お金をもらわずに働いて、何になるというのですか?
大学生の頃、ある人と大阪で待ち合わせをしていた。
場所は、大阪メトロ谷町線の「天神橋筋六丁目」という駅。京都に住んでいると、大阪なんて用事がない限り滅多に行かない。初めて降りたその駅で、ソワソワしながらその人を待った。
「こんにちは!」
駅で無事に出会えたその人は、学生が運営する海外ボランティアサークルに所属する女性。快活な方だった。
「こんにちは」
わたしは遠慮がちな声で応じた。今日この方と待ち合わせた理由は、ボランティアサークルに参加するための面会だ。
喫茶店に入り、彼女からボランティア活動の概要説明を聞いた。すごくキラキラした世界に思えて、楽しそうだった。
けれど結局、そのサークルには参加しなかった。話を聞いていて、お金がかかるし、膨大な時間を費やすし、全くバイトもできないことが分かったからだ。
バイトができないと、収入がなくなってしまう。活動費で、貧乏になってしまう。やる気がどんどん萎んでいった。
何かを変えたくてボランティアサークルに興味を持ったけれど、それはお金の問題によって、あっさり諦めることとなった。
だって「お金をもらわずに働いて、何になるんだろう」って、思うじゃないですか。
無償の医療活動に参加することになった
大学を卒業してから、看護師になった。人間の生死を身近に感じられる体験が、生き方を考えるきっかけをくれた。
長く生きることよりも、「今」を密度濃く、深く生きたい。だからこそ、「自分の時間を使って、収入を得て、やりたいことをやろう!」と決めて、精力的に活動した。
国内外へ旅に出たり、山へ登ったり、講座を受講したり。コーチングセッションや講座を主催することも。年間の自己投資額が、セミナーだけで150万円を越えたこともある。毎日やることが沢山あったけれど、ワクワクしていた。
こうして物を買うよりも、体験に投資した。たくさん遊んで、思いっきり働いて、たくさん学んだ。


この渦中で、ぽつりと素朴な疑問が生まれた。
「働くって、何だろう」って。
なぜこんなことを思い始めたのかというと、話は去年の夏頃のこと。きっかけは、あるNGO団体から「うちで活動しませんか」とお声かけをいただいたことだった。
その内容は、東南アジアの国で医療活動に携わるというもの。任期は少なくとも半年間。
「おもしろそう!」。直感で、そう思った。お話をいただいて、わたしの看護師人生の中で、後にも先にもない機会だと思った。なので、「是非とも」と二つ返事で快諾した。
一度は経験したかった、海外での仕事。けれど、今回のそれは無償のボランティア活動。
これをきっかけに、大学生のときに「ボランティア活動」なんてできないと思っていたわたしは、再び「働くとは」という疑問と葛藤に向き合うこととなった。
働くって、なんですか?
●働く理由とメリット
そもそも、働く理由を聞かれたときに、真っ先に浮かぶのが「お金をもらうため」だ。「やりがい」はあってこそだけれど、シンプルに考えて、生活をしなければならない。
「生きてるだけなのに、めっちゃお金かかるよね」
仕事を辞めてニートになった友達と、そんな話をしたことがある。税金、国民年金、健康保険、月々の家賃に光熱費に通信費。必要最低限の生活をしたとて、10万はかかる。
だから日本で生きていくなら、働いて収入を得ることは必要不可欠。ただ、仕事を続けられるのは、「お金」以外の理由も大きい。
それは、仕事をしているからこそ味わえる、未知の体験ができることだ。自分のアイデアだけでは辿りつかないことを経験するできるのが、わたしにとっての働くメリット。
働くことには、理由があり、メリットがある。では、働くって、何だろう?

●「はたらく」って、なに?
「将来何になりたい?」
幼い頃に、誰もが一度は聞かれたことがあるのではないだろうか。
消防士さん、お医者さん、モデルさん、今ならユーチューバーとかも?この時の答えは、子どもなりの「理想の在り方」に近いものを指しているのかなと思う。
例えば、消防士ならかっこいい人、モデルさんなら人気者、ユーチューバーなら人を楽しませる人、など。働く姿が、「こんなふうになりたい!」を体現してくれているのだ。
だから、「『理想の在り方』を表現できる手段の一つが、働くこと」なのだと思う。
◽️はたらくメリット
→未知の体験ができること
◽️はたらくとは?
→理想の在り方を表現する手段のひとつ
「働く原動力」を思い出す
働くことが、自己表現のひとつだとしたら、その「原動力(=モチベーション)」は何になるだろう。ここを思い出すには、今の仕事を目指したきっかけに戻るのがいいと思う。
つまりは、働く原点だ。
わたしの場合、働く原点は「自分を知ること」だった。
どうしたら生きやすくなるのか。10代の頃、それを解決する方法を模索した結果、小児看護の道に進もうと決めた。
すべては、「知りたい」という好奇心から決めたことだ。
▽そのきっかけの話をしている記事は、こちら
今回、活動することになったNGO団体の方から「この活動をやる目的を言語化しておいてください」という宿題が出た。
なんでも、ボランティアの多くが「人のため」に自分を犠牲にしている現状があるという。それが故に、理想と現実のギャップに苦しんだり、自分の存在価値を信じきれなくなってしまうのだ。
「人のために」という気持ちも、決して悪いものではない。けれど、自己犠牲だけでは支援は続かない。
続く人たちの共通点には、「人を助けたい」という想いと同じくらい、「達成したい自分だけの目的」があるのだ。
わたしは「海外で活動する目的を言語化しておいてください」と言われてから、本当に本当に、悩んだ。「これだ!」と思う答えが出なかった。
というよりも、他人が納得しそうな答えはわたしの中に見つからなかった。
考えあぐねた結果、「人を助けたい」という熱量が、わたしにはそこまで多くないことがわかった。
どうしよう。本当にボランティアの話を受けてよかったのだろうか。自分がすごく、淡泊な人間に思えた。

そこで、身近にボランティアをしている人に、意見を求めることにした。わたしの父である。
父は数年前から、仕事の傍ら、貧困家庭を支援するボランティア団体で活動している。精力的に活動していて、もはや仕事レベル。
「そのボランティアのモチベーションって、何なん?」
ボランティア活動のアレコレを話をしている父に、聞いてみた。
「う~ん…、『使命感』かな。」
父は、はにかみながら答えてくれた。

少し前にも、別の方に同じような質問をしたことがあった。
去年の春に「TED×Kyoto Talk 」に参加した。大勢のボランティアの協力のもとに成り立っており、一人ひとりが時間と労力をかけているからこそ、熱量の高いイベントだった。
そのイベントの懇親会で、ボランティアスタッフのAさんと仲良くなった。
「ボランティアって、自分の時間を使うことじゃないですか。『お金になる時間』として使えるかもしれないと、わたしは思ってしまうんですけど…。その時間を使ってまで、Aさんがボランティアをする原動力は、何なのでしょうか?」
わたしの質問に対して、Aさんはこう答えた。
「…その活動が好きだからじゃないですか?この活動を広めたいっていう、純粋な気持ちですよね。」
そうか。そうだよね。
大きな洗礼を受けた気分だった。
そんなこんなで数か月間、他の人のアイデアを聞きながら、自分の中に答えを求め続けた。
結果、「自分を知る」という目的以外、私の中には何もない、と認めた。
活動に対してお金をいただく、いただかないは関係なく、「自分を知る」ということに、いまのわたし自身が大きな価値を感じているのだとわかった。
海外でどんな医療活動が行われているのかを見てみたい。海外に住んでみたい。自分の力を試してみたい。
全ては「自分と現場が掛け合わさると、どんな科学反応が起こるのかを感じてみたい」という好奇心からだった。
自分を知ることは、必然的に、相手を知ることにも繋がっていく。自己対話が深まるからだ。それがどれほど豊かなことなのか。
『体験』にたくさんの時間とお金を投資してきたからこそ、自分を知ることがいかに重要なのかは、確信をもっている。
これが、モチベーション。
原動力は、心にちゃんとあった。
無償で働くということの先にあるもの
正直に言うと、勤務条件が「無償」だと知った時、ショックだった。今まで積み上げてきたスキルを加味されていないと感じたからだ。
けれど、なぜわたしがこのお誘いに「Yes」と言ったかというと、いまこの流れに乗っておいたほうがいいと直感的に感じたからだった。
今までの思考、生活パターンを繰り返していても、同じ結果しかやってこない。それがつまらなかった。だから全く違う環境で、全く違う条件の元で働くことで、私の道が開ける気がした。
これから何が起こるかわからないけれど、不安と隣り合わせなワクワクが、確かにある。
「お金をもらわずに働いて、何になるのいうのだろう」
この真の答えも、任期が終わった後で待っているだろう。
だから安心して、いま持っている知恵を最大限に吐き切るつもりで。
わたしはこの春、海を渡る。
▽半年後の話
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