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朝を気にせず本が読める夜が至福

 書斎には、読みかけの本が立てかけられている。気が向くとフラッと立ち上がり、そのうちの一冊をパラパラと開く。テーブルには別の小説が置いてあって、食後に紅茶でも飲みながら読みたい気分になると、そのまま椅子に腰を下ろしてページをめくる。

ときどき、いい場面に差しかかったタイミングで、うちの豆柴“お茶子”が「遊んでほしい」とじゃれついてきて、小説どころじゃなくなることも多い。しかたなくページにしおりを挟み、リビングのラグで一緒に遊ぶうち、いいところが中断されてしまう。でも、それも悪くない時間だ。

 妻は僕ほどたくさん本を読むわけではないけれど、ぼくが連載ものの推理小説を読んでいると、「いま何巻まで読んだの?」とときどき訊いてくる。妻の姉に借りてるのでなんとなく気になるらしく、要所要所であらすじをまとめて話してあげるのが半ば習慣になった。

きっと自分で一巻から追うほどのモチベーションはないのだろうけれど、人が面白そうにしているものは気になる、という感じなのかもしれない。僕としては、ついつい熱弁し過ぎて、いつのまにか妻はスマホの方向いて聞いてなかったりすることもある。

 小学生のころから読書は好きだった。きっかけは進学塾の国語の文章問題で、椎名誠の「岳物語」だった。そこから椎名誠の本を何冊も買い漁りいつのまにか小説の楽しさにどっぷり浸かり、他の作者にも手を出していた。

そのまま中学高校大学と進んでいく間も、「ゲームをするか、本を読むか」が基本の時間の使い方になっていた。部活はしていたけど、それ以外の時間に友達と話す時間が少なくてもあまり気にしなくなった。

むしろ、しゃべるより本を読むほうが落ち着く……と、この頃にはもうなっていた。ところが、ふと何かのタイミングで人前で話すと「意外と面白いヤツやな」と言われることがあって、いや、単純にいつも本ばっかり読んでるだけやけど、と内心思っていた。

 高校時代は片道で1時間近い電車通学をしていたが、その時間はまるまる読書に充てていた。これがまた快適で、立ちっぱなしでも小説を開いていたし、席が空けばさらに没頭してしまう。おかげで「降りるはずの駅を過ぎていた」という事件は何度も経験している。

朝の通勤ラッシュで満員電車のはずが、気づけば隣の街に行きすぎていて、遅刻確定。それでも本を閉じるまで気づかないという我ながらどうしようもない集中力に、当時の自分は開き直るしかなかった。遅刻常習犯と化したのも、その読書癖が一因だろう。

 そんな「読んでばかり」の姿勢は、社会人になってからも変わらない。働き方によっては読書時間が減る人も多いだろうが、僕の場合は体調のムラもあって、なるべく仕事を圧縮しているぶん、本を読む余裕がある。

とはいえ、長時間ひたすら集中できるわけでもないから、読書とゲーム、それにSNSのX(旧Twitter)をダラダラ眺めるのを繰り返す日が多い。文字ばかり追っているとさすがに目が疲れるし、ゲームに飽きたらまた小説を開く……というループを飽きもせず重ねている。

 ちなみに夜は夜で、iPadで電子書籍を乱読する。AmazonのKindle Unlimitedサービスはもう何年も契約し続けていて、僕の夜の眠りを誘う役割を担ってあり、最近は、なんとなく宗教や神道や神話の本を毎晩1時間くらい読みあさっている。

普通なら翌朝の仕事に支障が出るからやらないけれど、起業してからは朝にわざわざ仕事入れることはまずないので、安心して夜も本が読める。

なんなら、午前中に仕事を入れることは月に10回もないし早くて10時頃。深夜2時に寝たってぜんぜん問題ない。ひとり社長な上に自宅で仕事する在宅ワーカーだから。それにリビングから仕事部屋までは徒歩3秒。遅刻は絶対にない。

 ともあれ、いまはこうして新しい本に囲まれ、気まぐれに読書をして、飽きたらゲームやSNSに逃げ、合間にはお茶子と遊んで過ごす。

人とたくさん関わるより、本を読んでいるほうが落ち着くのは昔から変わらない。僕自身は“本さえあれば退屈しない”程度の安上がりな人間だと自覚している。いろんなことが中途半端に思えるかもしれないが、それも含めて今の僕にはちょうどいい。

今日も読みかけの小説を開こう。もしかしたら、お茶子が邪魔しに来るかもしれないが、それもまた悪くない、と思いながら。


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