心の中が、常に騒がしい。他人の声から距離をとって、人生の手綱を取り戻す
現代はつながりすぎていて、いつも騒がしい。気づけば、私たちの毎日は「他人の声」で埋め尽くされている。次に出そうと思っている単著では、そんな「騒がしさ」をテーマに扱いたいと考えています。
他人の声で「騒がしい」と言っても、「物理的な騒音」の話をしたいわけではありません。周囲がガヤガヤしているから耳栓をしましょう、リラックスするなら40デシベル以下がいい、とかそういう話ではない。
議論したいのは、「心のなか」の騒がしさ。精神的かつ社会的な騒音の話です。これを「ソーシャルノイズ(社会的騒音)」と呼びたいと思います。
ソーシャルノイズとは何か、きちんと定義するならば、以下のような感じでしょうか。
ソーシャルノイズの定義
私たちの思考と行動を縛る、外部の規範・評価・期待のこと
「仕事なんだから真面目にやらなければ」
「非常識な人間だと思われたらどうしよう」
「目標達成まであと20%足りない」
「もっとバズっていいね数を稼ぎたい」
「上司のメールにすぐに返信しなければ」
「マネジャーは愚痴をこぼしてはならない」
こうした「外圧」が、私たちの頭の中には常に鳴り響いていて、日々の思考や行動に影響を与えています。
これらは適度にある分にはいいのですが、過剰になると、規範を守ること、評価を上げること、期待に応えることそれ自体が「人生の目的」かのように錯覚します。
人間には本来、子どもの頃から「内発的動機(自分の内側から湧き上がる好奇心や興味)」が備わっています。誰かに命令されなくても、目の前の物事を純粋に楽しめる力を持っているはずです。
ところが、「外部に応えること」「他者に合わせること」が優先されすぎると、気づかないうちに内発的動機が抑圧されて、自分の本音が自分でもわからなくなってしまうことがあります。これを「過剰適応」と言います。
周囲からは「優秀だ」「真面目だ」「いい人だ」などと言ってもらえるけれど、自分で決めたことに、自分で決めた感覚が持てない。
人生の手綱を誰かに奪われて、他人の人生を生きているような感じがする
常に「従順な私」を演じ続けていて、目の前のことがぜんぜん楽しめない。そんなふうに「主体」が失われていくのです。
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