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働かない日々がくれた原点回帰

自動化してしまうと、世の中が急にひまになった。最初のうちは変な感じだった。

仕事に追われていた頃は「もっと自由な時間が欲しい」と切実に願っていたくせに、それが手に入ったとたん、手持ち無沙汰になってしまった。

どこから手をつけていいかわからない空白が、ただ目の前に横たわっているようで、少し戸惑った。それを上手く扱えるようになるまで、約1年はかかった気がする。  

慣れてみると、働いていた頃よりずっと気楽だ。

以前は、働かないと不安が募る時期があったけれど、今から思えば、あれは「働いていることで余裕が失われていた」だけだったのかもしれない。

いつの間にか、仕事による制約が「安心」を生んでいるかのように錯覚していたけれど、それはただ生活を狭めていただけだったと、今は思う。

実際、こうして自分ひとりで会社を回しながら、どこにも急かされず生きていると、なんだか呼吸が深くなった気がする。  

AIの時代だからこそ、これからは別のことをやってみたい。

美術や武術をもう一度、自分のペースで取り戻すのはどうだろう。

体調が良くなれば、デッサンを掘り下げたり、少林寺拳法の型をゆっくりなぞってみたりしたい。

高校生の頃、美大を目指して通ったデッサン教室の静かな空気を思い出す。紙の上に鉛筆を走らせて輪郭を拾い、光の加減を

確かめながら立体感を生み出すあの手触り。

少林寺拳法の道場で、身体を使って技を磨くあの研ぎ澄まされた時間。  

結局、こうして余裕ができると、また原点へと戻っていくみたいだ。

誰に強いられるわけでもなく、自分で選べるというのは、不安定だけれど開放的だ。

今は「働かない生活」が心地よく、「いつかやりたいと思っていたこと」に手を伸ばせる可能性がある。もちろん、そんな理想がすべてスムーズにいく保証はない。

でも、淡々とひとり社長を続けながら、ふとした隙間に、昔夢見たキャンバスや木剣を手に取る。

こんなふうに時間が循環していくのは、案外悪くない。  

そう思うと、自由に使える時間と余裕というのは、人生をもう一度描き直せる画材みたいなものなんだろう。

働きづめで見えなくなっていた部分を、改めて照らし直してみれば、結局はそこに戻ってくる。

お金と時間があるとき、人はなぜか原点回帰したくなるのかもしれない。

そんなことを、静かな部屋で、柔らかい光の中で考える今が、けっこう好きだ。


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