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2025年上半期に読んだ文庫・新書から10冊

今年もすでに半分が過ぎようとしている。毎年感じることながら、時節の流れはなんというスピードだろうか。光陰如箭夏過半。この調子だと、そうこうしているうちに「一年が過ぎようとしている」などと書く日がやってきそうだ。

このところ公私ともにせわしなくしていて、noteを書く余裕もなければ本を読む隙間時間ですらなかなかとれない(ような気がしている)から、昨年に続けて上半期の文庫本まとめを書くにも、はて、もしや10冊に届いていないのではなかろうかと心配になった。

乱読ゆえにきちんとした読書記録はつけておらず、途中までしか読んでいないものもあれば、ざっと速読したままのものもあって、とりあえずリビングの乱読書棚(詳しくはこちら)を眺めつつ、昨年末にとりあげて以降、今年になってから読んだと思しき10冊をかき集めてみた。

なお、昨年両半期それぞれの独断的10選ではAmazonのリンクを貼ってゆるやかな区切りにしていたのだけど、わかりにくいので今回は書名を小見出しにすることにした。Amazonリンク(アフィリエイト)は各項目の見出し直後に入れたので、関心があればクリックまたはタップしてご覧ください。

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沢木耕太郎『彼らの流儀』(新潮文庫)

国立民族学博物館(大阪府吹田市)の企画展の中で紹介されていた書籍。ミュージアムショップで購入した。さまざまな人々をとりあげた短編集で、寄り添うような著者の視点と淡々とした文体が心地よい。なお、民博の展示がらみの人物はアラビア書道家の本田孝一氏。本書中の「砂漠の雪」という話に、本田氏の若かりし日々からアラビア書道家としてイスラーム諸国との繋がりができるまでの葛藤が綴られている。イラク戦争にまつわる話は、わたしのシリアでの経験にも重なるようでちょっと心がヒリヒリした。

松家仁之『光の犬』(新潮文庫)

一世紀にわたる家族の物語。冒頭から出てくる“消失点”というキーワードのとおり、消失してしまう一族の生きざまが描かれている。描写される時間が前後するのだけど、それを感じさせない丁寧な描写が素晴らしい。淡々と描写されるストーリーにはわかりやすい起伏や展開がない。にもかかわらず、登場人物それぞれのしっかりとした人物像が浮かび上がって、そこにリアリティがある。人間はかくも不器用で孤独なのだ。そんな人びとの命を照らすような北海道犬たち。自分や家族の人生も俯瞰して見れば同様に淡々と語れるものなのだろう、そうした視点で自身を振り返るのも悪くないかもと思わされた。

筒井康隆『敵』(新潮文庫)

2月に観た映画の原作。映画が面白かったので読むことにしたのだけど、読み始めてすぐオノマトペを漢字で表記する独特の表現に戸惑った。しかし、慣れると映画がその雰囲気まで忠実に映像化していたのではないかと思えてくるから不思議だ(実際に意図されていたに違いない)。なお、映像化作品の原作にありがちなように、映画では描かれなかったより詳細な登場人物の姿を知ることができる。小説の最後には、映画のラストシーンとは異なるものの、独特のオノマトペ表現が大きな空白とともに配置された実験的なビジュアルが用意されていて、これもまた映画的な余韻がある。

川上未映子『春のこわいもの』(新潮文庫)

今年になって出た文庫版。もとはコロナ禍に書かれた短編集で、あのパンデミックの異様な空気感とともに、人びとのカルマが描き出されている。怖いのは病でもなく怪物でもなく、人間なのだ。川上作品に登場する女性たちの、自然体でいるがゆえに生々しい冷たさが、わたしは好きだ。余談だけど、通り雨でこの文庫を濡らしてしまい、文庫本自体が物体として“こわいもの”を表現したかのようになってしまった。

稲垣栄洋『生き物の死にざま』(草思社文庫)

まずタイトルを見て「この視点はなかった」と膝を打った。命を終えるその時まで懸命に生きる虫や獣たち。本来、役目を終えた命は活動を停止するようプログラムされている。生態学者による簡潔な説明で次々と語られるさまざまな生き物たちの死の様子には、仏教的な無常感までが漂う。最後のゾウで、筆者はわたしたちヒトの死についても、これまでの動物たち同様の姿勢で考えることを促している。

児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)

動物たちの死にざまとくれば、人間の死にざまも重要だ。望まない形でいたずらに延命させられるのは苦痛である。だから、死ぬ権利は保障されるべきだと思っているし、わたしは自分で自分の死にざまを決めたい。本邦で合法化される見込みは薄そうだから、せめて安楽死の先進諸国の制度的なことを学んでおこう。そんな気持ちで読み始めた。死は誰のものか。倫理的な危惧が多くの具体例とともに淡々と述べられていて、死ぬ権利を認めることがけっして単純ではないことを学ぶことができた。各国の医師幇助自殺をめぐる動向については情報のアップデートに努めなければと思わされた。

E・M・シオラン(有田忠郎訳)『崩壊概論』(ちくま学芸文庫)

いったいどういう経緯で今年になってシオランの文庫版が出ることになったのだろう。ドラマ『どうせ死ぬなら、パリで死のう。』は関係あるんだろうか(このドラマについては4月6日付け拙稿)。よくわからないのだけど、読んでおかなくてはいけない気がして購入した。シオランにとっての新天地のはずのフランスについて、まるで終末論のような断末魔の叫びのような表現が連発される。「われ悲しむ、ゆえにわれ思う」悲観主義者によるフランス語でのデビュー作は異邦人としての一歩であり、その不安定さが逆説的にリアリティを強化しているように読めた。しかるに読者であるわたし自身も、常にどこか違和感を覚えている。悲観的でいることは自身を見つめることにつながるのだなと思う。

ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン(中村昇、瀬嶋貞徳訳)『色彩について』(ちくま学芸文庫)

これもどうして今になって文庫化されたのか不思議なのだけど、やはり何かの縁とばかり手に取った。わたしは仕事がら色の認知についての個人・文化による差異に敏感だ。もともと左右の眼で少し色味が違って見えていることもあって、自分の見ている色は何なのかをいつも引いた視点で考えていた。科学的に説明できるはずの色に対して、それを言語化して認識するわたしたち。ウィトゲンシュタインは“言語ゲーム”と同様のことを色彩についてもやっている。短文で投げかけられる例や問いは鋭く、気づきを与えてくれる。翻訳者による説明が充実しているのもありがたい。

ドミニク・チェン『未来をつくる言葉』(新潮文庫)

ソーシャルメディアで紹介されているのを見て気になった本。著者は日仏英の多言語話者の情報学者。もしかしたらわたしが進んでいたかもしれない分野(大学学部の専攻選択ではギリギリまで環境、情報、物理の3講座で迷っていた)の専門家で、そのものの捉え方にはなにかと共通点を感じる。そして彼のスタンスもウィトゲンシュタインの言語ゲームの延長線上にある。コロナ禍以降、分断の進んだ世の中で、これからどのように生きてゆくべきか。言葉による“環世界”は分断をつなぐものだという視点にはとても希望がある。自伝的な叙述によるアプローチが親しみやすく、新婚旅行で訪れたモンゴルのエピソードには、モンゴルに住んだことのある者として首肯するばかりだった。

マルグリット・ユルスナール(多田智満子訳)『東方綺譚』(白水uブックス)

古典的テーマの短編9篇を集めた今昔物語風のオムニバス作品。東方﹅﹅は西欧から見たオリエンタリズムを感じる世界のことなのだろう。必ずしも地理的に東ばかりではないところが興味深い。中盤にある「源氏の君の最後の恋」は、『源氏物語』の空白巻「雲隠」を大胆に解釈した創作。盲人となった源氏の最期に現れる女性たちが、かならずしも源氏物語のストーリーに則していないのは、源氏の記憶の曖昧さたる所以か。未来になるはずの浮舟まで出てきてちょっと混乱したが、宇治十帖の浮舟とは別人物のよう。全編を通すと、中国からインド、バルカン半島など、場所を変えつつもミステリアスな雰囲気を醸していて、綺譚と呼ぶに相応しい。

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さて、以上が今年上半期に読んだ文庫・新書から選んだ10冊。冒頭に10冊に届いていないかもなんて書いたけれど、振り返るともうちょっと読んでいた。10冊に入れようかどうかと逡巡して結局見送ったものもあるので、それらはまた何かの折に触れられれば良いかなと考えている。

わたしの読書傾向の常で、どこか哲学的な内容のものが多くなった。悲観主義者シオランなど若干癖が強めだけど、ドミニク・チェン『未来をつくる言葉』など、希望をもてる内容のものとあわせると不思議と“解毒”されるような気がしている。選んだ中には『彼らの流儀』『春のこわいもの』『東方綺譚』といった短編集も多い。これらはテンポよく読めてストーリーが記憶に残りやすくて良い。いっぽう作品の世界観に浸れる長編小説は『光の犬』と『敵』だけである。読んでおきたい長編小説は買ったままで待機中ものもあるので、下半期には紹介できるようにしておきたい。

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