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デジタルじゃない「紙の本」が好き

デジタル機器は手放せない。スマホやパソコンを中毒レベルで毎日使い倒していて、気づけばあらゆる情報をデジタルで消費している。

AmazonのKindle Unlimitedにはもう5年くらい毎月980円を課金していて、正直めちゃくちゃ便利だ。安く、たくさんの本を読むにはこれ以上ないシステム。ただ、そんな僕でも、たまに紙の本を買ってしまう。紙が好きだ。目にも優しい気がするし、なぜか落ち着く。

紙の本は物理的に邪魔になるし、物が増えるのは本当はあまり好きじゃない。できれば所有物はデジタルで済ませたいと思っているのに、いつの間にかまた本が増えていく。

妻に「また本増えたなぁ」と定期的に言われ、「そろそろ捨てるか売るかするわ」と申し訳程度に返事をする。そのやりとりすらも日常の一部になっている。僕はクローゼットの棚にあるる本を手に取り、すぐそばにあるベッドに座り、埃がたたないように軽くさする。カバーがちょっと黄ばんでる本を指で弾くと、ほんのり紙とインクの匂いが漂う。その感覚がなんだか心地いい。

論理的に考えれば、目に優しいならKindle端末でもいいはずだし、軽くて片手で読めて検索だってできる。でも、なぜか紙の本は両手で支え、ページをめくる動作まで含めて「読書」を成立させてくれる気がする。指でページをめくるときに微かに立つ音や、紙の手触り、ちょっと重い本を膝に乗せる感覚が、「ああ今、本を読んでるんだな」という実感をくれる。まるで時間をゆっくり噛みしめている感じがする。

書類関係は逆で、全部デジタルにして欲しい。FAXとか、紙でのやりとりなんて面倒すぎて「なんでこの時代に?」と思う。でも本に関しては逆。読み終わったら結局処分するのに、紙で読む。その矛盾を思えば、僕はどこまでも非合理的だ。

そういえば、指でページをめくるとき、紙が少し湿気を含んで波打ってたり、角がほんの少し折れてたりするのを見ると、そこに人間くささを感じる。電子書籍は機能的だし、検索もできるし、すごく便利だけど、この「人間くさい」感じはない。別に機械が嫌いなわけじゃなし、むしろ好意的だけど、あえて不便な紙を持つと、人生がちょっとだけ立体的になる気がする。

結局、紙じゃなきゃだめだと言うつもりもないし、電子で済ませる人を否定するわけでもない。それぞれ好きな方法で生きればいい。

僕はこの不思議な非合理性を抱えながら、また一冊、紙の本を手に取り、ページをめくっている。それだけで、なんとなく満足なのだからしょうがない。


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