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多数派より少数派でいたい —— 僕が30代までにたどり着いた「自分軸」の話

「みんなと同じ」がしんどい
「多数派に合わせると、自分が消える気がする」

そんな感覚をどこかで抱えながら生きてきた人に向けて。
そして何より、
「自分ってこういう人間だよね」という私自身の備忘録として。

この記事では、
「多数派より少数派でいたい」という価値観を軸に、
子どもの頃から30代半ばまでの人生を振り返ってみようと思います。

  • なぜ、昔から“みんなと違う方”を選びがちだったのか

  • 多数派に寄せようとして、しんどくなった時期に何が起きたのか

  • そして今、「少数派で生きる」と決めている理由

を、かなり具体的なエピソードも交えながら、
1本のストーリーとしてまとめました。


1. 子どもの頃から「人と同じ」がしっくり来なかった

小学生の頃から、うっすらと

「みんなと同じ」が、なんか落ち着かない

という感覚がありました。

たとえば プロ野球の選手名鑑

  • ひたすらページをめくって選手のプロフィールを読む

  • 「この選手どこ出身でしょう?」みたいなクイズを友達に出す

  • それに全部答えられる “選手名鑑オタク” として存在感を出す

そんな子どもでした。

中学以降も、野球だけでなくスポーツ全般に手を伸ばします。

  • 大相撲

  • 競馬

  • NHKBSのスポーツドキュメンタリー

  • オリンピック各種目

  • サッカー日本代表やワールドカップ etc

気がつけば、

「スポーツの話ならだいたいついていける人」

みたいなポジションを、無意識に取りに行っていました。

今になって振り返ると、

  • みんながざっくり知ってる

  • 自分は、もう一歩ディープに知ってる

そういう状態を作るのが、子どもの頃から好きだったんだと思います。
“多数派の中の少数派”でいたい欲求は、ここからもう顔を出していました。


2. 高校選びで完全に入った「少数派スイッチ」

中学3年生、進路選択のタイミングで、
その感覚ははっきりと形になります。

地元には、

  • 家から自転車10分

  • 地区で“2番目に賢い”と言われる公立高校

  • 学力的にも狙えるポジション

という、わりと“王道ルート”な高校がありました。

先生からは

「そこ行けるよ。いい高校だよ」

と勧められる。
友達の多くもそこを志望している。

でも、どうしても違和感が消えませんでした。

  • みんなと同じところに行く

  • 教師も「ここが良い」と言う

  • いわゆる “多数派ルート” の上に乗る

それがどうしても、自分の好みじゃなかった

だから当初は、あえて1つ下の高校を第一志望にしていました。


そんな中、転機が来ます。
塾の先生との面談で、ふとこう言われました。

「もっと上いけるんじゃない?
しかも、あの学校はかなり自由だぞ」

それは、地元で“1番の進学校”。
電車通学が必要で、自分の中学からそこに行く人は少数派

ここで、私の中の少数派スイッチが完全に入ります。

「誰も行かない」「近くない」「楽じゃない」
—— 燃える。

そこから勉強のギアは一気に上がり、
毎日オールナイトニッポンを聴きながら、
結果的にその高校に合格。

振り返ってみると、

  • 「偏差値」だけで選んだわけでもない

  • 「将来有利そうだから」でもない

ただただ、

「多数派のルートから、少し外れてみたかった」

その感覚に従った選択でした。


3. 修学旅行でも「みんなが行く場所」は選ばなかった

中学の修学旅行で東京へ行ったときも、
やっぱり同じようなことをやっていました。

自由行動のコース選択で、

  • 野球部や野球好きが「野球殿堂博物館」へ行く流れ

  • たしかにそこに行けば、話題としても盛り上がる

でも、どうしても

「もうちょっと違う角度からスポーツを楽しみたい」

という気持ちが出てくる。

結果、誰も選ばない「秩父宮スポーツ博物館」へ行くことにしました。
(旧国立競技場内にありました)

人数はほぼ1人。
「さすがにひとりで行かせるわけにはいかない」ということで、
先生が最寄り駅まで付き添いに。

そこで起きたのが、

名古屋感覚の「同じホームで待ってれば電車は来る」が、
東京だと全然通用しない問題。

四ツ谷で中央線から総武線各駅停車に乗り換えようとして、

  • 「あれ、電車が来ない」

  • 「反対側のホームにだけ来るぞ?」

と混乱し、最終的にはホームを移動して目的地へ辿り着いた、
という小さな事件がありました。

オチは特にありません。
ただひとつ言えるのは、

「みんなが行かない選択肢には、
だいたい“余計な一手間”がついてくる」

ということ。
それでもやっぱり、
私はそっちの方が好きだったんだと思います。

おまけを言うと、
このとき待ちぼうけしていた四ツ谷のホームは、
のちに4年間通うことになる大学の最寄り駅でした。
人生って、こういう妙な伏線回収がありますよね。


4. 高校でも「少数派クラス」「少数派進路」を選び続ける

高校に入ってからも、少数派志向は続きます。

  • 数学が壊滅的だった → 私立文系3教科に全集中するクラスへ

  • 学年320人中そのクラスを選んだのは30人ほど

  • しかも男子は6人だけ、というかなりレアな構成

わかりやすく言えば、
「受験のルートとしてはマイナー寄り」のクラスでした。

それでも私は、

「自分に合う戦い方ができるなら、その方がいい」

と思っていました。

大学選びも同じです。

いわゆる「第一志望」というより、
早稲田・慶応を受験する人からすると
“滑り止め寄り”と言われる大学を志望。

結果的に、高校からその大学に進学したのは自分ひとりでした。

  • みんなが受験する大学ではない

  • 周りから「そこを目指せ」と言われる場所でもない

でも、その状態がどこか心地よかったのも事実です。

「誰も目指していないところだからこそ、燃える」

という感覚が、ここでも発動していました。

ちなみに、高3の期末テストでは学年10位にランクイン。
(他クラスは9教科、自分のクラスは4教科という
スーパーハンデ戦ですが)

成績表を見ながら、

「やっぱりこの学校、レベル高いな」

と実感すると同時に、
「少数派コースでも、ちゃんと戦えるんだ」という
自信にもつながりました。


5. 大学でラグビーを始めて、体型も価値観も変わった

大学に入ってからの大きな分岐点は、
ラグビーを始めたことでした。

それまでの私はずっと野球人で、

  • 「体重は増やしすぎない方がいい」

  • 「動ける体でいることが大事」

という感覚が染みついていました。

ところがラグビーは逆。

「体を大きくすることが正義」

という世界です。

そこで初めて、

  • たくさん食べていい理由

  • 本気でウエイトトレーニングする理由

  • 体を大きくすることに罪悪感を持たなくていい環境

を手に入れました。

その結果として、

「体が大きいこと」は、今の自分にとって大きな誇りのひとつ

になっています。


6. “野球大好きキャラ”と「カープファンへの転身」

大学時代は、ラグビーに打ち込みながらも、
相変わらず野球への愛は続いていました。

キャンパスの近くには神宮球場。
通学定期券の範囲内で行ける距離です。

  • 授業や練習のあとにふらっと神宮へ

  • 外野席で声を出して応援

  • 大学生の自由時間を、ひたすら野球観戦に使う

  • 休みの日を使って、観戦遠征も

  • 主要12球場を大学生のうちに制覇

そんな日々を送るうちに、
気づけば「野球が大好きな人」というキャラが、
自分の中でしっかり固まっていきました。


ドラゴンズファンからカープファンへ

もともと私は愛知県育ちで、
兄も筋金入りのドラゴンズファンだったので、
子どもの頃は自然と中日ドラゴンズを応援していました。

  • サンデードラゴンズ

  • ドラゴンズHOTスタジオ

  • 地元のスポーツ番組

このあたりは、ほぼ皆勤賞で観ていたと思います。

ただ、野球を深く知れば知るほど、
「地元だから」「強いから」という理由だけで応援し続けることに、
どこかモヤモヤもありました。

特に、大型補強が続いた時期には、

「この戦い方は、あまり好きじゃないかもしれない」

という感情もあったりして。

そんな中で訪れたのが、
広島東洋カープファンへの転身のタイミングです。

  • エース・黒田博樹投手のメジャー移籍

  • 主砲・新井貴浩選手の「辛いです」会見を経ての阪神移籍

主力が抜けて、
「来季は厳しい戦いになる」と言われていた時期。

その中で、
CS初出場と優勝に向けて必死にもがくカープの戦い方を見て、

「このチームが優勝したときに、本気で喜びたい」

と感じて、カープファンになりました。

それから、

  • CS初出場まで6年

  • リーグ優勝まで8年

という時間を一緒に過ごしたことで、

「“強いから応援する”んじゃなくて、
“一緒に物語を歩みたいから応援する”」

という価値観が、自分の中で根づきました。

今でも、

「日本一になる日を見届けるまでは、
カープファンをやめないだろうな」

と思っています。


7. 社会人のスタートで「多数派っぽく振る舞って」失敗する

ここまで長々と書いてきた通り、
私の10代〜20代前半は、かなり一貫して少数派ルートでした。

ところが就職活動になると、
一気にモードが変わります。

  • 「ちゃんとした会社に入らなきゃ」

  • 「評価される働き方をしなきゃ」

  • 「面接ではこう答えないとダメなんじゃないか」

こうした“多数派的な正解っぽいもの”に、
自分を合わせはじめたのです。

その結果、

他人の評価が入った瞬間に、自分が消える

という状態に。

  • 自分の強みをうまく説明できない

  • 「人と違う経験」をアピールに変えられない

  • 本当は面白いエピソードを、“無難な話”に自分で薄めてしまう

当然、就活はうまくいきません。

何とか入れたのは運送系の会社でしたが、
そこでふとよぎったのが、

「このまま40年ここで働くのか?」

という恐怖でした。


8. 資格を取り、もう一度大学へ行き、「少数派ルート」に戻る

運送会社で働きながら、
自分の中にあるモヤモヤはずっと消えませんでした。

  • このままここに居続けて、本当にいいのか?

  • 自分の強みや好きなことを活かせている実感がない

  • でも、具体的にどう動けばいいかも分からない

そんな中で、まずやったことは資格を取ること

  • 日商簿記2級

  • 衛生管理者

  • FP3級 など

「何者かになりたいけれど、何になればいいか分からない」
そんな焦りからの行動でした。

そしてもう一つの選択が、

「もう一回大学に行って、仕事に繋がる資格を取る」

という決断です。

行き先は四国の大学。
またしても、多数派からは外れたルートです。

四国という土地へのワクワクも含めて、
そこでの学生生活は、今振り返ってもかなり濃い時間でした。

準硬式野球部では、

「ラグビーで大きくした体で野球をやったらどうなるか?」

を試すことができて、
柵越えのホームランを2本打てたのは、
今も大きな自信になっています。


9. PCO業界へ——“誰もやりたがらない仕事”がくれたもの

2度目の大学を卒業後、再び就職活動。

そこで入ったのが、
PCO(害虫・異物混入防止)業界でした。

入る前は、正直どんな仕事かよく分かっていませんでしたが、
やってみるとこれがなかなか深い世界で。

  • 工場で虫が出た

  • どこから入ったのか

  • 原因は何か

  • 再発を防ぐにはどうしたらいいか

を調べて提案する、いわば

「ゴキブリ・害虫を倒す」だけではなく
「ゴキブリ・害虫が出ない仕組みを作る」仕事

です。

この経験を通じて、私は

「ゴキブリの生態をある程度理解している人」

になりました。

一見、地味すぎるスキルかもしれません。
でも、

  • 自宅で虫が出たときに慌てなくなる

  • 「なぜここに出たのか」が見えてくる

  • 仕組みで問題を解決する発想が鍛えられる

など、じわじわ効いてくる経験だったと思います。

ただ、人間関係や働き方の問題も重なり、
メンタル的にきつくなって退職。

ここでもまた、

「多数派らしいキャリアを歩こうとすると、どこかで折れる」

という現実を見せつけられました。


10. 塾講師として「伝える力」と出会い直す

PCO業界を離れたあと、選んだのが塾講師という仕事でした。

これもまた、
世間の「安定したキャリアモデル」から見れば少数派寄りです。

しかしここで手に入れたものは、非常に大きかった。

  • 子どもたちや親御さんの前で話す度胸

  • 論理的に説明する力

  • 相手の反応を見ながら話す技術

そして何より、塾長からもらった一言が強烈でした。

「話が上手い人の動画を見ろ。
喋り方を“音ごと”インプットしろ。」

この言葉で、私の中でひとりの人物が浮かびます。

鴨頭嘉人さん。

PCO時代、メンタルが落ちていたときに
YouTubeでよく観ていた人でした。

塾長の言葉をきっかけに、
改めて鴨頭さんの動画や切り抜きを浴びるように観るようになり、
「話す」ことや「伝える」ことへの興味が一気に戻ってきました。


11. 「多数派に戻る」のではなく、「学びの場」に飛び込む

長期連休に入ったタイミングで、ふと思いました。

「この期間で、人生のスイッチをもう一段上げられないか?」

鴨頭さんの講演会を生で聴きたいとも思いましたが、
ちょうどそのタイミングでは開催がなく。

代わりに出会ったのが、楽読スクールでした。

「速読」という言葉だけ聞くと、
正直「怪しい」と感じる人もいると思います。

でも、体験に行って感じたのは、

  • ダメ出しされない空間

  • 何を感じてもOKとされる雰囲気

  • “正解”よりも“自分の感覚”を大事にするスタンス

そうしたものが、自分の心にすごくしっくり来たということ。

続けていくうちに、

「他人の正解ではなく、自分の感覚で選んでいい」

という感覚が、少しずつ戻っていきました。


12. 「みんなが受けてる講座は、むしろ受けたくない」問題

とはいえ、ここでも私の少数派マインドが顔を出します。

鴨頭さん界隈には、

  • 話し方の学校

  • 各種人気講座

という、“みんなが受けているメジャーな講座”もあります。

もちろん、それ自体は素晴らしい内容なんだろうと思います。
でも、性格的にどうしても、

「みんなが受けているやつは、むしろ受けたくない」

という気持ちが出てきてしまう。

良い悪いではなく、
これはもう性格だと割り切るしかありません。

  • 多数派の方に行くと、自分が埋もれてしまう

  • 人が多い場所より、少し外れた場所の方が、自分らしくいられる

そういう自分の「癖」を、改めて認識した瞬間でした。


13. コミュニティとの出会いで、「少数派は孤独じゃない」と知る

そんな中で、私にとって大きな意味を持ったのが、

  • 楽読

  • Neoラボ学園

といった「学び&コミュニティ」への参加でした。

世間的に見れば、どちらもメジャーではない場所かもしれません。

でも、そこで出会ったのは、

  • 自分の感覚を大事にしながら生きている人

  • 多数派のレールから外れた経験を、むしろ財産にしている人

  • 「学びにお金を使う」「環境に身を置く」ことを当たり前とする人

そうした「マイノリティ同士の仲間」たちでした。

この辺りから、

「少数派で生きる=ひとりぼっち」ではない
むしろ、“同じ匂いの人”とつながりやすい生き方なんだ

という感覚が、ぐっと強くなりました。


14. 仕事も環境も変わり、「今が一番楽しい」と言えるようになった

その後、浜松の会社に転職し、
仕事の中身もだいぶ変わりました。

それが世間的な意味で「成功している」のかどうかは、
正直わかりません。

でも、

「今が一番楽しい」

と、素直に言えるようになったのは事実です。

それはきっと、

  • 中学の進路選択で“みんなと違う高校”を選んだこと

  • ラグビーに飛び込んで体型も価値観も変わったこと

  • カープファンとして弱い時代から一緒に歩んだこと

  • 2回の大学生活で「普通じゃないルート」を選んだこと

  • PCOや塾講師、楽読、コミュニティを通じて「自分の軸」を取り戻したこと

こうした一つひとつの“少数派の選択”が、
今の自分を作ってくれているからだと思います。


15. 多数派に寄せて消耗するより、「自分が楽しい」を優先したい

20代〜30代前半の、しんどかった時期を思い返すと、
そこにはいつも

  • 正社員じゃないと

  • 結婚しないと

  • ちゃんと評価されないと

  • 会社のために勉強しないと

という、「世間的な正解」に
自分を無理やり合わせようとする自分がいました。

でも今は、はっきりこう思っています。

多数派が“いい”と言っているものより、
自分が“楽しい”と思えるものを選ぶ方が、人生はちゃんと進む。

少数派で生きることは、時に不安もあります。

  • 共感されにくい選択をするかもしれない

  • 「変わってるね」と言われることもある

それでも、今の私はこう言いたい。

「変わってるね」は、悪口じゃない。
むしろ、自分の人生をちゃんと選んでいる証拠だ。


16. 少数派で生きる=「自分の物語を、自分で選ぶ」ということ

最後に、この記事のタイトルに戻ります。

多数派より少数派でいたい。

これは、

  • みんなを否定したいわけでもないし

  • 多数派でいる人を見下したいわけでもない

ただ単に、

自分の人生は、自分の感覚で選びたい。
人と同じ“正解”より、自分が納得できる“選択”をしたい。

という、私なりの“自分軸宣言”です。


この記事をここまで読んでくださったあなたが、もしどこかで

  • 「みんなと同じ」がしんどかったり

  • 「自分だけ違う」と感じて孤独になっていたり

するなら、こう伝えたいです。

少数派でいることは、間違いじゃない。
その感覚は、あなたの“感性の証拠”かもしれない。

これからも私は、
多数派に寄せて自分をすり減らすより、

  • 少数派を選んで

  • 自分の感覚で決めて

  • 自分の物語を面白がりながら生きていく

そんな人生を歩いていきたいと思います。

そして、同じように少数派でいたい誰かの、
小さな背中押しになれたらうれしいです。


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