耳で拾えないから目で拾う
子どものころから、耳で情報を受け取るのが苦手だった。学校では先生がずっと話していて、まわりの生徒は頷きながら聞いているように見える。
でも僕はその声がうまく頭に入ってこなくて、「はいっ!」と元気よく返事はするものの、実は何を言っているのか分からなかった。後で友達に「さっき何言ってた?」とこっそり聞くのがお決まりのパターンだった。
学生時代はそれでもなんとかなった。理由は簡単で、聞き逃しても教科書がある。僕は教科書にたっぷり書き込みをして、自分流の攻略本みたいに仕立て上げていた。
耳で聞き取れなくても、目で読めば理解できる。そうやって目から入る情報に頼る方法で、そこそこの成績を維持できた。
部活(少林寺拳法)では大声でハキハキ返事をして評価を稼ぎ、授業は教科書を読み込んでテストに備える。おかげで「文武両道だね」と言われても、「いや、実は耳が当てにならないだけ」と心の中で苦笑する日々だった。
ところが社会人になると状況は一変する。
会社では上司や同僚が口頭で指示を出す。メモをとろうとしても、いざあとで見返すと、何を書いたのかよくわからない。
欲しい情報がどこにあるか見つからず、ページをペラペラめくっては「面倒くさいな…」とため息をつく。ここには教科書もないし、後で聞き直す機会も限られている。僕は意外なほど自分がポンコツだという事実を思い知らされた。
なぜこんなにも音が苦手なのか、実のところわからない。人の話を聞く興味が欠けているのかもしれないし、単純に耳からの情報処理が向いていないのかもしれない。
自律神経失調症になって聴覚過敏まで加わり、SNS動画の音も苦痛になった今では、「もう仕方ないや」と受け入れるしかない。
代わりに僕は、月4〜5冊読んでいた学生時代よりもさらに本を読むようになった。
視覚情報ならスムーズに理解できるし、本なら自分のペースで拾い読みできる。誰かに頼らなくてもテキストから知識を引き出して、ビジネスを前進させることができるようになった。それは大きな財産だ。
結局、自分に合った情報の取り込み方があるということだ。会社員時代は周りに合わせて口頭指示に従わなくてはいけなくて、それができなくて苦しんだ。
でも今は社長として働いている。手法は自分で選べるから、目で理解する戦い方で十分に勝負できる。最初から耳を当てにしなければいい。
相性のいい人が自然と集まってくるし、テキストベースで発信すれば、僕のやり方に賛同してくれる人も現れる。適材適所とはこういうことだろう。
こうして振り返ってみると、昔から「聞こえない」ことをカバーするために必死に考えていた気がする。耳は当てにならないけれど、目と頭で補えば何とかなる。学生時代に教科書を攻略し、今はビジネスで本や文字情報を頼りにする。
僕は不器用だけれど、その不器用さが、結果的に自分なりの生き方を整えてくれたんじゃないかと思う。上手くいく方法は一つじゃない、そう思えるだけでも、ちょっと気が楽になる。
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