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マスターテキストアプローチで日本語を学ぶ②~何をゴールとしているのか?

私は、日本語学校で『NEJ (vol.1/vol.2)』を3年間使用したことがあり、

また、2年前からコーディネートしている地域の日本語教室では、大阪府『きいてまねしてはなして』を導入し、日本語支援ボランティアさんに使い方を紹介している。

日本語支援員さん達にどのように使い方を紹介しているのか以下に書いてみた。

日本語学習は、きっかけづくり

その前に、まず、地域の日本語教室の大前提として、
日本語を支援する私たちは、「日本語を教える人」としてではなく、「同じ地域に住む近所の人」という立場で関わっている。

地域の教室では、「日本語学習」というきっかけを通して、お互いが知り合い、交流が進んでいくことを目的としているので、別にテキストの意図通りに進めなくてはならないというようなことはないし、その時の必要に応じて、テキストから離れて違うことをすることもある。

あくまで教材は、関係づくりのためのツールとして想定している。

そして、日本語の向上と関係性の向上は、別個のものではない。
私たちは、日本語学習者を「社会的存在」としてとらえているので、その目的に適った教材として、マスターテキストアプローチの教材を採用したというわけだ。

ことばの学習とは?

大阪府「きいてまねしてはなして」
(対象:地域日本語教室用「生活者」)

①イラスト使って音と意味を結びつけていく(意味理解)
②リピートやシャドーイング(音声再生)
③音読(文字と音を結びつける)
④再話(理解した内容を自分の言葉で再構成)

このテキストは、このように非常にわかりやすいイラストで4ステップが書かれてある。

支援員さんたちには、この絵に基いて、目の前で繰り広げられているレッスンを見学してもらいながら、それを言語化しているつもりで説明している。

私は「ことばの学習」について説明するときに、以下、3つの概念を感じてもらうことを優先している。

ことばとは、「音のかたまり」である。
ことばとは、「意味の連なり」である。
ことばとは、「ストーリー」である。

マスターテキストアプローチは、プロセスを踏むことによって、言語習得が自然に起こるように設計されている。

あまりにも自然なので、それゆえ、教える人にも学ぶ人にとっても、「一体、なにをゴールにしているのかわからない。」という疑心暗鬼に駆られやすいのだと思っている。

特に、文型積み上げの世界で日本語教育を行ってきた人には、
「文型(意味のパーツ)を1つ1つ教えれば、いつか勝手に会話ができるようになる」という言語観をアンラーニングしなくてはならないので、余計に難しく感じるのではないかと想像する。

1.ことばとは、「音のかたまり」である

ことばが「音のかたまり」であるということは、意外と抜け落ちがちな概念だと思っている。なぜなら、多くの大人は、「学習=文字から」という経験があまりにも自動化されており、「音を認知し、音と意味を結びつける」という工程を無意識のうちに軽く扱いがちであると思うのだ。

他の人にとって、分かりやすいかどうかは分からないが、認知した音が、どのように身体化されるのかということを、私の事例を通して具体的に表現してみたいと思う。

1.1 例:私の密室の遊び「1人カラオケ」

こんなところに大公開するのは気が進まないが、私は歌ったり、踊ったりして、1人で遊ぶのを日課としている。
(※人の評価の目に晒されるのは好まないので、あくまで、密室だ)

認知した音をどのように身体化させているのか、
▶「とある女性R&B歌手の韓国語のRAPパートが歌えるようになるまで」のプロセスを例に言語化を試みてみる。

(→ )の中は、日本語学習に置き換えてみた私の勝手な考察。

①その曲に魅力を感じ、歌いたいと願う
(→動機付け)

②Youtubeの速度変換で速度を落とす
(→スピード調整)

③基軸となるビートをつかむ
(→ビート感/時間の土台)

③基軸となるビートに自分の声でリズムを打つ
(→リズム/2拍1フット)
※負荷を下げるため、メロディーと歌詞は気にせず、例えば、「ラ」という音だけで、ビートに合わせて、リズムを打つ練習

④その基軸となるビートとリズムにメロディーをつける
歌詞は気にせず、「ラ」だけで、聞かながら歌う
(→高低アクセント・イントネーション)

息の調整をする
※息の伸ばし方、出し方、止めるところに気をつける
(→ポーズ・息継ぎ)

アホほど練習する
(→反復練習)
※身体化されていない未知のリズム感については、どんなに練習しても「壁」を超えることができないことがある。けれども、アホほど練習した後、1晩寝る。すると、翌日、昨日できなかったのが嘘のようにスラっとできるようになっている。
「身体能力の限界まで追い込み、そして、休む」というプロセスは、上達のために必要なことなんだと思う。

いつのまにか歌詞で歌えるようになる。
(→音のチャンク化/文字認識)
※曲を聞きながら、歌詞を歌えるようになる。文字を読むことが助けになる時もあるが、ラップは文字認識をしていると速度が間に合わないので、音だけで行う方が楽だ。なぜかR&Bは、音だけで歌詞が歌えるようになりやすい。もしかして、ビートの周期と歌詞の配置に規則性があると身体化しやすいのかもしれない。
私はNEJの朗唱のとき、指ぱっちんでビートを刻んであげているときもあった。

速度をナチュラルスピードに上げていく。
(→自動化される)
ゆっくりスピードでできるようになったら、速度を上げることは、さほど難しくない。

ムードや感情の出し方、歌としての表現を磨く
(→コミュニケーション)
真似ではなく、歌を自分の表現にしていく。
実は、この作業にはあまり関心がない。1人遊びで満足していて、誰かに聞いてもらいたいとは思っていないからだろう。

余談だが、音声学をM先生から学んだとき、
「バナフォン」という発音練習に使う受話器型の学習アイテムが存在することを知ったが、
私は子どもときから、
「透明の下敷き」を丸めてバナフォンとして使用しているな、と面白く思った。


私のカラオケの練習工程を通して、「認知した音を身体化させるというプロセス」を表現してみたが、この工程は、所謂、「シャドーイング」と言われるものなのだろう。
これをすることで、聞き取り能力が向上する。発音もよくなる。

ただ、ここで注意すべきなのは、意味には全く焦点を当てていないので、歌えるようになったところで、意味理解は伴っていないということ。

一方、マスターテキストアプローチでは、「意味と音をむすびつける」という工程をものすごく丁寧に扱う。

2.ことばとは、「意味の連なり」である


2.1 単語単位で聞いてもらう。
私は、まずは、音だけに焦点を当てるために、あえて、イラストに文字を表示させないことで、「文字を読む」ことに意識が流れてしまうのを防いでいる。「きいてまねしてはなして」は、そこを上手にカバーしてくれている教材だ。

扱える意味のまとまりは、「語彙」、「助詞」、「時制」、「アスペクト」「ヴォイス」、「モダリティ」・・・と複雑化していく。

A2.1レベルくらいだったら、まず、語彙と助詞を切り離したりもして、適度にポーズを置きながら、音とイラスト、ジェスチャー、声色だけで意味を提示していく。
極力、説明はしない。
説明をしないことで、自分で気が付いてもらう工程を通ってもらうためだ。
「自分で気がつく」という工程は、習得のために欠かせない。

2.2 文単位で聞いてもらう。
語彙だけ、助詞だけ、意味の塊を認知してもらえたと思ったら、1文全部にするなどを繰り返しながら、学習者の理解に働きかけていく。

3.ことばとは、「ストーリー」である。

最終的には、ナチュラルスピードで読み、ストーリーの全体理解を促す。
つまり、相手の自分語り(ナラティブ)を聞いてもらい、文脈の世界へといざなう。

相手のことばに触れるとき、自分のことばが生まれる。
相手のストーリー(文脈)を知った時、自分のことも想起される。

テキストにいるのは、架空のキャラクターだが、
これを生きた人間、つまり、「イマ‐ココにいる私たち」の間で実行可能にすることが目標である。

以上、

ことばとは、「音のかたまり」である。
ことばとは、「意味の連なり」である。
ことばとは、「ストーリー」である。

ということを私の表現で描いてみたが、

この一連の工程を行っているときに、支援者(教師/インストラクター)が、自分が一体何をしているのか分かっていなかったり、自信がなかったりすると、習得が起こる前に、その手を引っ込めてしまうような気がする。


次回は、音読(文字と結び付ける)工程について書いてみたいと思う。




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