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純白な心では生きていけない

子どものように純粋な心でありたい。

でも、純粋な心のままでは社会で生きていけない。
なぜなら他者からの悪意ある行為を想定できないから。

心が綺麗であればあるほど騙されやすい。
自分自身が打算的な発想に至らないから、悪人が思いつくようなことをイメージできない。
悪事の事例を大量にインプットしない限りは未然に防ぐことが難しい。

とはいえ悪人になることや悪い行いをすることを推奨したいわけではない。
悪いことを思いついてもやらない、ということが大事。


悪意ある人と全く関わらずに生涯を終えることは難しい。
学力試験、就職活動、スポーツ、ビジネス、SNSといった、競争社会で生きるならなおさら遭遇しやすい。

社会、特に競争社会において“クレバーさ”は不可欠。
良くいえば“賢さ”。悪くいえば“打算さ”。

世の中にはずる賢い大人がたくさんいる。
私利私欲しか考えず、弱い立場の人から搾取しようとする。

そういう汚い世界があると信じたくないし、そこから目を背けたくなる。
でも世の中の綺麗な面しか見ないでいると、清らかな心でいられる反面、自分の中のクレバーさを養うことができない。
結果、自分が搾取される側になってしまう。

『悪いことを思いつかない』
『悪いことを思いつくけどやらない』
この二つは雲泥の差がある。

“悪いことをやっていない”という結果は同じ。

清い心を持った子どもなのか。
道徳心を持った大人なのか。
その違いがある。

後者の場合、自分の理性によるコントロール下にある。
自らの意思によって、“悪いことをやらない”という選択をしている。

いつ、どんな場所で、どんな人から偽善や欺瞞を向けられるかわからない。
知的な強さがあれば未然に防いだり、早期に発見したりできる。

だからこそ、社会で生きるのに必要な“クレバーさ”を持ってほしい。
自分や自分の大切な人を守るために。

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。
― 二宮尊徳(金次郎)


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