【掌編】『魔法の解かれた先で』(第九話)
【前回までのあらすじ】
舞踏会で再会した謎の男が失踪した父王だと知った王子は、父への憎しみと戸惑いを抱えながら日々を過ごしていた。そんな中、隣国エミュニアから届いた手紙をきっかけに、幼い頃のエレノア姫との思い出を振り返る。自由な発想で「地図に載らない島」を夢見る彼女との会話は、王子に初めて「自分はどこへ行きたいのか」という問いを投げかけるのだった。
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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第九話
書庫を出た私は、重たい足取りで廊下を歩いていた。
――ヴァルド様が探していらっしゃいましたよ。
シュバルツの声が耳の奥に残る。具体的な用事は思い当たらなかったが、ヴァルドが私を探しているだなんて、あまりいい予感はしない。
呆然と足の赴くままに進んでいると、知らぬ間に母の部屋の前に立っていた。
部屋の中はとても落ち着いているようだった。眠っているのだろうか。それならば安心だ。きっと気持ちも穏やかなのだろう。
私はそっと扉へ触れた。
「……母上」
当然返事などあるわけがない。
そう思った、その時だった。
扉の向こうから、何かが倒れる激しい音が響いた。続いて、あの悪魔のような叫び声がした。
『ゔあぁぁ……、あぁぁ……』
ちぎれた喉から無理やり絞り出すような、呻きにも似た声だった。
心臓に痛みが走る。鋭いガラスの破片のようなものが幾度と胸を突き刺していく。
「母上! 大丈夫ですか!」
私は思わず扉の向こうに叫んでいた。扉に何度も何度も拳を打ちつける。しかし、母の叫びは止むことはなかった。
ドアノブを何度も捻るが、内側からかかった鍵はびくともしない。
「くそっ……! 開け、開けよ!」
扉を叩く拳はじんわりと赤く熱を持っていたが、もはや痛みなど感じなかった。それよりも母の無事を確かめたい。その一心で扉を叩く。
「母上! 返事をしてください!」
私が声を上げる背後から、ふっと伸びた手が扉を叩く私の手首を掴み上げた。
「殿下、おやめください……」
振り返るまでもなくヴァルドの声だとすぐに分かった。
「止めるな!」
私の意識はただ扉の向こうに向かっていた。
「母さんが苦しんでるんだ!」
扉の向こうではまだ母の叫びが続いている。泣き喚くような苦しそうな声。母さんを助けなきゃ――。
しかし、ヴァルドに掴まれた腕は、どんなに力を入れて抗ってもピクリとも動かない。
「これ以上、王妃を怖がらせるおつもりですか――」
ヴァルドの言葉が長く鋭い針のように私の胸を貫いた。すっと冷たいものが胸を通り抜けると、途端に体に力が入らなくなった。
私は立っていることすらできず、ヴァルドに手首を掴まれたまま、空気が抜けたように床に座り込む。
「何でこんなことになってんだよ……」
口から出た声は震えていた。ひどく情けない。自分でも自分の抱えている気持ちを何と呼んでいいのか分からなかった。
「何でだよ、クソったれが――」
床に打ち付けた拳がとても力なく見える。私は苦しむ母を前に何もできないでいる。私はどうしてこれほどまでに弱いのか――。
「殿下、言葉遣いが乱れております」
こんな時でもヴァルドは冷静だった。彼が感情を乱す姿を見たことがない。王になるために感情を捨てなければならないとすれば、いっそヴァルドが王になった方がこの国は安泰なのではないか……。
「なぁ、ヴァルド……」
「何です、殿下」
私は床を見つめたまま声を絞り出すように続けた。
「母さんがこんな風になったのは、全部あの男のせいなのか?」
ヴァルドはすぐには答えなかった。かける言葉に迷っているのか、単に答えを知らないのか。見上げるとヴァルドの視線は真っ直ぐ私に向いていた。哀れむでも慈しむでもなく、ただ深い闇のような冷たい視線だった。
「――殿下は、どうされたいのです?」
黒い霧のような声が、静かに胸の隙間に入り込んでくる。私の胸の中で混沌と渦巻いていた名前のつかない感情が、わずかに輪郭を持ち始めていた。
あの男がいる限り、母さんは苦しみ続ける。それならばいっそ――。
言葉が声に出そうになる直前、ヴァルドはそれを見計らっていたかのように言葉を遮った。
「少し頭を冷やされた方がいい……」
ヴァルドの静かで冷たい声が、私の頭の中で淡い紫色の波を立てていた。
掌編『魔法の解かれた先で』
第十話に続く→
第九話のご拝読
ありがとうございます✨️
【次回の見どころ👀】
王子の胸のなかで、改めて父への怒りが燃え上がる。王子はなんとか母を助けられないかと模索し始めるのだが……。
📔第十話の更新は
6/3(水)19:30を予定しています。
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