【短編小説】セミナー講師かく語りき
島田聖次は両手を広げて熱く語った。
「藤野先生、この『生命力センター』は単なる建物ではなく、私の哲学を空間化したものでなければならない!」
藤野美礼は穏やかな表情で話を聞いていた。
彼女は、日本を代表する建築家。この大型プロジェクトは事務所の財政を潤す案件だが、クライアントの島田—この人気セミナー講師の要望は奇妙なものだった。スタッフの柏木杏子が隣で無表情にメモを取っている。
「具体的にどのようなイメージですか?」藤野は尋ねた。
「まずエントランスは」島田は立ち上がった。「『常識は死んだ』という私の思想を体現する空間に。入館者に古い自分が死ぬ感覚を与えたい」
「なるほど…例えば?」
「入口は深い闇のようでなければなりません!底が見えない感覚を。そして『電車、戦車、飛行機』の順で空間変容を。重荷を背負う通路、次に破壊的な広場、最後に創造的な明るい部屋—これは人間の精神発達の三段階です!」
藤野は眉をひそめた。
「次に『理想転換』の空間を」島田は続けた。「常識が覆される部屋。水が横に流れる噴水や、床と壁の区別がつかない錯覚を起こす設計を!」
「物理的に困難ですが...」
「メインホールは『円環運命』を表現します」島田は遮った。「全てが繰り返される—この感覚を円形空間で。来場者が永遠に同じ場所を歩いている錯覚を与えてください!」
柏木が小さくため息をついた。
「そして最重要な『高次存在』の理念」島田は天井に手を伸ばした。「人間は超越すべき存在。上昇感のある空間と、地上10メートルの細い橋を設置したい。弱い者が渡れない難易度で!」
「失礼ですが、建築基準法やバリアフリー法をご存知ですか?」藤野は静かに言った。
「法律すら超越するのが『高次存在』です!」
島田は手を振った。「地下には『本能世界』を。混沌とした迷宮のような空間。さらに『苦難受容』の部屋も。わざと不快な空間—床が揺れ、壁から水が染み出るような設計を!」
「それは構造的に問題が…」
「最後に」島田は息を切らして続けた。「『古き崇拝の終焉』を象徴する部屋を!壊れた柱や崩れた神殿のような装飾で!」
「なるほど」藤野は丁寧に頷いた。「持ち帰って検討させてください」
事務所に戻った藤野は、重いため息とともに煙を吐いた。
「先生」柏木が言った。「あの要望、実現不可能ですよね」
「そうだな...」藤野は眉をひそめた。「それに、あの概念...どこかで聞いたような気が」
「高校の授業でなにか似たような...」柏木はぼんやり言った。
「どうされます?」
藤野は遠い目をした。「設計料は魅力的だけど...あの要望は建築的に無理があるし、正直、シンプルに気持ち悪い」
三日後、藤野は島田のオフィスを訪れ、にこやかに言った。
「申し訳ありませんが、このプロジェクトはお受けできません」
「どうしてですか?予算は増額できます!」島田は動揺した。
「ありがとうございます」藤野は丁寧に頭を下げた。「しかし時間的問題と、ご要望の実現の難しさを考えると...」
「他の建築家を紹介してください!」
「なかなか周りも忙しいようで」藤野は笑顔で断った。
一年後。生命力センターは別の建築事務所の手で完成していた。一見荒唐無稽だった島田の要望は、妥協と折衷を重ねて一応の形にはなった。
入口は暗く、内部は混乱した空間構成で、訪問者に不快な迷宮感を与えていた。
「よく確認申請が通ったな...」ネットニュースを見た藤野の顔は引き攣った。
ある日、白髪の老人がこの建物を訪れた。建物に刻まれた「常識は死んだ」の文字に、思わず笑みを浮かべる。
中では島田がセミナーを行なっていた。
「我々は皆、『高次存在』になれるのです!『闇を覗く者は、闇にも覗かれている』—これが私の言葉です!」
「世界は便利になった代わりに、私たちは自分の感情すら他人の言葉に委ねて生きている。だからこそ、自分自身の生命力を取り戻す場が必要なのです!」島田は興奮して続ける。
老人はメモを取りながら静かに聴いていた。セミナー後、島田に近づく。
「興味深いセミナーでした」
「ありがとうございます」島田は嬉しそうに答えた。
「田辺と申します。本日は取材で」老人は穏やかに言った。「あなたの『常識は死んだ』は、ニーチェの『神は死んだ』から着想を得たのでしょうか?」
島田の表情が強張った。「ニーチェ?偶然の一致かもしれません」
「『闇を覗く』も『円環運命』も『高次存在』も、全てニーチェの言葉にそっくりです」老人は淡々と続けた。「もし、これがオリジナルなら、あなたはニーチェの境地にいることになりますね」
「…無意識に影響を受けたのかも」島田は言い訳した。「しかし現代に適応させた全く新しい...」
「構いませんよ」田辺は微笑んだ。「ただ、出典を明らかにしないのは誠実さに欠けます。それに、この建物...ニーチェを空間化するなら、もっと美しい可能性があったでしょうに」
建物を後にした田辺は、メモに「ニーチェの永遠回帰—誤解と盗用の歴史は繰り返される」と記した。
「独裁者にも、ペテン師にも利用されて、有名人は大変だ」
そして微笑みながら、次の訪問先へと歩き始めた。
