ゆくゆくは抽象画を描けるように——詩情ある具象絵画を超えて
唐突だけど、コンテスト「#かなえたい夢」に応募することにした。このところ考えていた今年やりたいことについて、少しずつアイディアが具体性を帯びてきたところで、このコンテストのことを知り、まだ締切前だとわかったからだ。
以下は、現在のわたしのnoteのクリエイターページの一部。

一日一画を始めて21年。メイン画材はオイルパステル。詩情あるリアリズムを標榜。個展、アートフェア等。生計をたてているのは宝石の鑑別と研究。日本旗章学協会会長。滋賀出身。猫4匹。音楽、言語、文字、地図、哲学、多岐にわたっていろいろ関心あり。一昨年『本の雑誌』に登場しました。
わたしは具象絵画を描いている。太字で示した「詩情あるリアリズム」とは、わたしなりの絵画表現のあり方を示した言い回しだ。フォトリアリスティックな写実表現ではなく、視覚情報を超えた普遍性を表現しようという意企がある。これは2002年に名古屋で開催した初個展で、来場者のひとりが芳名録のノートに書き残してくれた表現、たしか「作品に詩情(ポエジー)を感じました」だったかと思うけれど、そこからヒントを得た言葉だった。
幾度かnoteでも書いたように、わたしはシュルレアリスムに関心があり、シュルレアルすなわち超現実とはわたしの目指す詩情と連続しているものだと理解していた。だから、視覚情報以外の存在感のようなものを、やりすぎない程度に表現しようとしてきたつもりだ。
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学生時代に、専門分野は異なるものの、わたしのことを何かと目にかけてくれた非常勤講師がいた。彼はもともと報道関係者で、引退後はいくつかの私立大学での役職を歴任。その中には美術大学もあり、その経験からか、わたしの絵が公募展に入選すると会場まで足を運んで作品の講評を聞かせてくれたりもした。
そんな講評の際、彼に言われたのが「ゆくゆくは抽象画を描けるように」だった。
わたしが描く絵は具象だったし、その上、方向性としては写実表現を追求していたものだから、「ゆくゆくは抽象画」というのは、当時のわたしには理解の及ばない発想だった。
わたしにとって、現代アートとりわけ抽象画には、面白いと思えるものはあれど素晴らしいと思えるものはなかった。
自分が具象的な画題を描くことが好きだったものだから、多くの抽象画に見られる漠然とした線や形に物足りなさを感じていた。それに加えて抽象画を具象画の上位互換とするような認識にも抵抗感があった。表現したいものに様式だけで優劣をつけるべきではないのではないか——それこそ近代絵画の前提ではなかったか。尊敬する先生による「ゆくゆくは抽象画」には、その2点の抵抗感があって、その言葉が導く可能性にまで想像力が及ぶことはなかった。
その先生は自身で絵を描いてはいなかったから、もっぱら鑑賞する側として具象も抽象も見ている。わたしは描く側の視点、具象絵画を描くのが楽しくて描いている視点だから、前提が異なる。美術に対する姿勢のすれ違いが予想されて、無駄なストレスを生まないためにも、どうして「ゆくゆくは抽象画」なのかについて訊ねることはしなかった。
たぶん、当時のわたしには早すぎたのだ。抽象画を観ることも描くことも。考えることすらも。
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では、これを書いている今は機が熟したのか。
それは即答できることではない。ちょっと横道に逸れるけれど、話を進めるためにはその後の二十余年について触れておかなくてはならない。
クリエイターページには「生計をたてているのは宝石の鑑別と研究」とも書いている。この仕事を始めてもうすぐ13年になる。
わたしが学位をとったのは、環境分野だった。指導教員が岩石学者だったから、地質学をベースに砂漠化など地球表層の環境変化を研究対象にした。その後、プロジェクト参加を含めれば、過去の地球の変動を探る構造地質学、微量元素の分析をする鉱物資源探査、博物館学、考古学、さらには心理学と、非常に幅広い時間と空間のスケールでさまざまな学問領域に携わった。そして、たまたま見つけた求人情報に応募したのが縁で、宝石学にたどり着いた。
「一日一画を始めて21年」のとおり、地学関連の仕事のかたわら絵を描き続けている。一日一画は毎日のスケッチだけど、それ以外にテーマを決めて制作し、個展やアートフェアで発表し続けた。それはクリエイターページに固定している4年前のnoteでも触れているとおり。
一日一画ではときおり鉱物標本や研磨された石、鑑別の道具などを描いているけれど、それらはあくまで日々の題材として選んだにすぎない。もちろん描くからには詩情に相当するなにかが表現できればとは思うけれど、それができているかどうかは自信がない。

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バックボーンが宝石学であることならではの絵画表現はあるだろうか。
ふとそう思って、ベトナムのルビー採掘現場でのスケッチをもとにその情景を描いてみた。先月の一日一画まとめにも載せていたボールペンでのスケッチである。

これはルビーの採掘現場(左と右上は同一の現場)。ここでは、溜まった土砂を掻き出して、それを洗ってルビーを探し出す方法がとられている。結晶質石灰岩(大理石)を登ってたどり着いた先での光景。非常に滑りやすく、過去に転落して骨折した調査隊員もいる場所である。ガイドから「落ちる時は頭から」と言われていたのは、脚を折ると帰れなくなるからというのが理由だった。
実際には、その現場では家族で採掘していると思しき数名が作業中だった。そこにわたしたち外国人5名とガイド1名がお邪魔して取材した。あまりに帰りが遅いので心配したのか、チャーターしていたオートバイのライダーたちもやってきて、一時的にとても賑やかになった。
スケッチでは、採掘していた数名のうちの夫婦2名にフォーカスした。バケツリレーの要領で運びあげた土砂を流水で洗っているところだ。何時間もかけた労働の成果はどれほど得られるだろうか。土砂を洗う夫の背中を見つめる妻の心境を想像して、このふたりの姿を描きたくなった。

なお、こうして回収されたルビーは地方都市の宝石市で取引され、それが研磨されたのち、国際市場へ流れていく。高品質なものは巡り巡って大手ブランドのハイジュエリーに仕立てられ、セレブリティの身を飾ることになるのかもしれない。
セレブが身につける華やかな宝石も、採掘まで遡れば人びとの素朴な生活の一部である。ベトナムのルビーは石灰岩から大理石ができる変成作用の過程で結晶化した。それが長い年月をかけて風雨に洗い出され、運搬されて堆積したものが回収されたものだ。
そんな背景情報も含めて、説明的ではない形で表現することはできないだろうか。それは、わたしが「詩情あるリアリズム」でやりたかったことだ。そんな感覚で、調査時の雰囲気、作業する人びとの様子を思い出しながらオイルパステルで制作した。

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ベトナムの過酷な採掘現場で見た人びとの営みは具象として描けた。しかし、その石の内部に流れる地質学的スケールの時間や結晶化の神秘は、これまでの具象絵画の手法では描き尽くせない。
宝石学バックボーンの絵画としては、もうひとつ、宝石自体を描くことも当然選択肢になる。しかし、ジュエリーデザインなどで、研磨された宝石を描くイラストレーターは何人もいるし、鉱物標本の正確な描写を得意とする静物画家もいる。宝石の原石も研磨石も、そのまま外観を観察して描くことにそれほど新奇性はない。
では宝石内部はどうだろうか。これは宝石の鑑別に携わる者にしかできないアプローチではないか。
宝石内部の写真、いわゆるフォトマイクログラフィーは、宝石学界隈ではよく知られている。カメラはもちろんのこと、フィルタや光源など技術的な進歩もあって、もはやひとつの芸術ジャンルと呼べる域に達している。
かと言って、わたしたち宝石鑑別に携わる者が顕微鏡で観察しているものをかならずしもきれいに撮影できるわけではない。事実、観察したインクルージョン(内包物、包有物)を記録のために撮影しようとしてもなかなか思うように撮れずに諦めてしまうことがある。拡大検査で観察しているものとフォトマイクログラフィーは別物である。
宝石の鑑別とりわけ産地鑑別については、微量元素など高度な分析結果の解釈だけでなく、インクルージョンを観察して成因を推測する必要がある。その際、写真でもうまく残せず、言葉にして説明もできないけれど、成因、ゆえに産地を類推するに足るなにかが感じられることがある。それはまるで、鉱物ができる際に自然が残してくれたヒントのようだ。多くは科学的に説明できるものであっても、石の中の情報には限りがあり、断片的にしかわからない。断片的であるがゆえに、未解明の現象の一部だろうかと想像力を逞しくすることもある。
この、鑑別の際に感じるなにかは、形而上学的ななにかではないか。
言葉でも表せず、写真にも写らないなにか。その気配のようなものを絵でなら表現できるかもしれない。
はっとした。これはひょっとしたら抽象画になるのではないか。特定のインクルージョンを描けば、宝石の中を知らない鑑賞者にはなんのことかわからないだろうけれど、それはインクルージョンというモノを描いた具象絵画だ。しかしながら、それはなにかとは違う。なにかは、インクルージョンのまわりや背後にある。特定の形をしていなくとも、静かに主張してくる、言葉にできない気配だ。
フォトマイクログラフィーを参照するでもなく、実際に顕微鏡で石の内部を観察するでもなく、あのなにかの感覚を思い出しながら描けないだろうか。それはきっと抽象画という形になるような気がするのだ。
抽象画は具象絵画の上位互換などではない。真実を表現するための必然なのだということに、今更ながら気がついた。「ゆくゆくは抽象画を描けるように」の謎が解けるカタルシスを得た心持ちだ。
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詩情ある具象も、それはそれで続けるし、一日一画も変わらず描き続ける。
宝石を顕微鏡で観察して13年。一日一画を始めて21年。それ以前からのサイエンスも絵画も、それなりの年数になった。「ゆくゆくは抽象画を」と言われてからは、おそらく30年ほどになる。
10センチ角の小さな額縁をいくつか買った。まずはこれに入る大きさで抽象画になりそうななにかを描いてみたい。うまくできるかどうかはわからない。
さしあたって、6月にはまた京都のうさぎフェスタに参加させてもらうので、まずはその時にいくつか披露するのが目標だ。そして、7月には旗章学の国際会議がパリで開催される。
昨年11月、わたしは米国でスイス在住の同僚とパリでの再会を話し合った。
今はスイスに居る彼は、そのうちパリに移る予定だと言う。そういえば、来年の夏にはパリで国際旗章学会議があるので、わたしはパリを訪れるかもしれない。そう告げると、パリで案内したいところがあると言う。具体的にそれはどこなのかと訊くような野暮なことはしない。それならサプライズのお土産を用意するのでよろしくと返しておいた。実はまだ何も考えていないのだけど。
この時に話したサプライズの方向性が見えてきた。
単に抽象画を描くのではなく、宝石鑑別の経験と科学の視点、長年培った絵画表現を融合させた、自分にしか描けない新しい表現を見つけたい。それをまずはパリへ届けたい。それが目下の、わたしの“かなえたい夢”と言えそうだ。
見出し画像は、我が家にある唯一の抽象画。次男が就学前に素手でアクリル絵の具を使って描いたものだ。宝石内部にインスパイアされた抽象画が完成したら、隣にならべてみよう。
