『水曜どうでしょう』札幌の聖地 旧HTB社屋と平岸高台公園|第26夜
前回の特別編↗では、大泉洋さんの芸能生活30周年を記念した「大泉洋リサイタル2-リベンジ-」をきっかけに、なぜ大泉洋さんが30年愛され続けるのかについて考えました。
横浜アリーナという大きな舞台に立ち、多くの観客を楽しませる存在になった大泉さん。それでも多くのファンが感じるのは、『水曜どうでしょう』で出会った頃から変わらない魅力でした。
では、その『水曜どうでしょう』という番組は、どこから始まったのでしょうか。今回は少し場所に注目してみたいと思います。
北海道札幌市豊平区平岸。そこには、どうでしょう藩士にとって特別な場所があります。かつて『水曜どうでしょう』を制作していた旧HTB社屋。そして数々の前枠・後枠が撮影された平岸高台公園です。

(引用元:DVD「ジャングル・リベンジ」前枠より)
初めて平岸高台公園を訪れた人は、もしかすると少し驚くかもしれません。大きな観光施設があるわけでも、番組のために作られた特別なセットが残されているわけでもありません。
そこにあるのは、札幌の住宅街にある普通の公園です。でも、その普通の公園に全国から多くのファンが訪れます。なぜ何もない場所が、30年経っても人が訪れる「聖地」になったのでしょうか。
それは、『水曜どうでしょう』という番組が大切にしてきたものと関係しているように思います。
HTBの旧社屋は1968年に完成しました。札幌中心部ではなく、南平岸という住宅街の高台に建つ地方テレビ局の社屋。そこから1996年、『水曜どうでしょう』という番組が始まりました。
今でこそ全国的な人気番組ですが、最初から大きなプロジェクトだったわけではありません。北海道の深夜番組として、出演者とディレクターが少人数で作る番組でした。
でも、その小さな環境だからこそ生まれた魅力がありました。
象徴的だったのが、旧HTB社屋の裏口駐車場です。
普通の番組であれば、テレビ局の裏口駐車場が名場面になることは、まずありません。しかし『水曜どうでしょう』では違いました。
大泉さんが何も知らされないまま呼び出される。そこで突然、企画内容が発表される。そして、そのまま新千歳空港へ向かい、過酷な旅が始まる。
サイコロの旅も、海外企画も、多くの旅はこの日常的な場所から始まっていました。

ここを舞台にあらゆる企画発表がされた
(引用元:DVD「シェフ大泉夏野菜スペシャル」より)
私自身、この南平岸という場所には少し特別な思いがあります。
この連載をはじめた最初の投稿↗でも書きましたが、水曜どうでしょうがテレビで放送されていた90年代後半、私は大学生で、HTBのすぐ近くで生活していました。
ピザハットで配達のアルバイトをしていましたので、配達エリアだったHTB付近の街並みは、今でもよく覚えています。
当時『水曜どうでしょう』を見ていると、不思議な感覚になることがありました。テレビの中に映る景色が、近所のごく見慣れた風景で、遠く離れた特別な場所ではなかったからです。
自分が普段、配達用の車で走っていた道。いつも見ていた札幌の住宅街。その日常の中から、全国の人が笑う旅が始まっていました。
風景という点で、私にとって特に印象に残っているのが「韓国食い道楽サイコロの旅」です。
この企画は、大泉さん以外のメンバーが乗車したロケ車の中から始まります。HTB社屋を出発したロケ車は、何も知らされていない大泉さんを迎えに行き、そのまま旅へ向かっていきます。

筆者はこの風景で撮影場所がどこか分かっていた。
(引用元:DVD「韓国食い道楽 サイコロの旅」より)
大泉さんを迎えに行くまでの車内の様子、合流した後に企画のネタばらしをしながら新千歳空港へ向かう道中。そこには、札幌の何気ない街並みが映っていました。
その景色を見るだけで、当時近くで生活していた私には、とても不思議な感覚がありました。見慣れた住宅街の風景が、そのままテレビ番組の中に映っていたからです。
全国の人が笑って見ている旅の始まりは、決して特別な場所ではありませんでした。札幌に住む人にとっては、ごく普通の日常の風景。
その普通の場所から、あれだけ面白い旅が始まっていたことも、『水曜どうでしょう』らしさだったのだと思います。
考えてみると、これこそが『水曜どうでしょう』らしさなのかもしれません。
普通なら旅番組の見どころは目的地です。海外の絶景。有名な観光地。珍しい体験。でも『水曜どうでしょう』は違いました。
旅に出る前から、すでに面白かったのです。裏口駐車場でのやり取り、車内での会話、移動中に起きる何気ない出来事。本来なら編集で切られてしまうような時間こそが、番組の魅力になっていました。
そして、その積み重ねが普通の場所を特別な場所へ変えていったのだと思います。
平岸高台公園も同じです。あの場所が有名だったから番組が生まれたわけではありません。
あの場所で4人が話し、笑い、数々の前枠・後枠を撮影してきた。だから、ただの公園だった場所が、ファンにとって大切な場所になりました。
2018年、HTBは開局50周年を機に札幌中心部へ移転しました。長く親しまれた南平岸の旧社屋を離れることになりましたが、『水曜どうでしょう』の歴史がそこで終わったわけではありません。
新しいHTB社屋にも、どうでしょうの展示スペースがあります。建物は変わっても、そこに刻まれた時間は残り続けています。
だから30年経っても、平岸高台公園を訪れる人がいるのだと思います。そこに行けば、画面の中で見ていたあの時間を少し感じることができるから。
建物は変わりました。時代も変わりました。でも、あの場所から始まった『水曜どうでしょう』の時間は、今も多くの人の中に残り続けているのだと思います。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
次回(第27夜)は、「『水曜どうでしょう』初海外ロケで分かり始めた4人の役割と旅の形」について考えていきます。
初めて日本を飛び出したオーストラリア大陸縦断3,700キロ。そこで見えてきたのは、壮大な景色だけではありませんでした。
大泉洋さん、鈴井貴之さん、藤村D、嬉野D。4人それぞれの役割が少しずつ形になり、『水曜どうでしょう』らしさが生まれ始めた瞬間を振り返ります。
※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。
📌皆さんは、『水曜どうでしょう』で印象に残っている「場所」はありますか?
平岸高台公園、旧HTB社屋、旅先、車内での場面など、思い出す場所があればぜひコメントで教えてください。
(コメントにはできる限りご返信させていただきます)
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■運営者(ユウナ)について
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