夏至の京都奈良琵琶湖を巡る旅【2024-6】❼ 飛鳥の静寂に蘇我一族へ想いを馳せる
かつての栄華が失われている宮殿たち
自転車を返すまであと1時間半。
見たい場所はほとんど見たけれど、時間がもったいないのでとにかく移動。
奈良で感じたことは、「宮殿跡」が多すぎるためか、ひとつひとつの扱いが簡素というか、朽ち果てるがまま、あるがまま的なイメージ。
それもまた味になるのかな。
当時は天皇が変わる度に宮殿をつくっていたので、たくさんありすぎて、わざわざきらびやかに残そうとは思わなかったんだろうな。
とりあえず日本最初の女帝、推古天皇の宮殿へ行きます!
推古天皇の宮殿跡に行きました

日本最初の女帝である推古天皇の豊浦宮の跡と考えられている。
豊浦の地は蘇我氏の本拠地であり、この豊浦宮の造営から飛鳥時代が始まったと言われている。
日本で最初の女帝の推古天皇。
推古天皇は欽明天皇と蘇我馬子の姉の蘇我堅塩媛との間の娘。
推古天皇の摂政でもあった聖徳太子のお母様(穴穂部間人皇女)と推古天皇は姉妹。つまり推古天皇と聖徳太子は叔と甥の関係です。
そして、推古天皇が豊浦宮で即位した593年を飛鳥時代のはじまりとされるので、ここが飛鳥の始まりの地ともいえる!

伎楽???初耳です。
帰って来て調べたところ、
伎楽とは、中国から伝わった大きな仮面をつけて演じられる台詞の全くない無言劇です。仮面舞踏劇のようなもので、聖徳太子の時代に盛んに行われていましたが、次第に大陸から伝わった雅楽などの新しい芸能の伝来によってだんだんと廃れていってしまいました。
かなり前にほとんど廃れてしまった様子ですが、最も初期の頃の能のような感覚なのかな?と思いました。ほんとうに初耳。
それって、日本ではじめてのお寺なのでは??
そして何気なく池があるなぁと看板を読んで驚愕。

この池は、「日本書紀」欽明天皇十三年仏教伝来の記事に
廃仏派の物部尾興が仏像を投げ込んだ浪難波の堀江であるとの伝承を持つ。
とあります。
wikiの記事を要約すると、
552年に百済の聖王(聖明王)から献上された(日本初の)仏像を、蘇我稲目が自宅に安置し、その後向原の家を寺とした。
その後疫病が流行ったのは仏像を祀ったせいだと中臣鎌足が怒って、その仏像を難波 (なにわ) の堀江に捨てさせ、伽藍を焼き払ってしまった。
江戸時代にこの難波池で、金銅観音菩薩立像の頭部が発見され、体部と光背が補作されたとのこと。
つまり、日本ではじめて大陸から贈られた仏像を安置していた蘇我稲目の自宅(日本ではじめての寺)にあった仏像は、鎌足の命令で池に捨てられた。その池がここであり、後世、その池からそれっぽい仏像が見つかったよ、と。
えらいこっちゃの話ですよ。
それが小さな看板ひとつだけあるだけなんて。
簡素!!
その池の持つ歴史の大きさから比較すると全くの簡素な扱い過ぎません?
いや、奈良ってこういう場所だと学んだはず。
わたしひとりが騒いでいるけど、奈良さんから見たら小さいことなの。
「そんなの歴史の小さい小さいひとこまに過ぎんですわ。大げさにすることおまへん。
なにせここは奈良ですさかい、長い年月でぎょうさん歴史が動きましたからな。せやけどな、みんな過ぎてしまったことですわ。
いいからあんさんも、昔のことばかりあれこれ見ていないで、もっと今を生きなはれ」
(と謎の奈良の達人が脳内でなんちゃって奈良弁で話している)

この簡素さが、私をもっと奈良好きにさせてしまうスタイル(笑)
改めて豊浦宮跡(向原寺)について
592年(崇峻5年)12月に推古天皇が豊浦宮に即位してから、小墾田宮に遷都するまでの宮室である。飛鳥の地に次々と宮殿が作られる端緒となった宮室で、飛鳥時代はこの宮の造営に始まったともいわれる。
豊浦の地は、推古天皇の母方の祖父・蘇我稲目の向原家のあったところ。
つまり母方のおじいちゃんの家を天皇の宮殿にしたということ。
実は蘇我が大王(天皇)だった説もあるし、ソガはスガ(スサノオ)で出雲王国と繋がるとか。
ちょっとロマンを感じる場所でした( *´艸`)


万葉集の歌碑がありました(*^_^*)
明日香川ってさっき自転車で川岸を走ったあの川だよね?
なにか曰くがありそうな神社があった気がする
次の目的地に行こうと思ってふと裏側を見ると神社らしきものを発見。

主祭神は推古天皇でした。
ただいま喪中なので神社にお参りできないのが残念!
またいつか改めてご挨拶に伺います。
推古天皇を主祭神とし、相殿に八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現を祀る。
『五郡神社記』には八十禍津日神・大禍津日神・神直日神・大直日神とあり、これが元々の祭神であった。
推古天皇を主祭神とするようになったのは江戸時代以降のことである。
もともとは八十禍津日神・大禍津日神を祀っていた?
それって隠された女神として知られる瀬織津姫のこと?
改めて検証したいが、先を進みます。
次の目的地を決める(これがラスト?)
明日香村にはたくさん見どころがあるのですが、残された時間内に行ける範囲だと限られるわけで。
さて、最後にどこに行こうと地図を見ていると「剣池(つるぎいけ)」という名前がそれっぽい(?)と、そこに向かってみることにしました。
下校途中の小学生の間をぬぐうように、住宅地を走り、剣池に到着。


池の入口には「孝元天皇陵」がありました。
不勉強でよくわかりませんが、ご挨拶をしていきます。
そしてかえってwikiで調べて「異母兄弟に倭迹迹日百襲姫命」と知り、ひっ!!となる。
箸墓古墳に眠るあの方のお兄様だったのですね!!
やはり飛鳥の地は奥深い。
せっかくだから池のまわりを走りましょう~
るんるん♪
剣池(石川池)を半周しました


詠み人の紀皇女(きのひめみこ)は、天武天皇の皇女。
紀皇女の母は蘇我一族。
(天武天皇は蘇我氏がバックにいたのですが)
それにしてもなぜわざわざここに紀皇女の歌碑があるのだろう?
このあたりも蘇我氏の力が強い地域だったのかな。


「この池については皇極天皇の夏に地中の蓮に一本の茎に二つの花がさいてこれが蘇我氏の繁栄を予告するものと尊されたことを伝えています。」とあります。
ふんふんそうなんだって思って、次の書き込みを読んで、ちょっ!!!となりました(苦笑)
「その蘇我氏が翌年に亡んでいるのは皮肉というほかありません。 橿原市教育委員会」
え?もしかして書いた人、蘇我氏のこと嫌い?(苦笑)
この時点で16時。
地図を見て、レンタサイクルショップまでの距離も考え、自転車を返すまであと30分はどこかに行けそう。
時間的に藤原宮まで行けそうですが、かなり疲労しておりまして。
朝のハイテンションはどこへやら。かなりお疲れモード。
キトラ古墳と高松塚古墳あたりがピークだったかな(笑)
もう、いいよねパトラッシュ。
わずか10分でレンタサイクルショップ到着。


16:19発 橿原神宮前駅発、大和西大寺行に乗ります。

16:55に大和西大寺駅着し、16:59発 近鉄奈良駅行に乗り換えます。

近鉄奈良駅からJR奈良駅へ移動して18:10発の京都行きに乗り込みました。



いったん駅前のホテルでチェックインして荷物をほどきます。

おいしそうなイギリス料理を食べました(笑)

プリンじゃないのに?
ネーミングの意味わからないけれど、これにします。


ということで、長い一日が終わりました(*^_^*)
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