【短編小説】なんてったって完璧なアイドル
何万分に薄められても、愛は愛だ。
歓声が渦巻くドームの中央で、白石ひかりは輝いていた。汗一つ浮かべない頬。計算された指先。鏡のように磨き上げられた笑顔。
「あなたのカノジョ、白石ひかりです!みんな、ついてこれるかな?」
甘い声に五万の声が応える。「NSN47」のセンターとして三年、彼女の名は光そのものだった。
ライブ後、楽屋に戻ったひかりはメンバーたちと笑い合う。「今日も最高だったね!」頬は上気し、目は輝いている。
翌日のCM撮影。ディレクター松田薫がモニターから目を離す。眼鏡の奥の瞳は、いつも少し皮肉を湛えていた。
「いつ見ても完璧な笑顔ね」
「ありがとうございます」
「疲れない? その”完璧”」
「いいえ、楽しいです!」ひかりは微笑んだ。
事務所で新しい研修生が紹介された。
「森川ユズです。音楽が好きで、歌うのが楽しくて…」
ひかりは、自分が加入した日を思い出す。「ファンのみんなのために、一緒に頑張ろうね!」
「でも、どうして恋愛禁止なんですか?」ユズが練習後に聞いた。
「ファンの人が悲しむでしょ?」
「私たち、本当は何やってるんですか?」ユズが続ける。「歌も踊りも、結局男性の視線のためですよね?総選挙で順位つけられて、私たち商品なんですか?」
ひかりの手が止まる。
「ファンも、私たちの音楽じゃなくて握手券を買ってるだけ。キャバ嬢と何が違うんですか?」
「…なんで、アイドルになろうと思ったの?」ひかりは困惑した。
翌日、ひかりは神山プロデューサーに呼び止められた。
「ユズの件、聞いたよ」神山の声は穏やかだった。「あの子、勘違いしてる。何万人が君たちを見てると思ってるんだ?」
ひかりは頷いた。
「君たちの歌で救われる人がいる。それが偽物か?」神山の目は真剣だった。「君からもユズに言ってくれ」
「…神山さんの言う通りです。ファンのためですから」
その後、神山は続けた。
「実は表紙の話があるんだ。大手ファッション誌から」
「表紙?」
「君の影響力を考えれば、多くの女の子にとって励みになる」神山が微笑む。「水着だが、健康的で美しい姿を見せることに意味がある」
「でも…」
「もちろん君の気持ちも大切だ。でも君には社会的責任もある」神山の声が優しくなる。「君を見て頑張ってる女の子たちのことを考えてほしい」
「ファンのため…」ひかりは頷いた。
「君が嫌がることは強制しない。でも、君が本当にファンを愛してるなら、答えは見えてくるはずだ」
その瞬間、ひかりの中で何かがひっかかった。
「…あれ?」
「何だ?」
「私は…?」小さな声が漏れる。
ファンのため、ファンのため…でも、私は?私がやりたいことは?私は、どこにいるの?
その夜、鏡に映る自分が他人のように思えた。握手会で見知らぬ男たちの手を取り、「大好きだよ」と囁く自分。全部「ファンのため」。でも、私は?
翌朝、スケジュール表を前に、ひかりは突然倒れた。
病室で松田が梨を剥きながら聞いた。
「あなた、『ファンのため』って今まで何回言った?」
「え?」
「自分のために何かしたのは、いつ?」
ひかりは答えられなかった。
「私、昔痛い目にあったの。イメージばっかり気にしすぎて、ある人の芸能人生を終わらせた」松田は静かに言った。
「イメージの奴隷になることと、使いこなすことは違う。でも一番大切なのは」
松田が「私」を見つめている。
「『あなた』がいないファンサービスなんて、誰のためにもならないってこと」
復帰した日、神山が再び企画の話を持ちかけた。
「ファンが喜ぶ新しい路線を考えよう」
「ファンのため…でも、ファンサービスって何ですか?」
「君は何を言ってるんだ?」
「『私のため』の無い『ファンのため』って、誰のためにあるんですか?」
神山の顔が強張った時、ユズがノックした。
「失礼します。私、辞めさせられるんですか?」
「君のような考えでは無理だ」神山が振り返る。
ひかりが立ち上がった。
「待ってください。ユズちゃんの言ってたこと、全部正しかった」ひかりの声が震える。「私たちは夢を売ってる。でも、あなたのためじゃない。私たちのためよ」
復帰ライブの日、スポットライトに立ったひかりの瞳が、いつもと違う光を宿していた。
「みなさん、実は私、入院中に恋をしました」
会場の空気が、凍る。
「その相手は、ファンのみんなでーす!」
安堵の溜息の次の瞬間、彼女は続けた。
「でも、恋愛禁止なんて、もう守る気はないかな。私、二十二歳だし」
驚愕の声が上がる中、彼女は微笑んだ。
「次の曲はユズちゃんとデュエット。私が選んだ曲だよ」
神山が制止する前に、彼女は歌い始めた。予定外の調べが会場を満たす。
「何考えてるんだ!」楽屋で怒声が飛ぶ。
「ファンの人たち、すごく喜んでましたよ?本当のファンサービスって、これじゃないですか?」
松田が笑う。「あなた、本当は昔からこんな性格だったんでしょ?」
「ううん、でも今の方が楽しい。今の方が、ファンのためになってる」
月日は流れ、白石ひかりは業界の常識を揺るがしていた。握手会では「今日は体調悪いから触らないで」と宣言。気に入らないファンには「清潔感について考えてみたら?」と諭すこともあった。
驚くべきことに、彼女の人気は上昇した。ユズも変わり、二人の「反逆」は静かに広がった。
楽屋でユズが尋ねる。「怖くないんですか?」
鏡に向かったまま、ひかりは答えた。
「最初は怖かった。でも『私』がいないファンサービスの方が、よっぽど怖いの」
スポットライトの下、彼女の笑顔は相変わらず眩しかった。でも今は、それが完璧な「アイドルの笑顔」なのか、単に楽しんでいるのか、誰にも区別がつかなくなっていた。
「マジで彼氏つくってやろうかな」そう言って、彼女は堂々と笑った。その笑顔は、誰のためでもなく、誰かのためでもあった。
何万分に薄められても、愛は愛だ。
私を一番愛してる。みんなも一番愛してる。
矛盾してる?いいじゃない。矛盾も含めて、私なんだから。
