いい人ができたらしい
「お母さんに いい人ができたみたい…」
週末に私の家に来ていた ルリナが、不意にそんな話をしてきた。
母親のマナミに、どうやら「いい人」ができたらしいとのこと。
この場合の「いい人」というのは、言わずもがなのことだろうけれども、なんというか、その、誰かそういう佳き「お相手」のことなんだろう。
マナミはまだ若いし、しかも結構な美人だから、そりゃ誰かに惚れられても不思議ではないと思う。
けれども、私には少し腑に落ちない部分もあった。
マナミにはトラウマがあったはずである。
ルリナの父親でもある男性との激しい恋愛と破局の末に、すっかり男性不信に陥ってしまった…という話を、私はマナミ本人からも聞いていた。
「一生分の情熱を使い果たしたから、もう誰も愛せない…」
マナミはそんなふうに私に語っていたはずである。
それなのに「いい人ができた」ということは、もう過去が吹っ切れたということなんだろうか。
マナミの心の傷は、すっかり癒えたんだろうか。
いずれにしろ、1つだけはっきりと分かったことがある。
結局のところ、マナミにとって私はただの知人にすぎないんだろう…ということである。
つまり、マナミにとって私は、やっぱり異性としては見られない存在だったということだろう。
いつしか私は、女性から「男」として見られなくなっていた。
それは、人生の盛りを過ぎたであろう男にはあたりまえの現実なんだろうけど、そんな事に今さらながら愕然としている自分がいるのである。
「先生、怒った…?」
ルリナが心配そうに私の顔を覗き込んで尋ねてきた。
もしかして、私の眉間にしわが寄っていたんだろうか。
慌てて私はフッと軽く笑って、首を横に振った。
「怒ってないよ。怒るわけないし…」
和やかにそう言ってやった。
「その人って、どんな人なのかな…?」
私はルリナにそんな質問を投げてみた。
じつはそこが一番気になるポイントである。
「それはよく知らないけど…」
ルリナはそう前置きしながらも、彼女が現時点で把握できている情報を全部教えてくれた。
マナミのお相手は、仕事を通じて知り合った人らしい。
最近では仕事が休みの日でもマナミは家を空けて、その人と会っているようだとのこと。
マナミはその人のことを「友達」としかルリナにはまだ言わないそうだけど、どうやらその人も一人暮らしをしているらしい。
このあいだ、外出中のマナミから「友達の家に泊めてもらうことになったから」とルリナに連絡が来て、結局、朝帰りだったそうだ。
それから時々、マナミは仕事以外でも朝方に帰ってくることがあるという。
「そっか・・・」
ルリナの話を聞いた私は、意味もなく窓の外の空を眺めながらそう答えた。
言葉にならない虚脱感が私を襲っていた。
「ごめんね、先生…」
気がつくと、隣りでルリナが心配そうに私の顔を見つめていた。
「え、なんで『ごめん』なの?
むしろ、俺はなんだかほっとしてるんだよ…」
私はあえて笑顔を見せてそんなことを言ってやった。
客観的に考えれば、マナミが過去のトラウマから立ち直って新たな幸せを見つけられたのなら、それは私にとっても最高の喜びであるはずだ。
けれども、ルリナは神妙な顔つきのままだった。
(気づかれている。ルリナには心が読まれている…)
そのとき私は、内心でそう確信した。
ここに本当のことを書いてしまうと、私はマナミとルリナと3人で1つの家族になることを心の奥底で望んでいたのかもしれない。
数千分の一の確率でも、いや、数万分の一の確率でもよかった。
生涯孤独がほぼ確定しているみたいなこんな変人の私にも、ついに今度こそ家族を持つ日が来るような予感がしていたのだ。
マナミの美しさにも私が興味なかったかといえば、それは嘘になる。
じつをいうと、遠い昔に忘れていた「男」としての感情が、マナミによってなんとなく甦ってきてしまっていたことを、私は自分でも気づいていた。
ところが、マナミのほうは私に対してその気がなかった。
今まで何かと理由を付けながら何度かマナミをさりげなくデートに誘ってみたこともあったけれど、いずれのときもマナミからあっさりと断られてしまっていた。
マナミからすれば、私の日頃からの協力には感謝しているけれども、深い関係になることは望んでない…ということだったんだろう。
そんな簡単なことを私も一応、頭では理解していたつもりだったけど、改めてこの冷淡な現実を突きつけられてしまうと、妙にショックを感じる。
しかし、これでよかったのだ。
マナミがいずれその人と結ばれて幸せになって、その人が娘のルリナのことも大切にしてくれたら最高だと思う。
その人がマナミとルリナを守っていってくれるなら、私自身は自分の役割を終えたということになるんだろう。
そして、そのときが来たら、私は迷うことなくマナミとルリナから徐々に距離を置いてゆき、やがては彼女達の前から自然にフェイドアウトしていけばいいのだ。
ルリナのお勉強も、いずれ一通り終わるだろう。
そしたら、ルリナも甚九郎塾を卒業だ。
タイムリミットが音もなく近づいてきている。
そんな気がするのである。
マナミとルリナに対しては、私が離れることになる最後の瞬間まで可能なかぎりのサポートをしておくつもりでいる。
それは誰のためでもなく、あくまでも私自身の自己満足のために…。

