帝がゾッコン|第二章 才色兼備、趣味難あり〈一〉
登場人物
廷議
【太上王・嵯烈宗】
嘉衡王朝・三代王。
突然、廷議の場に現れ、宗正卿・周明を探すという名目で場をかき乱す。
【刑部尚書・千仲連/白璃君】
若き日は将軍として数々の戦功を挙げ、太上王の側近として仕えていた。
その卓越した軍略と政務の才から「白璃君」の名で知られる。
【宗正卿・周明】
廷議の場に突如太上王が現れ、自らを呼びに来たことに内心たじろいでいる。
【洪敬脩】(※名のみ登場)
本作の主人公であるが現時点では名とわずかな情報のみ。
執務室
【工部侍郎・光印】
王宮内の造営や技術関連を司る官。尚書不在の中、多忙を極める。
見目麗しく、宮中屈指のモテ男として有名。だが彼には秘密があり.......
【官学博士・美希】
国家直轄の学問機関に仕える秀才教官にして才女。
光印の秘密を唯一知る存在。
【工部尚書・荊峰《じんふぉん》(※名のみ登場)】
工部の長官にして、光印の直属の上司。
先王崩御の報を聞いたその瞬間、未曾有の水害に見舞われた被災地へ飛び去っている。
前回のあらすじ
廷議の最中、すでに政から退いたはずの太上王が突如として姿を現す。
その口から飛び出したのは、“殺戮将軍”と恐れられた烏邪刳の名。
まるでふらっと現れたようでいて、そうではないと察する者たちの間に、ざわめきが広がる――。
さらに、いまだ決まらぬ次代の王として、「敬脩」という謎の名を放ち……。
第二章〈一〉
三つの姓をもつ一人の男。
それだけでも十分に風変わりだが、それを実に面白そうにしていたのは太上王ひとりだけ。
この廷議の場には、魯王を筆頭に嵯氏に連なる者もあれば、高官らの中には賀律氏の名を戴く者も少なからず列席している。
にもかかわらず、誰ひとりとして「敬脩」なる名に、心当たりを示す者はいなかった。
そんな周囲の動揺など、まるで梅雨の湿り気のように気にも留めず、太上王は杖先を周明へと向けて言う。
「とりあえず、もうこの老人は借りていってよいかの? 腹が空いては、戦もできんッ!」
「い、いやっ……しかし、それは……ゴホッ、ゴホッ……! この状況ではさすがに……」
ためらう周明の言葉を、太上王が傍若無人に一喝した。
「知るかあッッ!」
乾いた音が、床を打つ杖とともに大広間中に響き渡る。
突如として響いた大音声に、まるで獣の咆哮を耳にした野兎の群れさながら、廷臣らは一斉にびくりとし、ただただ固まる。
「いつまで泥仕合を続けるつもりじゃッ!誰も旗を振らんのなら、わしが昼餉を振るうぞ!」
そう言うが早いか、「ほら、茶話の約束じゃろうが」と、周明の袖をひょいとつまみ、ずるずると歩き出した。
引かれていく周明は、いまだ状況を呑み込めぬまま、目ばかりを右に左にと忙しなく泳がせている。
それでも太上王は、そんな迷いに付き合う気など、露ほどもないらしい。
すると、ふいに立ち止まり、まるで何かを思い出したように後ろへ数歩すうっと後ずさる。
そうして千仲連の目の前まで戻ると、正面を向いたまま、視線ひとつ動かさずに、人差し指をくいくいっ、と二度ほど振って言う。
「耳を貸せ、白璃君」
突然の呼び名に千仲連が「……は?」と一瞬ぽかんとするも、太上王の口元に耳を寄せる。
すると、ごくわずかな囁き声が聞こえた。
「はよ、連れてこい」
名を挙げられずとも、何のことかはすぐに察せた。
どうやら、千仲連が密かに千朗堅を動かしていた件は、どこから漏れたとも知れぬが、すでに太上王の耳へ届いていたらしい。
「……なっ――」
問いただそうとした声は喉の奥でつかえ、仲連は反射的に口をつぐむ。
喉がかすかに上下し、息を呑むんだその瞳は(なぜそれを知っている!?)と言わんばかりだ。
隣に立つ湯尚へと目をやったが、どうやら彼には聞こえていなかったらしく、目を見開いたまま仲連をじっと見つめていた。
再び歩き出した太上王の足元で杖の先が床を打ち、石の音が弾けては広がる。
誰もその背に声をかけられぬまま、まるで最初からすべてが仕組まれていたかのように。音はやがて、遠くへと消えていった。
重臣らは「敬脩」なる名に、あれやこれやと憶測を飛ばし合ったものの、話はあらぬ方向へと逸れ、八方塞がりのまま埒も明かず――
やがて左僕射が、「また日を改めて」などと、曖昧極まりない一声をもって、うやむやなままこの日の廷議は、幕を引かれたのである。
大広間には名残惜しげに香の煙が漂い「ようやく終わったか」とでも言いたげな面々が、ひとり、またひとりと衡宸殿を後にしていった。
♦︎
翌日、廷議に列した一部の大臣のもとへ、宗正卿・周明より「敬脩」という人物について、判明している範囲の情報が簡潔に記された一通の密牘〔機密性の高い文書〕が届く。
工部庁舎の執務室。
卓の上には山のように積まれた帳簿と文書。
その隙間に体を埋めるようにして、光印は筆を走らせ、印を捺し、書類をひとつひとつ束ねてはそれを繰り返していた。
傍から見れば冷静沈着、そつなくこなしているようだが、その胸の内はとてもそうも言っていられなかった。
(葬儀の手筈に、礼部との式次調整!届くわ届くわ、追加要望書の山!戸部との予算折衝だって片付いてない!
ついでにそうさ、水害対応!人員の補充?吏部にも手回ししなきゃならない!雨季なんか、クソ喰らえ!!)
(当の尚書殿下は崩御の知らせを聞くや否や、
「“いちおう”現地指揮、いるっぽくてさ? 行ってくる」 と言い置いて南部水路でご活躍中でございますよ!!
は!?……「いるっぽい」ってなんだ!?貴方は行かなくていいだろう!!!)
(まあその迅速さたるや感涙もの……おかげさまで廷議の代理出席を土壇場で引き受ける羽目になったのはこの私だ!
それに昨日のあの華麗な報告?完璧な進言?あれを考えたのは美希だ!
彼女がいなければどうなってたことか!)
(……ああもう、予算!予算といえば、水害のせいでまた一冊帳簿が増えているじゃないか、あ゛~~~~~~~~~~~……厄介ごととはどうしてこうも、示し合わせたように一斉に襲ってくるというのだ!!!)
(だが!!!)
(――恋の道ゆけば茨の道!愛は重労働すら甘美に変える!
我が親愛なる工部尚書殿下、荊峰様のためとあらば、この工部侍郎・光印、筆も捺印も、己がこの身ひとつで受けて立とうではないかっ!)
そんな彼の情緒を映すかのように、雑多に積み上げられた帳簿のその隙間からは『宗正卿・周明』の印が押された非公開の封書がちらりと覗いていた。
光印はそれに手を伸ばしかけたところで、ふと開け放たれた扉の先、庁舎の作業場へと目を遣る。
(……まったく、言い渡しておいてなんだが、棺を一週間足らずで仕上げろだなんて、我ながらよく言ったものだ)
その一角では刃を走らせる音が時折響き、ずらりと並べられた漆箱のあいだを、工匠たちが忙しなく行き交っている。
部下たちは皆、最終仕上げに余念がないようだった。
(大葬が終わり次第、皆には休暇をやらねばな。こんな無茶をやり遂げたんだ――)
一通り見届けた光印は再び机へと向き直り、封書へと手を伸ばしかけた、その時。
執務室へひょっこりと姿を現したのは、帳や巻物を両腕いっぱいに抱えた官学博士〔国家直轄の学問所に仕える教官〕・美希であった。
「やあ、よく来――」
……が、聞いてなどいない。
「この散らかりようはなに?使われてない離宮のほうが、よっぽど整ってるわね。
ここ、もしかして暴れ牛でも放った?」
「言わないでくれ......王が崩御したんだ。牛の一頭や二頭、暴れてたって不思議じゃないだろ」
「ああそう、じゃあそのやさぐれ顔は片付けて、頼まれてたこれ、どこに置けばいいのか教えて?」
目の前に広がるのは、書簡に巻物、帳簿と筆硯が入り乱れた、まるで戦場のような執務机。
いや、それだけではない。
机の下には読みかけの書が山のように積まれ、壁際には用途不明の工具が乱雑に押しやられ、窓辺にいたってはいつから放置されているのか分からない杯が転がっている。
「任せるよ。置き場所の確保も含めて君に頼んだ仕事の一部だ」
乱雑に積まれた書巻の山を前に、美希は思わずぼやく。
(そんな仕事を引き受けた覚えはないんだけど)
彼女の視線は唯一足を踏み入れられそうな隙間を探していた。
「……つまり片付けから始めろってことね」
「そうとも。掃除が得意で、ついでに口達者な才女が現れてくれますようにって、今しがた神様にお願いしていたところさ」
「私に言ってる?」
呆れを隠す気もない美希のひと言に光印の手が、ぴたりと止まる。
そのまま顔を上げ、くるりと振り向いた彼は、気障な笑み浮かべて彼女を見る。
その拍子に、淡い栗色の髪がふわりと空気をはらみ、陽光に溶けるように揺れた。
「他に誰がいる?」
その言葉ひとつ、仕草ひとつ、ただそれだけで紙屑まみれの部屋すら、ほんの少し品よく見えてしまうのだから始末が悪い。
若くして工部の高官に名を連ね、筆の進みも口の回りも申し分なし。
加えて眉目秀麗、物腰柔らか、笑みひとつで百官すら煙に巻く。
まるで“完璧”という名の標本から抜け出してきたような男である。
彼に「おはよう」と一言でもかけられようものなら、その辺の宮女は一発で落ちる。
いや、実際に落ちた者が複数いるのだ。
通りすがりの花売り娘に至っては、その魅力にやられ、手にしていた売り物の花をごっそり地面に落とし、顔を真っ赤にして拾い集めていたとか。
……似たような話は、掃いて捨てるほどある。
だが、彼の本性を知る美希にとっては、そんな芝居がかった物言いも仕草も、春風ほどにも効き目はない。
「そうね、私しかいない。……それにしても光印、今日も冴えてるわね。貴方の悩殺力、今朝は一段と高いんじゃない?」
彼女が「冴えている」と言ったのは、決して仕事ぶりを評したわけではない。
たとえ書類の山に埋もれていようが、髪が少し乱れていようが、寝不足続きなのか何なのか、そんなこと知ったこっちゃない。
ただ、この男の見た目だけは、どうあっても抜群にいいのだ。
不本意ながらも、そう認めざるを得なかったからに過ぎない。
「なんの話かな?」と気障な笑みを一切崩さず、わざとらしくとぼけてみせる光印に、美希はなおも言う。
「貴方にとって私が、色気を仄めかす対象じゃないということよ」
比類なき色男の、稀代の美丈夫、それは彼自身の素か、それともいつの間にか癖になった“仮面”なのか、彼女にはわからない。
ただ一つだけ確かに言えるのは、周囲が口にするそうした褒め言葉のどれもが、彼そのものを正しく映してはいない、ということだ。
しゃがみこみ、床に散らばった紙を一枚拾い上げては
「トン、トン」と端を揃え、棚に収めながら冷淡な口振りでもう一言付け加えた。
「乙女が夢見る二枚目、稀代の美丈夫、その正体が“男色”だなんて。……知らぬが花、ね?」
その言葉は皮肉に聞こえなくもなかったが、彼をよく知る者にしか、絶対に口にできない類のものだった。
そんないつもと変わらぬ彼女の言葉を、耳からさらりと流しつつ、光印は封書に手をかけた。
『洪敬脩 二十一歳 曾祖母 嵯珪玉 曾祖父 賀律啓義――』
(……知らぬが花、か)
そう内心で呟いたものの、次の瞬間にはもう、気障な調子をすっかり取り戻していた。
「しかしだ。君のような才女が“それ”を嗜む女性だなんて、なおさら嘆かわしいじゃないか」
「なにが嘆かわしいの?貴方は実演、私は鑑賞。役割分担バッチリ」
食い気味に返されたその言葉に光印の口元が緩み、苦笑が浮かぶ。
「相変わらずきみは、そういうことをまっすぐ言うんだね」
やれやれと、呆れる光印だったが、内心では(まあ、言われてみればその通りか)とも思った。
彼が文をとんと指で叩きながら続けて言う。
「とはいえ、男を愛でているという点では我々は同類だろ」
その瞬間、棚に書類を投げ込む手が一瞬ピタリと止まり、美希は少しだけ眉間を寄せて光印に向かって言い返す。
「同類?その言い方だと、私が“女を好いてる”って聞こえるけど――」
言い捨てるとすぐさま足元に散らばった巻物を一箇所にかき集めながら続ける。
「一応、異性が対象だから誤解しないで」
「はいはい、わかってるよ」と、光印は軽く笑って手をひらひら。
まるで子どもにたしなめられた親のような調子で受け流す。
「……まあ、強いて言うなら利害の一致ってとこね」
「なるほどそれで?」と光印。
美希は巻物を次から次へと棚に収めながら、さらりと答えた。
「貴方が誰を好もうと、私には関係ないし口外するつもりもない。その代わり私が――」
「美希が男同士の恋に萌えようとも、お互いに不可侵」
まるで「君の言いたいことはこうだろ?」と言わんばかりに、光印が微笑を浮かべて被せてくる。
言いかけを奪われた美希は、少々ムッとした様子で小さく鼻を鳴らした。
「言いたいことを先回りしないで」
残っていた最後の巻物を棚にポンと収め、くるりと光印の方へ向き直る。
「智者は奇を好む、って言うでしょう?お互いに深入りするとロクなことないから――」
そう言いながら親指を立て、背後の棚を指差す。
「――片付け完了」
つい先ほどまで阿鼻叫喚のごとき有様だった室内が、いつの間にか見事に片付いていた。
けれど、それより何より驚くべきは、やはりこの女の理屈っぽさと、妙にキレの良い口ぶりである。
「お見事。今日も冴えてるね、美希。そろそろ“口巧者”の称号を与えられるんじゃないか?」
光印は褒めたつもりだったのだが言って早々、やはり返しは容赦なかった。
「ならその称号に恥じぬ話術で、艶本を官本〔国の機関が発行する公式な書籍〕として世に出させるくらい、秘書監〔王朝の書籍や記録を管理する部署〕のひとりやふたり丸め込んでやるわ」
「......そうなったら挿絵は任せて。その辺、心得てるから」
光印のその言葉に美希はきょとんとした顔で「絵が描けるとは初耳ね」と返した。
彼女はかつて、学舎では飛び級、科挙ではその年の最高成績。
まさにキレッキレの頭の持ち主であるがゆえに、言うことにも隙がない。
……けれど時々、こうしてその頭の良さがとんでもない方向に知的迷走するのだ。
「それで、その称号とやらを下賜してくれる新たな国王は決まったの?」
光印は「読むかい?」と手元の文を指先でつまみあげて見せた。
「洪敬脩……曾祖母が嵯珪玉、父親は賀律氏......婿入りして洪姓を名乗った。そりゃ血はつながってるけど、ずいぶん遠回りした末裔ね。どういう風の吹き回し?」
「さあ?」と色気を含ませた声で返す光印。
嵯氏といえば嘉衡の宗家、賀律氏といえば建国功臣〔建国時に功績を挙げた重臣の家系〕。
その二つを併せ持つとなれば、血筋だけはまこと華麗なものだ。
美希は首をひとつ傾げ、文の端に指を這わせながら続ける。
「家系図の見栄えだけは、随分と丁寧に整えてきたようだけど、職歴、学識、戦略眼……ほかは全て記載なし。むしろ書けない理由でもあるみたい、本当にこんなのが即位するって?」
「“なる”とは、誰も言ってないよ。あと──」
光印は笑みを浮かべたまま、やんわりと否定した。
「──ついでに言えば現在、居場所も不明。
とはいえ昨日の廷議に太上王が突然現れて、最後に兵部尚書に何か耳打ちして帰っていったあたり目処はついてそうだったけど」
「何もかも不明瞭ね……まあいいわ」
そう呟きながら、手にしていた文を光印へ返し、続けざまに質問を投げかける。
「仮に、この“洪敬脩”ってのが、貴方の好みだったら?」
──あろうことか、話題はまたもや脱線したのだ。
それも盛大に、見事なまでに。
だがそれもまた、この二人にとっては日常茶飯事。
"趣味"の話へと再び舞い戻る展開に、光印の瞳には「やはりそう来たか」と言わんばかりの、楽しげな光がちらりと差した。
「王と侍郎が恋に落ちるなんて、悪くない。いや、むしろ政治的にも望ましい関係じゃないか」
──第二章・〈一〉 了──
