『水曜どうでしょう』大泉洋はなぜ30年愛され続けるのか 大泉洋リサイタル2-リベンジ |第25夜 特別編
2026年6月21日、横浜アリーナで「芸能生活30周年記念!!大泉洋リサイタル2-リベンジ-」のツアーファイナルが開催されました。
札幌から始まり、神戸、横浜へと続いた初のアリーナツアー。横浜公演には2日間で約2万4000人が集まり、歌とトークと笑いにあふれたステージで、SNSにもファンの方々のコメントが溢れています。
3時間で19曲を披露しながら、MCにもたっぷり時間が使われたというところに、いかにも大泉洋さんらしさを感じます。
普通なら、これは俳優であり歌手でもある大泉洋さんのライブレポートとして語られる出来事かもしれません。
でも、『水曜どうでしょう』を見続けてきた人にとって、このリサイタルには少し違う意味があります。
あの頃、深夜番組の車内で文句を言い、ぼやき、騙され、時に本気で怒っていた青年が、30年後にアリーナで大勢の観客を笑わせ、歌い、魅了している。
その事実そのものが、ひとつの物語のように感じられるのです。
今回は、このリサイタルをきっかけに、大泉洋さんがなぜ30年愛され続けるのかを考えてみたいと思います。
あわせて、以前この連載の第16夜↗で書いた藤村Dと大泉洋リサイタルの話、そしてツアーファイナルが行われた昨晩、夜22時から開催された藤村D・嬉野Dとのオンライン交流で語られた幕間映像の裏話も交えながら、『水曜どうでしょう』時代の大泉洋さんと、今の大泉洋さんのつながりを考えていきます。

「大泉洋リサイタル2-リベンジ-」
大泉洋さんは、今では全国的な俳優であり、司会者であり、歌手でもあります。
ドラマや映画に出演し、紅白歌合戦の司会も務め、大きな舞台に立つ存在になりました。いまの大泉洋さんだけを見れば、まさに国民的なエンターテイナーという言葉が似合います。
しかし、『水曜どうでしょう』で出会った大泉洋さんは、最初からそういう人ではありませんでした。
大学生であり、ローカルタレントであり、深夜番組で突然旅に連れていかれる人でした。何も知らされず、サイコロを振らされ、深夜バスに乗せられ、海外でハエに襲われ、何もない車内で話し続ける。
普通なら隠したくなるような感情を、大泉さんはそのまま出していました。
疲れたら疲れたと言う。
嫌なら嫌だと言う。
納得できなければ文句を言う。
でも、その文句やぼやきが、ただの不満で終わらないところが大泉洋さんのすごさでした。
大泉さんは、不満を言いながら、その場を面白くしてしまう人でした。ここが『水曜どうでしょう』で大泉洋さんが愛された理由のひとつだったと思います。
完璧なスターではなく、巻き込まれる人。
格好よく決める人ではなく、格好悪さまで見せてしまう人。
でも、その格好悪さを言葉に変え、笑いに変え、いつの間にか場の中心になってしまう人。
それが、どうでしょうの中で見えていた大泉洋さんでした。
今回のリサイタルに対するファンの方々の反応を見ても、「すごくかっこよかった」「あらゆる演出に感動した」という歌手大泉洋そのものへの評価だけではなく、「腹筋が痛くなるほど笑った」「テレビ越しと変わらない面白さだった」という声も多くありました。
つまり観客は、大泉洋さんの歌だけを聴きに行っているのではありません。
大泉洋さんという人に会いに行っている。
この感覚は、『水曜どうでしょう』に近いものがあります。
私たちは、どうでしょうで旅先の景色だけを見ていたわけではありませんでした。そこにいる4人の時間を見ていました。
同じように、大泉洋リサイタルも、曲を聴くだけの場所ではなく、大泉洋さんの30年を一緒に笑いながら振り返る場所になっているのだと思います。

(引用元:DVD「21年目のヨーロッパ21か国完全制覇」)
以前、第16夜↗では、藤村Dが神戸で開催された大泉洋さんのリサイタルに初めて参加した話を詳しく書きました。
大泉さんのリサイタルでは、歌と歌の間、いわゆる幕間に藤村Dが制作した動画が流れることが見せ場のひとつになっています。藤村Dはその動画を制作しながらも、神戸公演で初めて自分の映像を会場で見たそうです。
そこで感じたのが、大泉さんの華やかなステージとのギャップだったといいます。
エンターテインメントとして完成された大泉洋さんの世界。
そこに流れる、自分が作ったどうでしょうらしい映像。
あまりの温度感の違いに恥ずかしくなって、ずっと下を向いていたそうです。
そして今回、ちょうどリサイタル最終日6月21日の夜に行われた藤村D・嬉野Dとのオンライン交流会でも、幕間動画の制作について少し話がありました。
(お二人はHP「どうで荘」↗会員向けに、月に1回「どうで荘の部屋のみ」と称して、ZOOMでオンライン飲み会を開催しています。)
具体的なネタバレになることはなかなか書けませんが、大泉さんからは、とにかく格好いいもの、そして観客が思いきり笑ってしまうようなものを求められ、藤村Dに発注されていたそうです。
さらに藤村Dによると、動画は3本で合計約25分ほどあるとのことでした。
ライブの中で25分。曲にすると5曲分ほどの時間。大泉さん自身も、それを自分のライブで流すことに驚いていたそうです。
でも、ここに大泉洋さんの不思議な魅力があると思います。普通のアーティストなら、ライブの中心は自分の歌や演奏です。
もちろん大泉さんも歌います。しかも、3時間で19曲を披露する本格的なステージです。それでも、その中にどうでしょう的な映像や笑いをしっかり入れる。
歌手としての大泉洋と、どうでしょうの大泉洋。
俳優としての大泉洋と、藤村Dにいじられる大泉洋。
その両方を同じステージに置いてしまう。それができるところに、大泉洋さんの強さがあるのだと思います。

見ることができたのか。w
(引用元:DVD「香港大観光旅行」より)
嬉野Dは、今回の大泉さんについて、水曜どうでしょうをやっていた頃から、あのエンターテインメント性を持っていたのではないかという趣旨のことを語っていました。
これは、とても大事な視点だと思います。大泉洋さんは、どうでしょうを経て全国的なスターになった人です。でも、スターになったから急にエンターテイナーになったわけではないのかもしれません。
もともと、何もない車内で会話を生み出す力があった。予定外の出来事を笑いに変える力があった。その魅力が、ドラマ、映画、舞台、そして音楽へ場所を変えながら広がっていったのだと思います。
今回、リサイタルが終わった後、嬉野Dが楽屋へ挨拶に行った時、大泉さん本人も「また一緒に動画を撮りたい」という話をしていたそうです。ここに、30年続いている関係性を感じます。
大泉洋さんは全国的な俳優になりました。横浜アリーナに立ち、何万人もの観客を楽しませる存在になりました。でも、藤村Dや嬉野Dと向き合った時には、今でもあの頃の関係性が残っている。
だからこそ、ファンも嬉しいのだと思います。
大泉洋さんが30年愛され続ける理由。
それは、遠い存在のスターになったからではなく、スターになっても「あの頃の大泉洋」を感じられるからなのかもしれません。
深夜番組で文句を言いながら旅をしていた青年が、30年後、大きなステージで歌い、多くの人を笑顔にしている。場所は大きく変わりました。でも、人を楽しませる姿勢は変わらなかった。
『水曜どうでしょう』で見せていた、予想外の出来事さえ笑いに変える力。格好いいところも、格好悪いところも、全部含めて魅力にしてしまう力。その積み重ねが、今の大泉洋さんにつながっているのだと思います。
だから横浜アリーナという大きな舞台に立つ大泉洋さんを見ても、遠い存在になったとは感じないのかもしれません。
30年前、北海道の深夜番組で見せていた人間らしさ。
その魅力が形を変えながら、今も多くの人を笑顔にしているのだと思います。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
今回は特別編として、「芸能生活30周年記念!!大泉洋リサイタル2-リベンジ-」をきっかけに、大泉洋さんがなぜ30年愛され続けるのかを考えました。
通常連載では、第16夜↗でも藤村Dが大泉洋リサイタルに参加した話を取り上げています。あわせて読んでいただくと、藤村Dと大泉洋さんの30年続く関係性がより立体的に見えてくると思います。
次回(第26夜)は、「札幌の聖地 旧HTB社屋と平岸高台公園」について考えていきます。
番組が生まれた場所には、なぜ今も多くのファンが訪れるのか。小さな地方局から始まった番組が、多くの人の思い出の場所になった理由を読み解いていきます。
※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。
📌皆さんは、大泉洋さんのどんなところに「昔から変わらない魅力」を感じますか?
リサイタルに参加された方、どうでしょう時代から見続けている方、それぞれの大泉洋さんへの思いをぜひコメントで教えてください。
(コメントにはできる限りご返信させていただきます)
👉次の記事
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