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夏至の京都奈良琵琶湖を巡る旅【2024-6】❹壁画と迷路?~高松塚古墳から天武天皇陵へ


高松塚古墳に行く途中に文武天皇陵が

高松塚古墳に向かって電動自転車で颯爽と走っていくと、左側の細い道の先に、いかにも天皇陵的なこんもりした緑の小山発見。
さっそく地図アプリで調べてそれが「文武天皇陵」と確認。

もんむ、てんのう!
(今頭の中にピスタチオの「なんの!」が浮かんだ人〜)

メインの通りから細い道へちょっと寄り道

彼は天武天皇(推し)の孫。正確には、天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の子ども。
古事記を作らせた持統天皇が、アマテラスを自分になぞらえてあの神話を書かせたとしたら。(という説が有力)

女神のアマテラスが「孫の瓊瓊杵尊」に地上を任せたのと同じく、女帝持統天皇も「孫の文武天皇」に位を譲った、と。
ここ大事ね。
何せ、古事記が書かれる前では、アマテラス(天照)は本当はアマテル(天照)という名で、男性神だった説もあるのですから。

持統天皇の唯一の息子である草壁皇子が早く亡くなっており、まだ幼い草壁皇子の子ども(持統天皇の孫)である15歳の文武天皇に天皇の座を譲った。

本来なら天武天皇の皇子は草壁皇子以外にもたくさんいおり、その筆頭、高市皇子が適任とされていたのに。
え?皇子を飛ばして孫に譲るの??と周囲に軋轢もあったはず。

つまり、いろんな意味で文武天皇で重要人物なのですよ。歴史的にも古事記的にも。
あやうく通り過ぎるところでした!

そっと手を合わせる。
遺跡名は「栗原塚穴古墳」というらしい。

帰って来てからwikiで調べて、八角墳で横口式石槨を持つ「中尾山古墳」を真の文武天皇陵とする説が有力と知る。高松塚古墳のすぐそばにあったのに通り過ぎてしまったことが残念。

wikiで調べて改めて25歳の若さで崩御したと知る。
それから長い年月をここで過ごされているのですね。

あの有名な高松塚古墳😆

文武天皇陵を過ぎ、わずか3分で高松塚古墳到着。

ここは皆様が知っている古墳のひとつかな〜と。
壁画は間違いなく教科書で見ているはず!!

この壁画ね!

こんなにもそばまで来れるなんて思っていなかった。震える。

しかも古墳を一周できるんですけど(驚愕)
ぐるっと回って下から撮りました。
お花を入れてそれっぽい角度で(笑)

古墳のまわりは公園になっています。

高松塚古墳の目の前に「星宿の広場」と書いてあります。
壁画に描かれた星宿をモチーフにしたとのこと。
ロマンチック!
次回はゆっくりその石を見て回りたい(*^_^*)
高松塚壁画館
飛鳥パスポートでちょっと割引になります(*´∇`*)
古墳の中に入れませんが、ここで本物そっくりの壁画を見ることができます。

壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。

https://www.asukabito.or.jp/hekigakan.html

平山郁夫先生が携わっていらしたのね。
そして作品がとても素晴らしい。

本物の壁画は国宝。
展示は模写なのですが。
天才です。模写なのに震えます。
写真撮影オッケーなんて、神対応。
ああ、これは玄武!!
(北海道なので北の守り神に反応)
たくさんの資料がありまして。
円翳。
えんえいって読むのを初めて知った!
これ、どこかでお土産で売っていないかな~

かなり興奮しましたが時間もないことですし、10分足らずの滞在でしたが、次に進みます。

天武天皇にお会いします!!

地図で見ると,今いる場所から徒歩15分の場所に「天武天皇陵」がある。
それは自転車なら5分くらい?とか思い、アプリが教えてくれる近道から行くことにしました。

自転車に乗って、るんるーん♪とアプリに従い進むと、藪になりまして。
アプリによるとそこから先は、藪の中にある急な山道を降ることになっています。
しまった。ついくせで徒歩のルート検索しちゃったと気付いて涙っす。

「車ルート」で検索したところ、文武天皇陵から高松塚古墳に行くときに通った車道に戻らなければならない様子。
わーーん、自転車でその反対に向かってにかなり進んできちゃってるよ!(涙)
ということで、一度高松塚古墳に戻り、そこからさらにもと来た道路に戻り、かなり遠回りして、やっと天武天皇陵に着きました(苦笑)

気を取り直して天武天皇のもとへ!

この階段を登って行きます。
私、本当に天武天皇のことが好きなので、ここにいらっしゃると思うと震えます。
木村拓哉に直接会ったとしてもここまで震えないかも(そもそも会えないけど笑)
持統天皇もこちらにいらっしゃいます。
ちなみに今の私の心境は、木村拓哉に会いに行ったら隣に奥様がいらした時の感情。
あ、30年来のキムタクファンです(笑)
厳かに手を合わせる。
あの歴史の教科書に載っているお方がここにおられるなんて。
奈良も京都も本当にすごい。

この時点で11時10分頃。
曇り空ではあったけれどそれなりに暑さがあって。
2時間自転車を漕ぎ続けているのでさすがに疲れた。
どこかでスイーツを補給したいのに、どこまで行っても田んぼと道路と古墳しかない。
コンビニがどこにもない。
スーパーもない。
リュックをあさるもおやつのセブンの干し梅しかない🥲

コンビニを探しながら旅を続けることとなります。

亀石の伝説めっちゃこわいんですけど

天武天皇陵から10分ほどで亀石到着。
屋根付きの休憩所があるがベンチはない。
ありがたいことに自販機があったのでお水を買って一気飲み。
ここに来るまでに水筒の水も飲みほしており、サースティだったのだ(涙)
ちょっと飲むつもりが一本飲んじゃったので、もう一本買って水筒に移し替える。

亀っぽいけどもしかしたらカエルかもしれないとありまして。
いや、これ、亀、だよね??

かつて奈良や京都が湖だった伝説があるのですが。
(実際に奈良盆地と京都盆地は大きな湖だった跡が残っています)
そのことが関わるらしい看板に書いてあった伝説がこわいっす。
伝説に出てくるたくさん死んだ亀ってほんとうに亀なの?
ほんとうは人間だったとかないよね?(涙目)

むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまった。湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。
何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうである。
今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。

亀石の前の看板より
いつ何の目的で作られたか明らかでないとあります(苦笑)

ではでは、聖徳太子生誕の地、橘寺に向かって進むことにします。

橘寺、岡寺はこの次に書きます~

で、コンビニ及びスイーツはどこ~??(涙目)

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