帝がゾッコン|第一章 王なき嘉衡〈四〉
前回のあらすじ
【前回のあらすじ】
遺詔が存在しないことが明らかとなり、刑部尚書・千仲連はその真偽を疑っていた。
そんな中、突如現れたのは工部侍郎・光印。
その整った容姿と完璧な立ち振る舞いが、重臣たちの注目を一身に集めるのだった。
光印の報告が終わると、左僕射が次期王の擁立について促す。
重い議題の中、立ち上がったのはどこか楽しげな宗正卿で──
用語&人物ざっくり解説
【中書令】
カンタンに言えば「国の事務総長」。政治のアレコレを仕切る、文官のトップです。ガチの決裁担当。
【左僕射】
中書令をサポートするポジションだけど、場合によっては会議を主導したりも。会議の進行役・まとめ役としては実質いちばん偉いまである。
【尚書】
いわば各部門の「大臣」。それぞれ担当が違います。
•兵部尚書:軍のエライ人。作中では湯尚。ちょいちょい叫ぶオヂサン。
•刑部尚書:裁判とか取り調べの担当。作中では千仲連。ツッコミ担当オヂサン。早く引退したいと切実に思ってる。
•礼部尚書:儀式・ルール担当。三話では話が長いのが玉にキズだった情け無いオヂサン。
【宗正卿】
王族の戸籍とか家系図とか、そういう“血筋”に詳しい人。作中では周明。ただの喘息持ち。実は王家の育ち。
【魯王(嵯令泰)】
先代の王のお兄ちゃん。優しくて気弱。
「王」とついてるけど、“国の王様”って意味じゃない。
古代中国では、皇帝or国王の身内の男子に対して、「○○王」という名誉称号(=王号)が与えられました。
いわば、“王家の一員である証”みたいなもの。
第一章〈四〉
下げていた頭をそっと上げると、ほのかな微笑みを浮かべて話しはじめた。
「……さて、次代の君主につきまして……ゴホッ……失礼...」
咳き込みながら話しだしたこのひ弱な老人は、宗正卿を務める周明という。
そして、嘉衡の宗家・嵯氏に関わる国随一の知識人であり、王家の系譜を知り尽くす者として、彼の右に出る者はいない。
「中書殿のお考えを伺ったうえで……我が宗室の系譜より……ゴホッゴホッ……」
さらに周明自身もまた、嵯氏王家と極めて深い縁を持つ人物でもある。
初代・衡昆の代に恩養され、その息子たち、後に歴代の二代、三代と王になった兄弟たちと共に育った過去を持つ。
「ええ、擁立の可否について私から……補足申し上げます……ゴホッ…それでよろしかったかな?...中書殿」
周明がそう言い終えた直後、中書令と左僕射が慌てて席を立ち上がり、口々に言った。
「周明殿、ご無理はなさらず。どうぞ、おかけになってください」
「我らのことなど、お気になさらず」
さらにもう一人が席を離れ、すぐさま周明へと駆け寄り、そっと肩に手を添えたのは、魯王・嵯令泰だった。
「周おじさま、お身体を大事になさってください」
心配そうに顔を寄せる魯王の声には、たとえ血の繋がりはなくとも、叔父を気遣う甥としてのまっすぐな情があふれていた。
周明はそんな甥の気遣いに、ふふと笑いながら魯王にだけ聞こえる声で返す。
「ああ令泰、大丈夫だよ。このところ持病の喘がひどくてな、他はすこぶる健康だ!」
「・・・」
「あ.......すまんが、水をくれ.......ゴホッ、ゴホッ」
その一瞬、あっけに取られたような顔をした魯王を眺めていた千仲連は、
(ん?いま、なんか言ったか?)と首を傾げたものの、咳に紛れて内容までは聞き取れなかった。
それから、話が再び本題へと戻ると、最初に中書令の口から挙がったのは、東宮・嵯昱然の名であった。
東宮がわずか十歳であることは、この場にいる誰もが知るところである。
やはり、千仲連の思った通り、列席者たちは口々に不安の声をもらしはじめた。
「十歳ではまだ……」
「今しばし、後見が要るのではないか」
「五代目にして難局だな」
「母后の言いなりになるぞ……」
どこからともなく、ぽつりぽつりと広がっていくざわめきが、やがて広間を覆っていく。
すると、千仲連の隣で、湯尚がひとつ咳ばらいをしてから魯王へ声をかけた。
「なあ魯王殿下、ひとついいか?」
「ええ、なんでしょう」
「私としては、太子殿下のご年齢そのものを、さして問題とは思っておらん。
王としての器に達するまで正式な即位を先送りにすればいいだけのことだからな」
そこまで言ってから、湯尚はわずかに視線を横へとずらす。
(いやいやこっちを見るな!私はなんも言っとらんからな!)
千仲連は焦って目を逸らす。
「……懸念しているのは、太子殿下の体調や、気持ちの様子だ、叔父であるそちの目から見て、太子殿下は今、健やかにされているか?」
「ええ...太子は、変わらず過ごしておりますよ。兵部尚書殿」
魯王はそれ以上、言葉を継がなかった。
その声音の奥に、“あなたに答える筋合いはない”という空気を、千仲連だけが感じ取っていた。
(あ......まずい!本当にまずい!湯尚がこれを聞き流すとは思えん!)
♦︎
四十年前に遡る
湯尚と千仲連〔当時二十一歳〕は、ともに三代王・嵯烈宗〔当時二十九歳〕がとりわけ信頼を寄せていた側近で、当時はこのふたりが前線を任されていたと言っても過言ではない。
もちろん魯王・嵯令泰にとっても、父の政を支えた“両の翼”としてのふたりの姿は、今なお深く心に焼きついているはずだ。
一人は、赫き陽の如く戦陣を駆けた猛将・赫曜公。
一人は、冴えた月のごとく策を巡らせた知将・白理君。
いつだかそう称されるようになった二人の経歴は今なお語り草であり、その札付きの実績ゆえに、率直すぎる物言いでさえ、この廷議の場で誰ひとり咎める者はいないのだった。
──とはいえ、なぜ湯尚が王族である魯王にああまで踏み込めるのか。
それは、彼が“かつての主君の長男坊”として魯王・嵯令泰を見てきたからに他ならない。
もっといえば、令泰がまだ五つにも満たなかった頃から、湯尚と仲連はそのそばにいたのだ。
さらに、いつからか湯尚と魯王の間には小さな蟠りが生まれ、今では「口うるさい旧臣」と「言葉少なな王族」、そんな噛み合わぬ関係となってしまっていた。
♦︎
千仲連の「まずい」の予感は、見事に的中する。ついには堪えきれんと言わんばかりに、湯尚が声を張り上げた。
「嵯令泰!気の優しさだけではどうにもならんぞ!
今が、はっきりと答えを出さねばならぬ場なのは、わかっているだろう!」
(だから八年前も弟に玉座を譲ったんだろ?)
──と言わんばかりの、遠慮ない物言いだった。
なにより、いくら忠臣の湯尚といえども、王族相手に呼び捨てなど御法度も御法度。
湯尚の発言に動揺した礼部尚書が、思わず筆を取り落とし、「コトンッ」と控えめな音が机の上で小さく鳴った。
だが魯王は、返す言葉が見つからないのか、それともまた、言葉を飲み込んでしまったのか。
湯尚がさらに口を開きかけたそのとき、見かねた千仲連が遮った。
「まあまあ、落ち着くんだ湯尚。魯王殿下は寡黙だが、それでも聡明なお方だよ。
あまりかっかすると、またあんたの脈が狂うぞ」
千仲連にそう言われた湯尚は、舌打ち交じりに肩をすくめたが、止まるどころか、売り言葉に買い言葉となった。
「まあいい。亡くなった陛下の“兄君さま”がその調子なら、結局ぜんぶ周明長老閣下のお口からってことだな?」
これには座していた千仲連も、ついに立ち上がり、声を強めた。
「もうその辺にしておけ、湯尚。さすがに言葉がすぎるぞ」
(……これだから歳をとるってやつは!なあ、湯尚さんよ。まったくこの老害!見てみろ、場の空気が完ッ全に凍りついてるじゃないか!!)
湯尚が「ふん」と鼻であしらうのを見た千仲連は、内心で思いきり毒づいていた。
だが──そんな空気の中ですら、咳き込みながらも相変わらずニコニコとしたままの周明が、どこか楽しげに言葉を発する。
「いやはや……昔と変わらぬ様子で頼もしいな、ゴホッゴホッ。
ほれ、令泰も、あんな老いぼれに負けてはならんぞ?」
そう言われた魯王・嵯令泰は、ため息混じりに、ただ微笑み返すだけだった。
そして周明は、ひとつ咳をこらえるようにしながら、語を続ける。
「とはいえひとまずは、ゴホッ、私から説明するとだな……
太子殿下は、たしかに皆の言う通りいささか幼い。
それに、内気なところも……私もまた、ゴホッゴホッ、そう感じているところではある」
優しく穏やかな言葉選びながらも本質を突いたその言葉の直後。左僕射が、鋭く言葉を差し込んだ。
「では、周明殿のご見解としては、太子殿下のご即位は難しいと?」
そう放たれた問いが大広間に響いた時、中書令がふと、独り言のように呟く。
「…とはいえ、昱然太子殿下をおいて、東宮に立つお方は他におらぬ。
他を擁立するとなれば──」
中書令はそう言いながら視線をすっと魯王へ向けて言う。
「殿下、君がなるのが最も筋が通る。私はそう思うがね」
その言葉が落ちると、大広間中にどよめきが起きた。
頷く者がいれば、眉をひそめて気を揉む者もおり、やがて口々に声が上がり始める。
「理にはかなっているな……まずは臨時でも」
「ひとまず、殿下にお任せするのが妥当か」
「……だが本当に、他に候補はないのか?」
大広間のあちこちで意見が飛び交うなか、ただひとり、空気に飲まれぬ男がいた。
「はっ!無理に決まってるだろうが!!」
湯尚の怒気を帯びた一声に、礼部尚書がまたも驚き、手元から筆を取り落とした。
千仲連と周明は顔を見合わせる。まさに、目は口ほどに物を言う。
(……さて、どうしたもんか)
(……言わんこっちゃない)
喧々囂々とざわめく殿内。
しかし左僕射はその空気をものともせず問いを放つ。
「差し当たって、魯王殿下。──お心づもりはいかに?」
その一瞬、広間に静けさが戻ったが、魯王・嵯令泰はかぶりを振った。
「……恐れながら、自分は兄でありながら、八年前、弟へその座を譲った身。
皆さまも、そのときのことはご存じのはず。私には王の器はございません。
今さら名乗りを上げるなど、とても面目が立ちません」
その声音には、自信のなさと、とめどない遠慮、そして変わらぬ拒絶の意志が透けて見えた。
再び広間がざわつく。
中書令は口元に手を添えたまま俯き、その隣で左僕射は眉をひそめ、やれやれといった顔で周明に問いかけた。
「他に、名が挙げられる者はおらんのか?」
「ゴホッ、ゴホッ……嵯家の本流ではございませんが、
令暉さまの娘婿である賀律氏の者が……。
先王と共に戦場に出たこともありますが、政に関しては……正直、未知数ですな。ゴホッ、ゴホッ……」
左僕射は苦い表情のまま、魯王にちらりと視線をやる。
(……頼まれてくれそうにないし、今日この場で決めきれる話でもなさそうだ)
そのとき、周明が手元の家帳を捲りながら、口を開いた。
「本来であれば、名を出すつもりはなかったのですが──」
そのときだった。周明の言葉が言い切られるより先に。
ゴゴン──ッ
低く重い音を立てて、衡宸殿の扉が、開かれた。
すると、その場にいた者すべてが、一斉に振り返る。
逆光に照らされ、杖の音を響かせながら広間の奥へと一歩ずつ踏み入ってきたのは、白銀の髪を背に流した招かれざる老客。
その姿を目にした瞬間、広間に戸惑いと驚きが駆け巡る。
「……おい、呼ばれてたのか!?」
「ご隠居されたと聞いていたが……」
「まさか、内廷から直々に……?」
列席していた重臣たちは、半ば呆気にとられつつも一斉に立ち上がり、深々と、拱手を捧げた。
……だがその重みある沈黙と緊張感は、その老客のひと言で、瞬く間に木っ端微塵となった。
「諸君!ご機嫌よう!呼ばれておらぬが、勝手に見参──われこそ──ッ」
だが言い切る寸前に、千仲連と湯尚があの頃に戻ったかのような声で揃って叫んだ。
「「主君――――ッッ!?!?」」
そう、誰にも呼ばれていないのに突如として現れ、
ついでに議論の流れまで見事にひっくり返していったこの老人こそ──
嘉衡の“名君”として名を馳せた、三代王。
太上王・嵯烈宗――もはや説明不要。その人である。
──第一章・〈四〉 了──
