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【短編小説】ワールド・イズ・マイン

窓辺の光は、夕刻を告げるように淡く、長く伸びていた。
生徒会室の中央で、槙辺リホはタブレットを見下ろしていた。

画面に表示された統計が、青白い光を彼女の顔に反射させる。

「校則違反者、先月比7%減少。遅刻率、11%低下。」

リホは満足げに頷いた。就任から三ヶ月、彼女が主導した「校内秩序維持システム」は確実に効果を上げていた。反対の声は次第に小さくなり、校内は、静かだった。

廊下を歩けば、生徒たちは自然と道を譲った。教師たちさえ、彼女の意見には一目置いていた。

「この世界は私のもの」

時々、そんな思いが芽生えることを、リホは自分だけに認めていた。この小さな権力の甘さに、酔いしれることも、時にはあった。

机の上には、開かれた『本』。そこに、自分で引いた赤い線とメモ。

《愛されるよりも恐れられるほうが良い》

リホはそれをなぞる指先に、微かな力を込めた。 

ドアが控えめにノックされた。

「どうぞ」

入ってきたのは、化学教師の神谷由香だった。長年学校に勤める彼女の瞳には、どこか、諦めにも似た静けさが漂っていた。

「槙辺さん。校則違反の指導方法について、話したいことがあって」

「問題でしょうか?」

リホの声はよく研がれた刃物のように滑らかだった。

「少し、個々の事情に配慮してもいいかもしれないと思うの。今の一律の指導方針では……」

「公平性を損ないます」
リホは間髪を入れずに答えた。

「みんなをまとめるなら、対話が必要よ」
神谷はそれ以上何も言わず、退出した。

残されたリホは、窓の外に目を向けた。放課後の校庭を、誰もいない風が渡っていった。


数日後、化学実験室。

リホはグループで作業を進めていた。同じグループには中村がいた。制服の第一ボタンは外し、校則で禁止された金髪。校内秩序維持システムによる「要監視対象」の筆頭だった。

中村は反骨精神の塊だった。だが、リホは彼の瞳に時折見える純粋さを、密かに認めていた。単なる悪意の不良ではなく、何か信じるものがあるからこその反抗だった。

「中村、試験管を洗って」

中村は鋭い視線をリホに向けた後、黙って従った。その動きには疲れが見えた。目の下には薄い隈。手の動きも鈍い。

三日前、風紀委員会による身だしなみ検査で、中村は公開で叱責された。リホの指示だった。それ以来、中村は明らかに苛立っていた。

実験が進む。

「加熱95秒。時間を厳守して」

中村は小さく頷いたが、バーナーの火を止めるタイミングをわずかに誤った。

そして、最後の工程で、中村の手が滑った。試験管が、鈍い音を立てて床に転がった。

教室が一瞬、固まる。

リホは冷たく告げた。「やり直し。グループの効率を落とさないで」

中村は深く頭を下げた。その目には言いようのない怒りがあった。神谷がフォローにはいったが、彼の背中は、何かをすでに諦めていた。


その夜の生徒会室。

リホはタブレットを操作しながら、ふと、中村の目が脳裏に浮かんだ。

「……関係ない」

彼女は首を振り、データに意識を戻した。数字だけが、真実だった。そう、信じたかった。

翌日。

中村は、学校に来なかった。理由の記載はない。欠席連絡もなかった。

リホはデータベースに「無断欠席」と記録したが、胸の奥に引っかかるものを感じた。


翌朝、神谷が生徒会室に来た。彼女の顔には、かつて見たことのないほど深い陰りがあった。

「中村くん、夜間救急に運ばれたわ」

「何があったんですか?」

「近所の公園で、何人かの不良と喧嘩したらしい。保護者の方によると、最近『学校には居場所がない』と言っていたそうよ」

リホはタブレットを見つめた。そこには、冷たく並んだ数字の群れ。それらが急に意味を失っていくのを感じた。


夜、生徒会室に一人。リホは机に伏せた。自分が何を守り、何を壊してきたのか。今になって、ようやく痛みが肌を刺す。

ふと、目に入った『本』に、新たな一節を見つけた。

《民衆の支持を失えば、君主は必ず滅びる》

リホは、目を閉じた。それは、恐れではなかった。初めて感じた、自らへの怒りだった。


数日後、リホは病院を訪れた。

面会許可は降りなかったが、ロビーの片隅で、中村の母親と会った。

「……申し訳ありませんでした」

「あなたが謝ることじゃないわ。あの子、自分を守る方法がわからなかったのね」

リホは何も言えなかった。ただ頭を下げた。


その翌週、全校朝礼の壇上でリホはマイクの前に立っていた。

「これまでの校内秩序維持システムは、変更します」

その言葉に、ざわめきが走る。

「私は、間違っていました。数字は、すべてを語らない。これからは、一人ひとりの声を聞くことから始めます」

「支配ではなく、対話を。効率ではなく、関係を。そして、自分自身で世界をつくる力を、信じたい」

誰かが小さく拍手し、それが次第に広がっていった。


一ヶ月後。通学路を、中村が歩いていた。校門の前で、リホが立っていた。

「久しぶりね」

「ああ」

少しの沈黙のあと、中村は言った。

「俺、あのとき、自分がどこにもいない気がしてた。でも……いまは少しだけ、自分の場所があるって思える」

風が、二人の間をやわらかく通り過ぎていった。

「だれにとっても、ここがそういう場所になるようにしたい。それが、生徒会の仕事だと思うから」


三ヶ月後。

同じ生徒会室。同じ窓辺から、今度は朝の光が差し込んでいた。

リホの隣で中村が書類を差し出す。

「風紀委員会の運営計画、これでどうだ?」

「いいと思う。でも、タイトルの『風紀維持』を『学校環境向上』に変えてみたら?」

机の上には、開かれた本。一節に線が引かれ、脇にはメモが添えられていた。

《統治するためには、統治される者の性質を理解せねばならない》

「世界ってさ」リホは静かに言った。「誰かがコントロールするんじゃなくて、一緒に形づくるものなのかもしれない」

中村は窓の外を見つめ、やがて言った。

「ずっと思ってたんだ。『俺の世界は俺だけのもの』って」

「どうして?」

「そうとしか思えなかった。校則違反ばかり指摘されて、本当の俺を誰も見てくれないって思ってた」

「今は?」リホは静かに尋ねた。

「世界は、一人じゃ作れないかもな」

朝日が二人の間を通り過ぎ、机の上の『君主論』を一瞬だけ金色に染めた。

恐れを選んだことで生まれた言葉は、今、新たな意味を帯びていた。

世界は私のもの——それは今や、支配ではなく、責任の言葉だった。


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