、哲学、考えさせられる
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


漫画家である魚豊さんがビッグコミックスピリッツにて2020年に連載を開始した漫画『チ。 ー地球の運動についてー』が、NHK総合テレビでのアニメ化を経てホリプロステージによって舞台化されたので観劇。
同作の漫画は、「マンガ大賞2021」では第2位にランクインし、「第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞するなど高い評価を受けた。
また2024年10月からNHK総合テレビで放送された同作のアニメでは、サカナクションの『怪獣』がオープニングテーマとして起用され話題となり、2025年3月〜6月には日本科学未来館で特別展も開催されるほどの人気を博した。
今回の舞台化では、脚本を「阿佐ヶ谷スパイダース」主宰の長塚圭史さんが担当し、演出をコンテンポラリーダンス演出・振り付けユニットに所属するアブシャロム・ポラックさんが手掛ける。
私自身、原作の漫画版もアニメ版にも触れてストーリーを知っている前提で舞台観劇に臨んだ。
また私の観劇回のラファウ役は、小野桜介さんが演じた。

物語は、15世紀のヨーロッパを舞台に、当時は異端とされていた地動説を命がけで研究する人々を描くフィクションである。
馬車の中に、地動説を研究していた異端者(吹越満)が捕えられ護送されていた。
その守りにあたっていたオクジー(窪田正孝)とグラス(大貫勇輔)は、その異端者の話す地動説に繋がる研究に興味を抱き、研究に関する書物が石箱の中に隠されているのを知る。
そして異端者はオクジーとグラスを馬車から逃す。
異端審問官のノヴァク(森山未來)は、逃げたオクジーとグラスに決闘を挑むが二人を逃してしまう。
石箱を発見するも書物には読めない文字や難解な天文学の記録、謎の伝言まで書かれていて理解出来なかったオクジーは、バデーニ(成河)を仲間に加え、この難解な天文学を解ける逸材を公募するが...という話である。

少しネタバレになってしまうが、舞台版では第1章が全て省略されていて、第2章からのスタートとなっている。
ラファウ(小野桜介)は劇中に確かに存在しているものの、その登場は常に演劇的な手法にとどまり、ノヴァクの妄想や回想の中に現れるにすぎない。
ステージ上でも主たる場面には関わらず、どこか隅で出来事を傍観するような存在として描かれていた。
そうであるが故に、個人的には同作の主題だと思っていた「どんなに敵対する間柄でも、未来から振り返ると同じ時代を生きた仲間である」という真理が少しぼやけたような気がした。
もちろん、その主題自体は登場するのだが、描き方として舞台よりも原作やアニメの方がより強く印象的に伝わっていたように感じたので、テーマの描き方としては原作・アニメの方が好きだった。

25話ある物語をたった3時間の舞台に収めるというのはかなり至難の業だと思うが、だからこそ情報を詰め込んでしまっている感じがして、初見の観客には物語を理解するのは難しかったのではないかと思うほど展開が省略されていて早く、台詞が流れていっている感じがあった。
私は事前にストーリーを知っていたので理解は出来たのだが、物語を知らないまま舞台観劇に臨んでしまうと物語展開を追えないのではないかと思った。

その分、今作の見どころは脚本よりも演劇でしか描けない世界観にあったように思う。
たとえば馬車の舞台セットを実際に用意するのではなく、窓枠のようなものを人が四方を囲うようにして持って表現し、ゆらゆらと揺れているように身体表現を使って演出するという発想は、普段演劇を観ない層にとっては非常に描き方が新鮮に映ったに違いないと思う。
そして、馬車だけでなく、あらゆる舞台セットが終始移動し、そして役者やダンサーでさえも常に揺らぎ動く演出は、どこか地球が動いているという地動説そのものを表現しているかのようで興味深かった。
また、コンテンポラリーダンス、歌、生演奏といった演劇だからこその魅力が存分に盛り込まれていて、非常に贅沢な時間を過ごせたことは間違いない。

出演者も皆素晴らしかった。
歌って踊れる出演者ばかりで、ハイレベルだった。
特にノヴァク役を演じた森山未來さんの演技力と身体表現能力の高さは去る事ながら、棒を振り回しながら決闘を挑んでくる迫力と狂気がもの凄くて、バデーニとオクジーを拷問するシーンの怖さといったらなかった。
また、ヨレンタ役を演じた三浦透子さんの歌声が本当に透き通っていて素晴らしく、こういう近世ヨーロッパのような女性が男性社会に翻弄されてしまうような世界の哀れな女性という設定が凄く胸に刺さった。
さらに、ドゥラカ役を演じた吉柳咲良さんの歌唱力も素晴らしく透き通っていて、これからの活躍が楽しみだった。

原作もしくはアニメ版は観た上で観劇した方が、描かれている描写やテーマがよく分かるのでおすすめで、その上で舞台版として演劇でしか味わえない演出と演技と歌を贅沢に堪能出来る一作だと思う。

写真引用元:ステージナタリー 舞台「チ。ー地球の運動についてー」より。(撮影:田中亜紀)


↓オフィシャルプロモーションソング


↓漫画原作





【鑑賞動機】

アニメ版の『チ。 ー地球の運動についてー』が凄く好きで、原作も特別展も行った私だったが、今度は舞台化されるということで非常に気になったので観劇することにした。事前に物語を知っている作品の舞台・ミュージカル化は、割と好きになれない経験の方が多いが、そういう感想も含めて気になっているので観てみようと思った。
また、脚本に長塚圭史さんがいらっしゃるので、その点もどうやって舞台として描くのか楽しみだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

生演奏と共に、ノヴァク(森山未來)が登場してコンテンポラリーダンスを披露する。
馬車がやってくる。その中には異端者(吹越満)が捕えられていて護送されていた。護送する傭兵にはオクジー(窪田正孝)とグラス(大貫勇輔)がいた。異端者は話す。異端とされている天文学に関する書物が石箱に埋められているとオクジーたちに話す。オクジーとグラスはその異端者の話に興味を持つ。そして異端者は持っていた球体の吊り下がったペンダントをオクジーたちに託す。
馬車が妙な動きをして怪しいと気がついた、別の馬車に乗っていたノヴァクは、異端者の乗る馬車に近づく。異端者は殺され、逃げようとしたオクジーとグラスを追いかけるノヴァク。ステージ上からは雨が降り注ぐ。雨の中オクジーはノヴァクと決闘をするが、ノヴァクから上手くオクジーとグラスは逃れる。
オクジーとグラスは、異端者が話していた石箱を見つける。そして石箱の蓋を開ける。そこには数多くの書物が入っていた。何やら難しいラテン語や数式が書かれていてオクジーとグラスには解読できなかった。しかし、一枚のメモ書きにこのようなことが書かれていた。ここに書かれた書物の証明に成功して利益が出たら1割をポトツキに寄付せよとのことだった。オクジーもグラスもポトツキとはどこのことなのかさっぱり分からなかった。
オクジーとグラスは、その後石箱に入っていた書物の意味を解読するために旅をするが途中で、グラスは橋が崩落して命を落としてしまう。その時、グラスは異端者から授かった球体のペンダントをオクジーに託し、書物の解読には、村の教会にいて禁忌とされる天文学に興味を抱き、ラテン語解読に協力してくれそうなバデー二を頼ると良いとオクジーに告げる。

ヨレンタ(三浦透子)が登場し、ソロパートで歌を歌い上げる。
ヨレンタは、自身が書いた天文学の論文を発表しようとコルベ(大貫勇輔)に相談する。しかし、論文内容は素晴らしいが、ヨレンタは女性であるため男性である別の人物の名前で出すことになると告げられる。ヨレンタはショックを受ける。自分が女であるというだけでこんなに理不尽な扱いをされるのかと。
一方、オクジーはバデー二(成河)の元を訪れる。グラスの予想通りバデー二は石箱に入っていた天文学に関する書物に興味を抱いた。バデー二によると、その書物には火星の運動の観測記録が書かれていたが、その火星の観測の記録は妙で地球が動いてでもしない限り説明のつかないものになっていた。

とある広場で、裸になった物乞い(吹越満)が裸踊りをしていた。そこへオクジーとバデー二がやってきて、洗濯物を干すような素振りで難解な天文学の問題の紙をくくりつける。この問題を正解した人には報酬をやると書き、優秀な天文学の逸材を発掘して研究をしてもらうことを意図していた。
すると、その干された天文学の問題の紙の前にやってきたヨレンタは、その問題を見る。そしてこの問題は、天文学の高度な知識がないと解けないではないかと思い、ヨレンタはこっそり図書館に忍び込んで、普段女性である自分が立ち入ってはならない書物を引っ張り出しながら解く。ヨレンタは、普段からこういった天文学の書物を読むことが出来る男性は羨ましいと呟く。
ヨレンタは問題が解けたので、出題者のバデー二とオクジーに会いに行く。バデー二とオクジーはたった半日で、この天文学の難問を解いてしまったヨレンタの秀才ぶりに驚く。バデー二はヨレンタが一体何者なのかを尋ねると、ヨレンタは50年間天動説の観測を行ってきたピャスト伯であった。

司教(吹越満)が高台の上に登場し、その下には複数の異端審問官たちがダンスを披露していた。そして司教は、教えに逆らうような異端者たちは容赦なく尋問して処刑するように命じている。
そんな異端審問官の中に、ダミアン(大貫勇輔)とカミロ(吉柳咲良)がいた。ダミアンとカミロは、ノヴァクから一人の女性の異端者が引き渡され、この異端者の拷問を命じられる。しかし、ダミアンとカミロは怖くて拷問をすることができずその場から逃げてしまった。

バデー二とオクジーとヨレンタは酒場で飲んで地動説に関する議論をしていた。そこへヨレンタの父を名乗る人物がやってくる。すると驚いたことにヨレンタの父親というのはノヴァクであったことが発覚する。ヨレンタはバデーニとオクジーを友人と紹介し、研究者であることを告げる。ノヴァクはヨレンタの友達であれば悪い人ではないと思うが、念の為のどんな研究をしているかを尋ねる。バデーニは天文の研究をしていると答える。なんとかバデーニとオクジーは、ノヴァクに地動説について研究をしているということがバレずにその場をすり抜ける。
ノヴァクはヨレンタと一緒に帰る。そして二人で音楽「ヨレンタとノヴァク」に合わせて踊る。

ここで幕間に入る。

ラファウ(小野桜介)が登場し、ねじまきのようなものをずっと巻いている。
バデーニとオクジーの自宅にノヴァクがやってくる。やはりノヴァクは、ヨレンタの友だちとはいえ天文の研究をしているとあっては、念の為調べないといけないからと言う。ノヴァクは家の調査をするが、オクジーが誤って球体のペンダントを落としてしまう。それに目をやったノヴァクは何かに気がつき、そしてそのまま家を後にする。バデーニとオクジーは、これはノヴァクに地動説の研究をしていることがバレた可能性が高いので逃げようと言う。
しかし、その後あっけなくバデーニとオクジーはノヴァクに捕まってしまう。

バデーニとオクジーはノヴァクに拷問される。地動説に関する記録はどこにあるのかと。しかしその在処は一才教えることのなかったバデーニは、オクジーの口の中に鉄の棒のようなものを突っ込み拷問する。オクジーの口の中は血だらけになる。それでもバデーニは口を閉したままだった。背後の壁に血が飛び散る。
一方でヨレンタも捕まっていた。ヨレンタの拷問は父親のノヴァクには出来ないので、ダミアンとカミロに命じられていた。その前にヨレンタの拷問の見本として、アントニ(吹越満)がヨレンタの前歯を抜く。あとはダミアンとカミロが拷問しろと言われる。
しかし二人はなかなかヨレンタを拷問することができなかった。そして、二人はヨレンタの錠を外して逃してしまう。ダミアンとカミロはアントニに怒鳴られる。アントニは、カミロを火炙りの刑に処してヨレンタは殺したとノヴァクに伝えようと言う。
バデーニとオクジーは、天井から首吊りをされる。そして頭上に持ち上げられるとそのまま絞首刑に処せられる。

シュミット(成河)という騎士とドゥラカ(吉柳咲良)が二人で話をしていた。ドゥラカはとある書物を見つけて読んでいたがそれを燃やしてしまう。そしてドゥラカはこう言う。ここに書かれていた書物を解放すればきっとお金を儲けることが出来ると。そして二人で話しているうちに、その書物で利益を出したいのであれば、活版印刷を使えば良いのではないかという話になる。
ドゥラカは「三つの魔法」を歌う。

ドゥラカは、活版印刷技術で書物を出版するためにヨレンタの元を訪れる。ドゥラカは書物を燃やしてしまったことをヨレンタに謝罪し、ヨレンタとドゥラカは記憶で燃やした書物の印刷化を図ろうとする。
ヨレンタとドゥラカは空を見上げる。空には土星が浮かんでいた。あの土星があの場所にいた時にヨレンタは生まれ、あの場所にいた時に人を殺し、この場所まで来た時にこうやってドゥラカと話していると言う。ヨレンタは印刷技術を手配するという。
ノヴァクはシュミットと一騎打ちをする。シュミットはノヴァク側の子分を一人殺し、その後ノヴァクと対決する。シュミットはノヴァクに討ち取られるが、ノヴァクも重症を負う。雨が大量に降っていた。
ヨレンタの元にノヴァクの一向がやってくるので自爆をする。

ドゥラカは、アントニのいる教会に向かう。ドゥラカは、地動説に関する書物を活版印刷で発行して儲けることが出来るという話をする。アントニは利益を分譲するという条件で引き受ける。
そこへ弱ったノヴァクがやってきて、アントニは不意を突かれてノヴァクに殺されてしまう。ドゥラカも命からがら逃げる。
そんな弱ったノヴァクの前に現れたのは、ラファウだった。オクジーが陰で佇んでいるところに声だけはラファウがノヴァクに話しかけている。ラファウはこう告げる。ノヴァクはずっと地動説を否定し続け、あの書物に翻弄され続けた人生だったなと。そして私もその書物に翻弄された一人だったが、あの書物には多くの人の人生が翻弄されたのだと言う。そんな私たちは、結局は同じ時代を生きた仲間でしかないと。ここで上演は終了する。

原作に対して、第1章と第4章を完全に排除した形で、かつ細かい部分は省略してのストーリー構成であった。3時間でこのアニメ25話の超大作をまとめるとなると、こういう形になってしまうのは仕方がないと感じたが、個人的に思ったのは台詞が劇中だいぶ流れていってしまっているなという感覚だった。
アニメで最初にこの作品を観ていた時は、それぞれの台詞に深い意味が汲み取れ金言が多いように感じられて楽しめたのだが、舞台版はあらゆるシーンを省略しているからか、台詞があまり入ってこなかった。演出に目が入ってしまってと言うのもあるかもしれない。
あとは、ラファウとはノヴァクにとってどういった存在だったのか、ヨレンタはノヴァクの元を離れた後何者になったのか、シュミットとドゥラカは何者なのかなどが描写されておらず、原作やアニメを未読・未見の人は一体物語を理解できたのだろうかと気になった。だいぶ説明を端折った上に登場するので混乱したのではないかと思う。
あとは、個人的にはラストがコペルニクスに繋がると言うのを見たかったので、第3章のラストで終わってしまうのは少し物足りなかった。今作は、だいぶラファウの存在とオクジーの存在を重ねて描いているなと思い、冒頭は異端者からタブーの天文学の話を聞かされるところから原作も舞台もスタートするが、それがラファウ視点なのかオクジー視点なのかという違いであって、そこを重ねているのだなと思った。
この作品の舞台化は非常に難しいと思う。3時間でまとめること自体がそもそも不可能なのではないかとさえ思った。

写真引用元:ステージナタリー 舞台「チ。ー地球の運動についてー」より。(撮影:田中亜紀)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

原作やアニメの『チ。 ー地球の運動についてー』の世界観を忠実に再現しようとするよりは、舞台でしか出来ない表現で全く新しい世界観を築き上げようとしている感じのある演出になっていて、これに関しては賛否両論あるかもしれないが、私は非常に興味深い演出だったなと思った。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置について。
まず、開演前、幕間、開演後はステージ手前に幕が降りることによってステージ全体が見えない状態になっている。特に、舞台上に作り込まれたセットが固定で置かれている訳でもなくそのような演出になっている。きっとこれは、観客はあくまでこの世界を客観的に見る視点、つまり神の視点で捉えているからかなと思った。今作は、一応主人公がオクジー、もしくはノヴァクといった形で進行するが、主人公と言われるほどずっと登場していないし、主人公不在といった方がふさわしい。それは、15世紀のヨーロッパという歴史と世界が主人公であるからとも言える。実際に原作・アニメも第1章〜第4章で主人公が違っていて、違う人物の視点から「地動説」というものを捉える構造になっているので、演出としてもなるほどなと思った。
ステージ上には、巨大なセットは登場するのだが、全て可動式になっていて、終始シーンによって巨大なセットは移動する。序盤でオクジーとグラスが石箱を見つけて、そして橋が崩落してグラスが死ぬシーンも全て背の高い舞台セットの真上で上演されるから、ステージ手前側で観劇していた私は見上げるような形で見ていた。その舞台セットも割と終始移動しているかのような感じでゆっくりと音を立てながら動いている。これはまるで、地球という不動と思われるものが動いているという「地動説」を示唆するような演出になっていて興味深かった。
印象的だったのは、拷問のシーンの舞台装置である。背後に巨大な無地の壁が聳え立ち、そこに照明演出も相まって影が大きく映し出される。そして、異端審問官が爪を抜いたり歯を抜いたりと拷問することによって、背景の壁には血が飛び散る演出がグロテスクに描かれる。『チ』というのは「地」「知」「血」の3つの「ち」の意味を持つので、そのうちの一つである「血」を強調させた演出だったのだろう。
オクジーの家や酒屋のシーンでは巨大な食卓が登場したり、ヨレンタが天文学の問題を解くシーンでは、近世ヨーロッパの街の建物と思しきセットが登場するが、それ以外は割とステージ上に何もない素舞台であることが多かった。
舞台セット以外だと小道具はかなり登場していた。一番特徴的なのは序盤の馬車の演出で、馬車そのものは登場させられないので、窓枠を4人のダンサーたちが四方で囲うようにしていた。そしてその窓枠をゆらゆらと揺らしながら馬車の揺れと、地動説を演出しているように思えた。
また、球体のペンダントを象徴的に登場させていたのは良かった。大きい舞台に小さな小道具に重要な意味を持たせるので、しっかりと観客に伝わるように見せないといけないが前方の席に座っていた私には見えたが、後方の席だとどう見えるのか気になったが。

次に映像について。
映像については、主に一番最後のシーンで象徴的に登場する。まさかステージ背後がスクリーンのようになっているとは思わず、最後に映像が登場した時はびっくりした。アニメ版では、ノヴァクが最期に「地動説」が正しかったということに気がつき、自分は今までの人生は一体なんだったのかという絶望の中にいるときに、ラファウの幻覚が現れる。そして、私たちは同じ15世紀のヨーロッパを生きた仲間だと言う。その演出が映像で描かれていてなるほどと思った。ステージ後方の中央に映像で樹木が投影され、その樹木が光っている。その後ろに巨大なラファウの映像が投影され、死に際のノヴァクに語りかける。ここでラファウが小野さん演じる生身の人間でなく、映像で映し出されるというのが興味深かった。そしてさらに興味深かったのは、オクジー役の窪田正孝さんが照明の当たらない中影となってずっと立ち尽くしているのである。これも意味深だった。この脚本・演出の人のこのシーンの解釈だと、きっとノヴァクはラファウだけでなく、この「地動説」に関わって異端と判断して処刑した人々が走馬灯のように脳裏を駆け巡ったのかなと思う。それがあの演出だったのではないかと感じた。
あとは、終始星がスクリーンに投影されていた。星は今作では非常に重要な意味を持ち、その星がシーンによって動いているようにも思えたので、素敵だった。

次に、衣装について。15世紀のヨーロッパという世界観を体現している上に、割と原作・アニメに忠実な衣装になっていて全体的に好きだった。
特に好きだったのはノヴァクの衣装。あのマントを羽織ってさすらうような感じが好きだった。ノヴァク演じる森山未來さんがダンスをしたり戦うシーンが多いので、そのマントがひらひらと舞う感じとか格好良かった。
バデーニの衣装も言うまでもなく格好良かった。黒い眼帯をしていて、あの堅い感じがまた良かった。そして堅いのだけれど、どこか人に好かれそうな優しさもあるようなバランスもちょうど良い感じの出立ちだった。
特に好きだったのは、ドゥラカの衣装。あの民族っぽい感じというか、動きやすそうで軽やかな衣装が華奢な吉柳咲良さんにとても似合っていた。戦闘能力も高さそうで知的で、そして勇敢そうなあの感じがとても魅力的だった。

次に舞台照明について。
照明演出はとても美しかった。ヨレンタが数学の問題を見つけて解くシーンは夕日が美しいオレンジがかった舞台照明が特徴的でアニメの世界観と一致していて、ドゥラカとシュミットが二人で語り合うシーンは鮮やかな青と緑色の感じを醸し出す照明が印象的だった。
さらに、舞台照明として魅力的に感じたのは、ヨレンタとドゥラカの夜明けのシーンで、空に土星が見えると語るシーンの淡い青色の照明と空間が好きだった。アニメでもこのシーンは好きなのだが、そのシーンを色彩鮮やかに舞台化してくれて個人的には好きだった。土星の動きは、今作のテーマである天体の運動に関することと時間の経過を表していて、それがヨレンタから若いドゥラカに受け継がれる感じがとてもよく描かれていた。
しかし、多くのシーンは照明が全体的に暗かった。特に拷問のシーンでは照明は暗く、拷問を受ける人の影が背後の壁に映し出されるほどである。
また、球体の光が輝く照明を手にしてダンスするシーンも非常に美しい演出だった。それはまるで天体がそれぞれ公転しているかのような演出で良かった。

次に舞台音響について。
とにかく生演奏が素晴らしかった。竹内理恵さんによるサックスと、ギデオン・ジュークスさんのチューバの演奏がリズミカルに劇を盛り上げていた。いつもステージ上手側の手前で演奏をされていて、衣装も素晴らしくて世界観の一員であった。
そして音楽以外だと、ラファウが持っているねじまきの音が効果的に劇中に響いていた。ねじまきの音は、特にステージの幕が開く一番最初や幕間が終わって第二幕が始まる時に効果的に使われていた。このねじまきの音は、おそらく観客のいる現実世界と劇中の非現実の世界を仲介する音なのだと思う。原作でもアニメでもラファウというのは神の視点である。その神という存在のラファウが現実と非現実の世界を結びつけて観客に、『チ』の世界を見せているという構成で、それを仲介している音なのだなと後で気がついた。

最後にその他の演出について。
やはり今作はギミックが多いというのも特徴だと思う。まずは序盤と終盤に登場する雨である。実際にステージの天井から雨が降り注ぐ。序盤のオクジーとグラスがノヴァクと対峙してノヴァクから逃れるシーンで雨が降り注ぎ、雨が降り頻る中ノヴァクとオクジーは決闘していた。そして終盤のノヴァクがシュミットと一騎打ちするシーンでも雨は降り注いた。
次にギミックとしては、ヨレンタの死のシーンにスモークがステージ全体を覆う演出である。ヨレンタは爆破によって最後命を落とすが、その時のインパクトが演劇でしか表現できないインパクトになっていて良かった。前方で座っていたので少し煙かったが、あのくらいがちょうど良かった。
また、実際に火を使って何かを燃やす演出も見事だった。火をつけて燃えて安全に消える技術は凄いなと思った。
バデーニとオクジーが首吊りによって処刑されるシーンの光景が斬新だった。アニメでもそういうシーンがあったが、それを完璧に再現していて、二人が天井から吊り下げられている首吊りによって宙吊りにされて処刑される構図が印象深かった。
あとは、殺陣シーンも魅力的だった。大きく殺陣のシーンは、序盤のノヴァクとオクジーの決闘シーンと、シュミットとノヴァクの弟子、ノヴァクとシュミットのシーンだが、動きが華麗で、特にノヴァクの身体表現の高さに驚かされた。森山未來さんなのでそれはそうなのだが、コンテンポラリーダンスも殺陣も上手くて凄い役者だなと改めて思った。
第一幕ラストのノヴァクとヨレンタで踊るシーンは良いなと思った。おそらく、ここだけが舞台オンリーのシーンではないかと思う。こんなシーンは原作にもアニメにも無かった記憶で、踊るというシーン自体舞台だからこそ表現できるシーンで、それで第一幕が終幕出来るのが良かった。
あとは、吹越満さんの裸踊りは好きだった。このシーンだけ、すごく滑稽で緩む感じがあって好きだった。私の観劇回に限ってなのか分からないが、客席があまりにも笑わなくてずっと緊張感みなぎっていたので、このシーンでもっと笑いが起きると良いななんて思った。

写真引用元:ステージナタリー 舞台「チ。ー地球の運動についてー」より。(撮影:田中亜紀)



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

演技、殺陣、ダンス、歌というあらゆる表現能力が高い役者たちが揃ってのキャスティングで物凄く素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていこうと思う。

まずは、ノヴァク役を演じた森山未來さん。森山未來さんの演技は、『おどる夫婦』(2025年4月)、『未練の幽霊と怪物ー「挫波」「敦賀」ー』(2021年6月)で演技を拝見したことがある。
ノヴァクを演じる森山未來さんはずっと怖い感じで良かった。無表情で、演技には物凄い力が入っていて、思い切り棒を机や地面に叩きつけたりして迫力があった。たしかにこの感じがあると、ノヴァクは森山未來さんしか勝たんなと思えてくる。
第一幕は、まだノヴァクの本領発揮は封じ込められている感じがして、ヨレンタという娘を愛しているという設定がしっかりと音楽と歌とダンスで描かれていて良かった。
しかし第二幕になると、バデーニとオクジーを拷問するシーンや、シュミットを殺すシーンなど、狂気的なシーンも増えていって怖さが際立った。ヨレンタを失ってから(正確にはヨレンタは生きていた)のノヴァクの狂い方とかが凄く表現されていて、引き込まれる演技だったなと思った。
そしてコンテンポラリーダンスも上手かった。さすがダンサーだった。
一つノヴァクのシーンで気になったのが、ヨレンタが爆死して手袋をずっと抱えているのだが、アニメ版では手袋を拾い上げて、ノヴァクはその爆死した女性がヨレンタだと気づいていないような描写に思えたが、舞台版では明確にヨレンタだと気づいている感じがあるように見えた。

次に、ヨレンタ役を演じた三浦透子さん。三浦さんの演技は、ミュージカル『VIOLET』(2024年4月)、serial number『Secret War ーひみつせんー』(2022年6月)で演技を拝見したことがある。
ヨレンタ役の三浦さんは、今回は特になんとも透き通るような歌声が響き渡った。三浦さんはどちらかというと、ミュージカルのメインキャストとしてソロパートを熱唱するというよりは、静寂な空間で歌を口づさむという感じが一番歌声に魅力が宿るなと思った。今作は、サックスとチューバによる生演奏に歌声が響き渡り、その静寂の中に歌声が響く感じがとても良かった。
また、ヨレンタというのは女性であるからこそ翻弄される存在という点をしっかりと描いているのは良かった。コルベがヨレンタが女性だから論文を出しても読まれない、だから自分の名前で出すと言ってしまうシーンをわざわざ入れたりと女性がこの時代の権力は弱かったことをしっかりと描いているのは、よりヨレンタを悲劇のヒロインにしていて良かった。
だからこそ、ヨレンタがノヴァクの元から逃亡し、騎士団を率いるようになったという描写をもっと詳しく描いて欲しいとも感じた。ヨレンタとドゥラカが出会うシーンで、一体ヨレンタは何者なのかと疑問が湧くことに対してアンサーがしっかり舞台版では描かれていないように思えた。

個人的にMVPだったのは、ドゥラカ役を演じた吉柳咲良さん。吉柳さんの演技は初めて拝見するのだが、吉柳さんはミュージカル『ピーター・パン』の10代目ピーター・パン役として有名である。そして吉柳さんは2004年生まれで21歳という若さである。
さすがピーター・パン役を演じたことある役者で、本当に歌が上手くて驚いた。三浦さんと同じ系統で、透き通るような歌声を持つ役者だなと思った。そして非常に華奢なので、すごく身体表現能力も高いと思う。まさに、歌って演技ができて踊れる逸材なのではと思う。
ドゥラカは、今作ではヨレンタから意志を引き継ぐ未来を背負う役割をしている。だからこそ吉柳さんは配役として適任だなと感じた。

最後に、バデーニとシュミット役を演じた成河さん。成河さんの演技は、『テラヤマキャバレー』(2024年2月)、木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』(2023年2月)で演技を拝見している。
特にバデーニ役の成河さんが印象的だった。バデーニは原作やアニメと比べると優しさもより感じられるように思えて良かった。少し笑いを誘うような描写もあったような記憶。
一方でシュミットの存在感が個人的にはあまり感じられず、上演時間的に第3章は多くをカットしているので仕方がないのかもしれないのだが、あまりにも第2章を手厚くやりすぎていて、第3章をもっとやって欲しかったなと思った。

写真引用元:ステージナタリー 舞台「チ。ー地球の運動についてー」より。(撮影:田中亜紀)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、自分なりにどうして『チ。 ー地球の運動についてー』の舞台版では、原作やアニメ版に登場する第1章と第4章が存在しないのかについて考察し、それを踏まえての個人的意見をまとめておきたいと思う。また、ここでは舞台版の『チ。 ー地球の運動についてー』に留まらず、原作とアニメ版の『チ。 ー地球の運動についてー』のネタバレも結末まで含まれるので、もし未読・未見でネタバレして欲しくない方は、原作・アニメに触れてから読んで欲しいと思う。

原作・アニメの『チ。 ー地球の運動についてー』は、第1章・第2章・第3章が15世紀のP王国の物語で、第4章のみポーランド王国と実際に存在した物語の話になっている。そして第1章の主人公はラファウ、第2章の主人公はオクジー、第3章の主人公はドゥラカ、第4章の主人公はアルベルトとなっている。第4章の物語はポーランド王国の話なので地球の歴史に基づいた物語になっており、実際アルベルトという人物も実在し、地動説を唱えた有名な天文学者・コペルニクスの師とされている。一方で、第1章〜第3章まではP王国という架空の国が舞台となっていて完全なフィクションである。
また、第1章に登場したラファウは、第4章で全く別人として登場する。このことから、巷では第1章〜第3章までの物語は、私たちが生きる現実世界の物語である第4章に対してパラレルワールドなのではないかという説も持ち上がっている。

この前提を踏まえた上で、なぜ舞台版では第2章、第3章のみ描かれたのかを考察してみる。
舞台というのは、ステージと客席がある。演劇というのは映像作品とは違って第4の壁を乗り越えられるので、時にはステージと客席の境目が無くなったりと出演者と観客が一体となる演出が取られたりする。しかし、その逆も演出することができる。要は、ステージと客席を完全に切り分けるという演出方法である。そして今回の上演では、おそらく後者をとっている。
ステージ上はフィクションの世界、つまり完全な非現実の世界を描き、客席は現実世界という設定で演出されているということである。だからこそ、客入れ、幕間、客だし後にはステージ手前の幕が降りる演出になっている。これによって完全に、観客はステージ上の非現実の世界から切り離され、客観的な立場で物語を俯瞰しているというポジションを取ることになる。
つまり、今作における観客の立場は神であると言っても過言ではない。そうすれば、今作に主人公が不在であることも説明が付くし、自分たちはノヴァクの視点でもバデーニ、オクジーの視点でもドゥラカの視点でも感情移入するというよりはあくまで彼らの行動を目撃する立場になっている。

ここでキーとなるのがラファウの存在である。ラファウはまるで、この非現実世界のフィクションの物語には生身の存在としては登場せず、かつてその世界に生きた存在、つまり亡霊や幻想としか登場しない。
実際に原作、アニメ版のラファウは、第1章ではP王国に生きる少年として登場して、第1章の終わりで死亡してしまうが、その後は第2章〜第3章までは幻想として、そして第4章では全くの別人として登場する。このことから、ラファウというのは神の存在であると解釈する人もいる。
さらにポイントなのが、ラファウが持っているねじまきによって、ステージと客席にかけられた幕が開くのである。つまり、私たち現実世界の人間はラファウという伝道師によってフィクションの非現実世界に導かれているのである。
だからこそ、決して今作は客席に役者が登場して何か演技をすることはしないし、完全に観客のいる世界とステージ上の世界が分断されているのである。

こうなってくると、ラファウという神のような存在をステージ上のフィクションの世界に普通に登場させてはいけないと分かる。だから第1章はカットされたのだと思われるし、この演出アプローチ、構造で行こうとするとそうしないとおかしなことになる。
第4章がカットされたのも同様の理由である。第4章は、私たちが生きた地球上の話なので、非現実世界のフィクションの世界で描くと変なことになる。

しかし、こういったアプローチを取ったことによって、本来原作やアニメが持っている『チ。 ー地球の運動についてー』の良さが一部損なわれたなと私は感じた。
このアプローチにしてしまうと、まるで地動説という異端な説と研究が宗教によって否定されれども、最終的にその地動説は後世の我々にとっては常識となり、それに伴う人間同士の対立はどの立場の人間も決して無駄ではなく、その対立があったからこそ今の私たちの暮らしがあるという説得力に欠けてしまうと感じた。
実際第2章〜第3章で描かれていることは、場所はフィクションでこの世に存在しない世界かもしれないけれど、地動説を唱えたコペルニクスや金星の運動の研究をしたガリレオ・ガリレイ、そして惑星は楕円軌道をするというケプラーの法則を唱えたケプラーを連想するものにはなっている。また、第4章によってそれがいずれコペルニクスに繋がることを示唆することで、やはり現実世界にどこか根差した物語であることを示していると思っている。
しかし、舞台版は完全にフィクションの世界をフィクションの世界として描いて、完全に私たち観客の世界とは結びつかないような脚本構造になってしまったので、そこの点が原作・アニメ版よりも損なわれたかなと感じた。
ラファウが仲介しているからと反論もあるかもしれないが、であれば何らかの形でラファウが現実世界の何かと繋がるブリッジ的な役割を地動説という観点から描くべきだったかなと思う。

ただ、よくここまでの超大作を3時間の舞台にまとめたなという感じなので、その芸術的な演出・世界観も含めて観ることができて良かった。

写真引用元:ステージナタリー 舞台「チ。ー地球の運動についてー」より。(撮影:田中亜紀)


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