茨城百景 桜川堤と亀城公園
茨城百景については→『茨城百景とは結局何なのか?』
いつもは季節性を気にしない事が多いですが今回は必ず春に行かないと見れない景があるので現地に行くのを春になるまで待っていました。というのも・・・


1966年版は包含風景が無くなっていますが1950年版には桜川提の桜と指定があり流石に季節性を無視するわけにもいかないだろうという事で春にフィールドワークする事に。
まず景の名前に入っている場所と包含風景の関係を整理すると、
桜川堤の桜はまぁ明らか。一方亀城公園というのは土浦城の城跡に作られた公園の事です。すなわち亀城公園=土浦城址。ここもまた桜が見所らしくやはり春に訪れるのがベストかと思われます。
通常1966年版の一覧表は消滅した包含風景でもそのまま残すのが通常のパターンですがここでは景が失われていないにも関わらず消されています。景の名前と包含風景が重複するので消したか脱字だと思われます。(土浦城址は亀城公園と重複するが桜川堤の桜はそうではないので脱字の可能性もある)
ともかく今回下調べして巡礼すべき場所は桜川堤と亀城公園で包含風景は桜川提の桜という事ですね。ちなみに石碑は無い景のようです。
①桜川堤
さくっと調べると・・・
桜堤の桜並木は、明治43年に邊田粂蔵氏が、足の病気の全快のお礼にと、堤下の道祖神に200本の桜を寄進した事から始まり、現在では、花見の季節になると約4kmに渡る500本のソメイヨシノが咲き誇ります。
邊田粂蔵←え?おじさん誰?
さらに調べていくと誂えたように欲しい情報が網羅されている丁度良すぎる記事が出てきました(こちら→【土浦市】今昔さんぽ④今も昔も変わらない桜の名所・桜川堤。店がひしめき栄華を極めた栄町は今?)
このおじさんは行方郡大和村の人で、妻の足の病をどうにかしようとここ土浦の大町に訪れた。そして現地大町の住人に相談してみると桜川の畔にあった道祖神社にお祈りしてみてはどうかと提案され、その通りに願掛けをした。
その後、願いが無事成就し妻の病が治ったのでそのお礼に桜の木を寄贈して植えたそう・・・
ん?と思ったんですが記事を読み進めて行くとどーやら明治頃まで桜川という名前だったのに桜が無かったようです。
ともかくこのバリええ奴、邊田粂蔵氏が桜を送ったおかげで桜川の堤防には銭亀橋から道祖神社のあたりまで約363mほどの桜並木が誕生。

その後、1915年に御大典記念で地元の消防組が常磐線の線路あたりまで桜並木を延長。その後の経緯はよくわかりませんでしたがなんやかんやあってその後も桜並木は延伸を続け、虫掛あたりまでの約10キロ、総数3500本におよぶ大桜並木になったそうです。



特に人気スポットだったのが匂橋という橋から一望する桜並木だったらしい。
そして大町の道祖神は1947年に洪水時の改修工事で現在の場所に移動。

銭亀橋も現在のモノは新しく架け替えられたモノですが昔の航空写真を見ると場所は大体同じです。現在の道祖神と銭亀橋の距離は丁度300mほどなので道祖神もほぼ位置は同じかな?
そして現在の桜並木は流石に虫掛までは続いておらず桜川橋~学園大橋あたりまでになっています。
②亀城公園
亀城公園=土浦城と言いましたが正確には亀城公園の範囲は土浦城の本丸と二の丸の一部分でそれ以外の部分は市街地化しています。しかし市街地部分に殆ど城跡としての名残は無いので土浦城址を見る場合は亀城公園を訪問するという事になると思います。
そして何故亀城なのかという話ですがそれはこの土浦の地理に関係します。

明治頃の地図を見ると土浦の周辺は全て低地になっています。地図中央にあるのが土浦城と城下町です。この土浦はかつて水害に悩まされた街で水害が起こると街が水没したが土浦城だけは沈まず水面に浮かんでいた。その姿が水に浮かぶ亀の甲羅に見えた事から亀城という異名があったようです。
その後、明治維新で全国の城と同じく廃止になり城は役所として使われるなどの経緯を経て最終的に公園として整備されました。

『結局茨城百景とは何なのか』で書いた通り茨城百景は戦前の状況に基づいて推薦され選定されている節があるわけですが戦前の亀城公園では数々の興行や見世物が行なわれていたようです。
大正から戦前にかけ、サーカスや大相撲などの興行や見世物などが盛んに行われたが、終戦後に史蹟や文化財に指定され、昭和37年10月力道山の日本プロレス興行(社会福祉協議会主催)を最後に殆ど行われなくなった。
つまり単なる史跡にとどまらず行楽地、イベント会場という要素もあったようです。茨城百景が選定した亀城公園がどういったものか大体イメージがつきます。
更に城の廃止、役所としての使用、元藩主土屋氏の城跡の寄贈という出来事は明治の話なのですが公園として整備したのは昭和に入ってからのようなので(資料によると造成完了は1934年)ここを選定した人達からすると出来てから10年そこそこしか経っていないフレッシュな観光地という認識だったと思われます。
現地編
①桜川堤
今年の春は桜が咲いた後も悪天候が続き、晴れるのを待っている間に家の周囲の桜は葉桜になるモノも見られたので、正直間に合うかな~と思っていたんですが土浦はなんと五分咲きくらいでした。土浦寒いのか?
とりあえず噂の匂橋からスタート。


桜散っちゃうよ~><とか言いながら焦って来たもののまだ全然咲いていないので肝心の匂橋からの遠望は微妙w




そして道祖神の所まで1kmほど桜川堤をトコトコ歩きます。





しばらく歩くと例の銭亀橋に到達。

旧銭亀橋の碑があります。そしてここから300mほどで道祖神に到着。実際に歩いてみるとみ、短い・・・最初は小学校の校庭にあるようなちょっとした桜並木くらいの規模だったのに行方の邊田さんもまさか最盛期には10kmにも及ぶ桜並木になるとは思わなかっただろうな・・・


②亀城公園
亀城公園はお堀に囲まれてて周囲も景観を気遣って整備されているようです。雰囲気は甲府の中心部に近いかな・・・

写真のここは土浦市立博物館側の入口で目の前に見えるのは西櫓です。


城の詳しい歴史は公園内のあらゆる所に案内があるので下調べもいらないと思います。特に東櫓はミニ博物館兼展望台兼再現建築みたいになっていてそこで城の歴史は全て網羅できます。入場料は200円で隣接する土浦市立博物館と共通のチケットを買えるのですが、土浦市立博物館の2Fには昔の土浦城の再現模型があるので合わせて見学するほうが理解が深まります。




かつては東櫓からは霞ヶ浦が一望出来たそうですが霞ヶ浦側の眺望はこんな感じ。

陸地が広がり高い建物だらけになったのがよくわかります。かつて水害時にはこの目の前まで水が来てたのか・・・・
そして櫓門。


今回は引用してませんがいつもよく参照している茨城百景二大資料(勝手にそう呼んでる)こと茨城百景めぐり(1956年)と茨城百景巡歴(1980年)のどちらにもこの門の写真が掲載されていてあーここの写真だったのか~と勝手に感動。
茨城百景 桜川堤と亀城公園 ~完~
おまけ
亀城のシイ。県指定の天然記念物で樹齢500年以上(!)のシイの木。

