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『水曜どうでしょう』はなぜ全国へ広がったのか|第13夜

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ここまで「サイコロの旅1、2」「粗大ゴミで家を作ろう」「闘痔の旅」を通して、『水曜どうでしょう』のおもしろさについて考えてきました。

予定通りに進まない旅。行き先を決められないサイコロ。疲労で壊れていく深夜バス。本来ならテレビでは避けられそうな出来事が、どうでしょうでは名場面になっていきました。

でも、最初からこの形が完成していたわけではありません。

今では「大泉洋さんがボヤき、ミスターが旅を進め、藤村Dが笑い、嬉野Dが撮る」という4人の形が当たり前になっています。しかし番組開始当初から、このスタイルを狙って作っていたわけではありませんでした。

むしろ『水曜どうでしょう』は、いろいろな試行錯誤の中から、少しずつ今の形を見つけていった番組だったのだと思います。

円山動物園内で撮影された前枠後枠の様子
初期は「平岸高台公園」での撮影ではなかった
(引用元:DVD「サイコロ1より)

1996年、北海道テレビで始まった『水曜どうでしょう』。今でこそ全国にファンがいる番組ですが、スタート地点は北海道の深夜番組でした。

最初から「旅番組を作ろう」「全国で人気になる番組にしよう」と考えて始まったわけではありません。

初期のどうでしょうでは、さまざまな企画が試されていました。音楽を扱う企画、作り込んだ設定の企画、そして鈴井貴之さんの代表的なキャラクター企画である「雅楽戦隊ホワイトストーンズR」など、現在の旅番組というイメージとは違う挑戦もありました。

なぜなら、まだ誰も「水曜どうでしょうらしさ」の正解を知らなかったからです。

今振り返ると、どうでしょうの魅力は4人の会話や予定外の出来事にあります。でも最初からそれが分かっていたわけではありません。

さまざまな形を試す中で、番組は大事なことに気づいていったのだと思います。

それは、企画そのものよりも、そこにいる人間がおもしろいということでした。

キャラクターを演じる鈴井さん。企画に参加する大泉さん。もちろん、それも面白い。でも、それ以上に面白かったのは、予想外の状況に置かれた時の2人でした。

予定が狂った時、思い通りにいかなかった時、疲れて余裕がなくなった時。その瞬間に出てくる言葉や表情こそが、一番魅力的だった。

その発見が、のちのどうでしょうにつながっていったのだと思います。

95年、若き頃の鈴井さん(中央)と安田さん(右)
(引用元:DVD「雅楽戦隊ホワイトストーンズ」より)

そして、もう一つ大きかったのが撮影方法だったと思います。

どうでしょうでは、臨場感と機動力を求めてハンディカメラでの撮影が取り入れられていきます。

これは単なる機材変更ではありませんでした。

普通のテレビ番組なら、大きなカメラ、多くのスタッフ、準備された撮影環境があります。出演者はカメラの前に立ち、スタッフはその外側から撮る。

そこには自然と「撮る側」と「撮られる側」の距離ができます。

でも、どうでしょうは違いました。ハンディカメラだから車内に入れる。移動中も撮れる。出演者のすぐ近くにいられる。

その結果、普通なら撮れない時間が残るようになりました。

移動中の何気ない会話、疲れている姿、目的地ではなく目的地へ向かう途中。これらが全部、番組の一部になっていきました。

第12夜で触れた深夜バスも、まさにそうです。ただ移動しているだけ。でも、その時間を撮れる環境があったから、大泉さんのボヤキや4人のやり取りが残りました。

もし普通の旅番組の撮影方法だったら、あの空気感は生まれなかったのかもしれません。

そして、その形を決定づけた企画の一つが「サイコロの旅」だったと思います。

サイコロは、とてもシンプルな企画です。行き先を決める。移動する。また振る。それだけです。

でも、そこにはどうでしょうの魅力がすべて詰まっていました。

大泉さんは突然巻き込まれる。ミスターも一緒に苦しむ。藤村Dはその様子を見て笑い、嬉野Dはそれを撮り続ける。

作り込んだ設定ではなく、4人がその状況に置かれた時に何が起こるかを見る。

この形こそが、『水曜どうでしょう』になっていったのだと思います。


そして不思議なのは、この北海道の深夜番組が、やがて全国へ広がっていったことです。

普通なら全国を目指すなら、もっと多くの人に分かりやすい形へ変えるかもしれません。

出演者を増やす。企画を大きくする。豪華にする。でも、どうでしょうは逆でした。

北海道で生まれた空気感を大切にした。4人の関係性や、ローカル番組だからこそ生まれた距離の近さを、そのまま残していきました。

多くの人に合わせようとして作ったものではなく、自分たちがおもしろいと思うものを突き詰めた。

では、なぜそんな北海道の深夜番組が、全国の人に受け入れられるようになったのでしょうか。

もちろん、全国各地で再放送が始まったことや、DVDが発売され多くの人の手に届いたことは、大きなきっかけだったと思います。

でも、それはあくまで「どう広がったか」という話です。

なぜ北海道の深夜番組が、そこまで多くの人に受け入れられたのか。その理由は、もっと前の段階にあった気がします。

初期のさまざまな挑戦の中で、「企画のおもしろさ」だけではなく、「そこにいる人のおもしろさ」を見つけたこと。

そして、その瞬間を逃さない撮影方法と、4人だから生まれる距離感を作り上げていったこと。

この「どうでしょうらしさ」があったからこそ、再放送やDVDで初めて出会った人にも届いたのだと思います。

全国へ広げるために形を変えたのではなく、北海道で生まれた形を変えなかったから全国へ広がった。

そこが、『水曜どうでしょう』という番組の一番面白いところなのかもしれません。


(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)


次回(第14夜)は、「4人の距離感はどうやって作られたのか」について、もう少し掘り下げてみたいと思います。

※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」や「👤フォロー」をして、続きを読んでいただけると励みになります。


📌皆さんは、『水曜どうでしょう』らしさが完成した瞬間は、どの企画だったと思いますか?

好きな企画や印象に残っている転機などあれば、ぜひコメントで教えてください。


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■運営者(ユウナ)について

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