これが、私の答えです。~「自分らしさ」は、こうして生まれた~
「自分らしさ」は、
その人の個性として、
変わらないものとして、
その人の内側にあるものとして、
考えられてきました。
でも…
それは、本当にそうでしょうか。
「自分らしさ」の歴史を
一緒にたどってみましょう。
どうも。こんにちは。
勝負の世界でも何でもそうですが、解像度を上げるって結構、大事。だと思っているytと申すものです。
さて、今回は「自分らしさ」の第二弾です。更新がかなり遅くなってしまいましたが、自分の中で納得のいく答えが出たと思っていますので、半年ぶりの更新となります。
なお、今回のテーマでは「世界史」を扱いますが、私は歴史の専門家ではありません。本で学んだ歴史をもとに、「自分らしさ」がどのように形作られてきたのかを、自分なりに整理したものです。そのため、認識違いや解釈の浅い部分もあるかもしれませんが、その点だけご了承ください。
前回までのあらすじ
前回の記事では、「固定された自分らしさ」の危険性について書きました。簡単に言うと、
これまでの私は、「これが自分らしさだ」と決めつけるあまり、職場の人や家族と何度もぶつかり、苦しい思いをしてきました。
そこで私は、「自分らしさ」を固定的なものとして捉えるのではなく、自分のなかに生まれる小さな違和感や感情にフォーカスすることこそが、「本当の自分らしさ」なのではないかと結論付けています。
(気になる方は是非↓)
また、夫婦関係についても、「普通はこうするでしょ」という思い込みが、すれ違いの原因になることを整理しています。だからこそ、夫婦それぞれの「普通」を受け入れながら、二人にとっての「新しい普通」を作っていくことが、大切だと結論付けています。
この考え方は、夫婦だけでなく、職場や部活など、あらゆる人間関係にも通じるものです。
(こちらも気になる方は是非↓)
前回の投稿や夫婦関係の投稿を整理すると、共通した考え方が見えてきます。
「自分らしさ」とは、
固定された自分を守るものではなく、
より良い関係性を築くために、
自分を少しずつ更新していくこと。
それこそが、現代における「自分らしさ」なのかもしれません。
ただ、ここで新たな疑問が湧いてきます。
なぜ私たちは「自分らしさ」を考えるのか。
それは、いつ・どんなきっかけで生まれたのか。
そもそも、なぜ私は「現代における自分らしさ」と表現したのか。
そこで今回は、人類の歴史をたどりながらそのルーツを探っていきます。
結論:歴史からみる「自分らしさ」
まずは、「自分らしさ」が歴史のなかでどのように形作られてきたのか、先に結論を示します。
「自分らしさ」とは、
広がる世界のなかで、さまざまな人や価値観に触れながら、【自分】と【自分以外】との関わりによって生まれる、「私はどんな人間なんだろう」という感覚です。
この感覚は、その人の内側だけで成立することはなく、周囲の人や社会との関わりのなかで形作られていきます。
そして、この感覚は、今後の技術発展によって、さらに強まっていくものと考えています。
・・・この人は何を言っているのでしょうか。
いきなり分かりにくい結論となりましたが、大丈夫です。順を追って説明していきます。
テーマ①:人は何を大切に生きてきたのか
まずは、人類がどのような歴史を歩んできたか、一緒に振り返ってみましょう。なお、ここからの内容は、細かな年代や出来事ではなく、「だいたいこんな流れだったよね。」というイメージで読んでください。
私が、今回の整理で大切だと思っているものは、次の3つです。
転換点:その時代に起きた代表的な出来事
人類規模:人々が生活するうえでの規模
支配的思考:その時代の人たちが当たり前だと思っていた考え方
この3つを大まかにまとめたものが、下の図です。

転換点:世の中が劇的に変化する出来事
まずは、図の一番上にある「転換点」です。転換点とは、その時代の人々が経験した大きな出来事を表しています。
農耕によって、食べ物を育て、生活するようになった
宗教改革によって、勤勉に働くことが美徳とされるようになった
産業革命によって、多くのものが大量に作れるようになった
技術革命によって、世界中の人々とつながれるようになった
このように、人類は時代の転換点を経験するたびに、その暮らし方や考え方を少しずつ変化させてきました。
SNSの登場によって、遠く離れた人とつながれるようになったことも、AIの登場によって、人間の知的活動を支える技術が生まれたことも、私たちが今まさに経験している転換点なのかもしれません。
人類規模:関わる世界が徐々に広くなる
では、この転換点は、人々が関わる世界をどのように変えていったのでしょうか。それが、図の中央にある「人類規模」です。
狩猟時代、人々が関わる世界は、村や部族などの身近な人たちとの関わりが中心でした。その後、時代の転換点をきっかけに「一緒に生活できる仕組みが整ってきたこと」や「それを支える技術が発展してきたこと」によって、村から国家へ、国家から世界へと少しずつ広がっていきました。
このように、人類が関わる世界は、時代とともに少しずつ広がっており、今では、世界中の人々がSNSなどを通じて、日常的につながりながら生活する時代になったのです。
支配的思考:その時代の「空気感」
ここまで、「転換点」と「人類規模」の変化を簡単に整理しました。では、そのような環境で生活していた人々が当たり前だと思っていた考え方は、どのようなものだったのでしょうか。
それが図の一番下にある「支配的思考」です。この棒グラフは、その時代の人々にとって「当たり前」だった考え方や行動を、イメージとして表したもので、「この時代の人々は、きっと、こんな空気感で生きていただろうな」と推測したものです。詳細を説明すると、長くなってしまうことから、ここでは概要だけを見ていきましょう。(詳細は補足①に)

狩猟時代では「生存」と「共同体」が何よりも大切でした。その後、「信仰」が「生存」と「共同体」と同じように重視されるようになりました。宗教改革を経て、その「信仰」が「勤勉」や「質素」といった「日々の行動」へと姿を変えていきました。そして、その「日々の行動」が、後の「生産性」や「効率」を重視する社会へとつながっていったと捉えています。
このように、人類は、歴史の転換点を経験するたびに、その時代の「当たり前」を少しずつ更新してきたのではないでしょうか。
まとめ:「自分らしさ」は「余白」
では、今回のテーマである「自分らしさ」について、考えてみましょう。少なくとも現代では、多くの人が考えるテーマになっていますが、昔からそうだったのでしょうか。
私は、「自分らしさ」は、どの時代にも存在していたものの、それを「当たり前」に考える時代ではなかったと考えています。
それは、どの時代にも、【生きること・共同体を維持すること・信仰を守ること・勤勉に働くこと】など、その時代に優先すべき「当たり前」があったからです。「自分らしさ」は、その「当たり前」の陰に隠れ、意識されにくかったのではないでしょうか。
では、なぜ現代は、「自分らしさ」を強く意識するようになったのでしょうか。私は、その背景に技術の発展があると考えています。
産業革命以降、大量生産によって、人類の手作業は生産ラインの管理へと変わっていきました。輸送や通信技術の発展によって、時間や距離などの制約は小さくなりました。機械による自動化が、人々の生活を支えるようになりました。そして現在では、AIなどの技術によって、「生産性」や「効率」を人間だけに求める社会からAIと分担する社会へ変わり始めています。
つまり、生きることで精いっぱいだった人間は、技術の発展によって、「考える余白」を少しずつ持つようになりました。
技術の発展とは、人間に「考える余白」を生み出してきた歴史、そのものなのかもしれません。
テーマ②:自分を定義するものは「つながり」
次のテーマでは、「自分らしさ」がどのように形作られるのかを整理していきます。というのも、私は以前から「夫婦の関係構築」をテーマに、「人の価値観」や「思考の癖」、「認知の仕方」など、人の心の働きについて整理してきました。
整理を続ける中で、人の価値観や思考の癖などは、生まれつきの要素だけでなく、自分以外との関わりによって形作られるのではないか、と考えるようになりました。
それならば、「自分らしさ」も同じように整理できるのではないか、ということで、「文化地理学」という分野を参考にしながら、自分と自分以外の関わりを下図のように整理しています。

技術の発展:認識できる世界を広げる
でははじめに、自分と自分以外の関わりで大切なポイントとなる「技術の発展」について見ていきましょう。テーマ①では、技術の発展によって「人類が関わる世界」が広がる様子を整理しましたが、ここでは、その視点を「一人の人間」に置き換えて考えてみます。
すると、技術の発展は、一人ひとりが認識できる世界を広げてきたことが分かります。
狩猟時代、人が認識できる世界は、家族や部族、自然などの身近な範囲が限界でした。その後、技術の発展によって、
輸送技術によって、他国の文化や食べ物が身近になった
固定電話によって、遠くの人と会話ができるようになった
SNSによって、世界中の出来事が身近になった
と変化しています。このように、技術の発展は、人間が認識できる世界を「目の前の世界」から「より広い世界」へと広げてきたのです。
人間の認識:世界をどのように認識するのか
では、このように広がった世界を、人間はどのように認識しているのでしょうか。私は、その過程を次の3つで整理しています。
物事に意味を与える
違いを認識する
他者との違いから自分を認識する
それぞれ見ていきましょう。
物事に意味を与える
まずは、「物事に意味を与えること」です。
例えば、「自動車」という言葉を聞くと、ほとんどの人は同じ乗り物を思い浮かべます。これは、
人間が「自動車」という言葉に、
「人や物を運ぶための乗り物」という意味を与え、
それを社会で共有しているからです。
このように人間は、物や言葉に意味を与えながら世界を認識しています。そして、その意味を共有することが、人と人とのコミュニケーションを成立させているのです。
違いを認識する
続いては、「違いを認識すること」です。
例えば、「○○自然公園」という場所は、柵によって内側と外側が区別されています。この柵があることで、「ここから内側が○○自然公園なんだ」と認識できるようになります。
このように人間は、あるものとあるものの間に境界線を引くことで、「これはここまで」「あれとは違う」と認識しています。
今回の例では場所を使いましたが、同じように「子供と大人」のような分類や、「好きなことと嫌いなこと」のような価値観についても、境界線を引くことで、違いを認識しているのです。
他者との違いから自分を認識する
最後は、「他者との違いから自分を認識すること」です。
例えば、私が友人と外食に行ったとき、「食べ物を決めるのが遅いね」と言ったとします。この言葉を口にした瞬間、私は友人を「食べ物を決めるのが遅い人」と認識すると同時に、自分自身を「食べ物を決めるのが早い人」と認識しています。
このように人間は、他者との違いを認識することで、自分自身の特徴に気付いているのです。
まとめ:「自分らしさ」は周りとの関わりの中で作られる
ここまでを整理すると、
人間は、物事に意味を与え、違いを認識し、他者との違いから自分自身を認識していることが分かります。
つまり、人は他者を認識することで、自分自身も認識しているのです。
この認識構造から考えると、「自分らしさ」とは、自分の内側で見つけるものではありません。認識できる世界との関わりや、そこで出会う他者との違いを通して、少しずつ形作られていくものではないでしょうか。
さらに、技術の発展は、一人ひとりが認識できる世界を大きく広げています。SNSなどによって、世界中の人々の価値観や生き方に日常的に触れられるようになった結果、「自分はこれでいいのだろうか」と迷ったり、「どうしてこんな考え方をするのだろう」と戸惑ったりする機会が増えているのも、技術の発展によるものなのかもしれません。
テーマ③:「自分らしさ」の正体
最後に、「自分らしさ」の正体について考えてみましょう。ここまで、人類の歴史と人間の認識構造という2つの視点から「自分らしさ」を整理してきました。
テーマ①では、人類は、歴史の中で、その時代ごとの「当たり前」を少しずつ更新しながら生きてきたことを整理しました。そして、その更新を支えてきたのが「技術の発展」であり、結果的に人類へ「自分らしさ」を考える余白を与えています。
テーマ②では、「自分らしさ」は、自分の内側だけで生まれるものではなく、自分以外との関わりの中で形作られていることを整理しました。そして、技術の発展は、人との関わりを広げ、多様な価値観や生き方に触れる機会を与えています。
ここまでを振り返ると、
人類は、歴史の中で変わり続けてきました。
人間もまた、周囲との関わりの中で変わり続けています。
だとすれば、「自分らしさ」は固定されたものなのでしょうか?
私は、「自分らしさ」とは、「これが本当の自分だ」と決めることではなく、変わり続けることそのものではないか、と考えています。
最後に:「自分らしさ」との良い付き合い方
今回は「自分らしさ」という曖昧なテーマを、人類の歴史や人間の認識構造という視点から整理してみました。いかがだったでしょうか。
もちろん、これが唯一の正解だとは思っていません。
ただ、夫婦の関係構築を通して考え続けてきたことと、今回の整理を重ね合わせてみると、私なりの答えが見えてきます。
その答えは、シンプルです。
「自分らしさ」に、そこまでこだわる必要はない。
目の前にいる大切な人を、ちゃんと、大切にしましょう。
その人との関わりの中で、出てくる自分の感覚を大切にしましょう。
「今言われた事、引っかかるな。」
「なんで、この出来事を引きずっているのだろう。」
「なんでこんなに怒っているのだろう。」
そんな小さな感覚が、あなた自身を知るための手掛かりだからです。
私は、その感覚を観察しながら、少しずつ変わり続けることこそが、「自分らしさ」との上手な付き合い方なのだと思っています。
最後になりますが、「自分は何だろう」「なんで生きているのだろう」と悩んでいる方々の肩の荷が、少しでも軽くなるような投稿になっていれば、とてもうれしく思います。
補足①:支配的思想の詳細
本文では、時代ごとの「当たり前」を支配的思考として整理しました。ここでは、その変化について少しだけ補足します。
狩猟時代の人々にとって、まず大切だったのは「生き残ること」と「共同体を維持すること」でした。自然環境は厳しく、一人で生きることは難しかったため、この時代の人々にとって、「生存」と「共同体」は生活の前提だったと考えています。
その後、農耕が広がり、人々が定住し、国家や宗教によるまとまりが生まれると、「信仰」も人々の生活の中心に組み込まれていきました。当時の社会では、信仰は単なる個人の考え方ではなく、共同体の秩序としての機能もあったことから、この「信仰」から外れることは、共同体から外れることにもつながりかねません。そのため、この時代の人々には、「生存」と「共同体」と同じくらい生活の前提に「信仰」があったと推測しています。
さらに時代が進むと、信仰は「ただ信じること」だけではなく、「日々をどう生きるか」という行動にも結びついていきます。勤勉に働くこと、質素に暮らすこと、与えられた役割をまじめに果たすこと。こうした姿勢が、人々にとって大切な生き方として重視されるようになりました。こうした考え方を大きく後押しした出来事の一つが「宗教改革」です。ウェーバー(補足②参照)は、この変化が、後の資本主義社会の基本姿勢になったと考察しています。
そして、この勤勉さや質素さは、近代以降の社会の中で、「より多く作ること」「より無駄なく働くこと」と結びついていきます。産業革命によって大量生産が進み、社会全体が工場・市場・競争を中心に動くようになると、人々の生活の中でも「生産性」や「効率」が強く求められるようになりました。
つまり、支配的思考は、突然入れ替わったのではなく、その時代の社会の仕組みや技術の発展に合わせて、少しずつ姿を変えてきたのだと整理しています。信仰が勤勉や質素という行動に変わり、その行動がやがて生産性や効率を重視する社会へとつながっていった、という流れです。
補足②:読んだ本のご紹介
今回の投稿は、一冊の本で答えが見つかることはありませんでした。複数の本を読み、それぞれの考え方をつなげていった結果として、このような内容に仕上がりました。ここでは、そんな本たちを紹介していきます。
(以降、敬称略)
タイトル:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
著者:マックス・ウェーバー
読書時期:2026年1月~2026年2月
このテーマをまとめるうえで、一番はじめに読んだ本です。近代の主流となっている資本主義社会や、その背景にある考え方の中に、「自分らしさ」の原点があるのではないかと考え、読み始めました。
正直にいうと、本当に難しい本でした。(解説付きにすればよかった。)
結果から言うと、本書に「自分らしさ」への直接的な答えはありませんでしたが、補足①でも触れたように、「信仰」が「日々の行動」へと変わっていく過程を知ることができたことが一番印象に残っています。また、歴史には、人々の考え方が大きく変わる転換点があることを実感できた一冊でもありました。
ちなみに雑学ですが、本書には「天職」という言葉が登場します。これはキリスト教がルーツで、
・神様は教会ではなく「心の中」にいる
・だから神様は日々の姿勢を見ている
・質素で勤勉である姿勢を実践すること自体が「天職」を果たすこと
という考えだったようです。
タイトル:文化地理学講義〈地理〉の誕生からポスト人間中心主義へ
著者:森 正人
読書時期:2026年2月~2026年3月
次に手を出したのがこの本です。というのも、本文でも書きましたが、「人を形作るものは、周囲の環境との関わりが大きい」ということを以前から感じていました。そこで、「人間とその土地との関係を扱う学問はないだろうか」と思い、見つけたのがこの本です。
内容は、初めて見る専門用語や固有名詞がたくさん出てきて、本当に難しい本でした。正直なところ、今でも理解しきれていない専門用語や考え方がありますし、時間が経って忘れてしまった部分もあります。それでも、読み進めるのが楽しくて、最初は図書館で借りて読んでいたのですが、好きになってしまい、返却すると同時に「ポチッ」と購入してしまった本です。今回の投稿では、テーマ①とテーマ②の骨子になっていて、テーマ①で整理した歴史を俯瞰する視点や、テーマ②で整理した「自己を認識する方法」など、今回の整理の土台になった一冊です。
タイトル:21 Lessons
著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
読書時期:2026年4月~2026年5月
最後に手を出したのが本書です。これまで2つの本を読んで、投稿の構成は何となく出来ていたのですが、「少し現代の情報が足りないかな」という感覚もあったので読み始めました。
読んでみると、現代社会が変化するスピードや、その中で著者が描く現実的な未来予想を知ることができ、最前線で学び続ける人の凄さを実感しました。また、個人的に特に印象に残ったのは、本書の最後の方で示されていた
「変化だけが唯一の不変であること」
「観察(著者の場合は瞑想)が重要であること」
という考え方です。
偶然にも、それらは今回の投稿でたどり着いた結論と重なる部分があったため、「自分だけがそう考えていたわけではなかったんだ」と少しうれしくなったことを覚えています。今回の投稿では、テーマ③の「自分らしさは変わり続けるもの」という考え方を後押ししてくれた一冊です。
