「恋愛」の文化史 その3 - 「恋愛」が生まれた明治、「恋愛離れ」の令和、その変遷が意味すること
いま私たちは、恋愛をしないことさえ、恋愛との関係で語っている。恋愛したい。恋愛が面倒だ。恋愛できない。恋愛しない自由がほしい。マッチングアプリに疲れた。推しがいれば十分だ。一人のほうが気楽だ。けれど、誰かに選ばれないことが、ふと身体の奥に小さく残る。そういう痛みだけは、なかなか消えない。
現代の日本社会において、恋愛は、私たちの人生の中心から降りつつあるように見える。かつてほど、恋愛し、結婚し、子どもを持ち、家族をつくるという一本道は信じられていない。だが、だからといって恋愛が消えたわけではない。むしろ、中心から降りかけているからこそ、それに触れられると人は傷つく。自分は愛されるのか。自分は誰かに選ばれるのか。自分は交換可能な存在ではないと言えるのか。恋愛はまだ、そういう問いを静かにこちらへ差し出してくる。
しかし、日本人が昔からそのように恋を語っていたわけではない。恋は古い。『万葉集』にも『伊勢物語』にも『源氏物語』にも、待つこと、焦がれること、訪れない夜に身を裂かれること、嫉妬すること、忘れられないことは書かれている。江戸の遊里には「色」があり、近松門左衛門の心中物には「義理」と「人情」の衝突があった。日本人は恋を知らなかったのではない。ただ、恋を「恋愛」という言葉で語ってはいなかった。
「恋愛」という語は、明治になって、西洋語の Love を翻訳し、受け止め、少し日本的に歪ませながら、近代の思想語として立ち上がった。それは単なる男女の情ではない。個人の内面、人格の相互承認、結婚の自由、家制度への抵抗、キリスト教的霊性、近代文学の自我が、その二文字のなかに折り畳まれていた。ずいぶん重い言葉である。軽く口にするには、あまりに多くの荷物を持っている。
この第三回では、日本人にとって恋愛とは何だったのか、そしていま何になりつつあるのかをたどる。明治の思想語としての恋愛、戦後の恋愛結婚、80年代の都市消費、90年代の通信の不安、2000年代の市場化、2010年代のSNS化、そして2020年代の親密性の再配置へ。そこに見えてくるのは、愛の消滅ではない。愛に背負わせすぎたものが、少しずつ別の場所へほどけていく過程である。
第一章 恋はあった。だが「恋愛」はまだなかった
明治以前の日本には、親密さを語るための語彙がいくつもあった。「恋」「色」「情」「好色」「艶」「義理と人情」。それぞれの言葉は、同じ男女の結びつきを指しているようで、実は少しずつ違う場所を見ている。
「恋」は、しばしば不在の感情だった。万葉の「孤悲」に連なるその語は、そばにいる相手への安定した親密さより、離れた相手を待つ苦しみに近い。来るはずの人が来ない。夜が深くなる。衣擦れの音もしない。そういう時間に、恋は濃くなる。平安の妻問婚、通い婚の世界では、男女は必ずしも同居しない。男が女のもとを訪れ、朝になれば帰る。だから恋は、日々の台所に落ち着く感情というより、訪れるかどうかわからない足音を待つ感情だった。
そこにはもちろん身体もある。けれど、それは近代的な「恋愛」のように、人格と人格が対等に結びつき、結婚へ向かい、人生を完成させるという形式とは違う。『源氏物語』の恋は繊細である。だが、その繊細さは、家、身分、後見、女性の不安定な立場、男性の通いの気まぐれと切り離せない。恋は美しい。だが、その美しさは制度の冷たさの上に置かれている。
江戸になると、別の語彙が前へ出る。「色」であり、「好色」であり、「艶」である。ここでは恋は、道徳的な魂の結合というより、遊興、肉体、見栄、金銭、技巧、都市の文化と結びつく。井原西鶴の好色の世界には、性愛を享受する知恵と滑稽があり、遊里には欲望を洗練された作法へ変える仕組みがあった。もちろん、その背後には搾取や身分秩序がある。遊びの洗練は、つねに誰かの身体を足場にしている。だが、少なくとも「色」は、近代の恋愛のように、高潔な内面を装うことを必ずしも求めない。
そして「情」がある。人情本の「情」、近松の心中物の「人情」。これは、社会制度からはみ出す感情である。家のため、身分のため、商売のため、親のために生きなければならない人間が、それでも誰かを思ってしまう。そのどうにもならなさが「情」だった。義理と人情が衝突したとき、物語はしばしば死へ向かう。制度の内部に受け皿がないからである。愛が成就する場所を持たないとき、物語は制度の外へ出る。そこが遊里であり、心中であり、逃げ場のない二人の暗い出口だった。
だから、明治以前の日本に「恋愛」がなかったと言うのは、半分だけ正しい。恋はあった。色もあった。情もあった。夫婦の愛着も、嫉妬も、執着も、身体の欲望もあった。ただそれらは、近代的な「恋愛」という一つの言葉のもとに統合されてはいなかった。現代の私たちは、好きになること、付き合うこと、性、結婚、自己実現、承認、人生設計を、しばしば「恋愛」という一語に詰め込んでしまう。小さな鞄に、衣類も書類も薬も食器も古い手紙も押し込むようなものだ。閉まるには閉まる。だが中で何かが歪む。
第二章 明治の「恋愛」は、男女の情ではなく思想だった
明治になると、その鞄に新しい名前が貼られる。「恋愛」である。
この語は、単に Love の便利な翻訳ではなかった。日本語の「恋」や「色」が持っていた肉体的、遊興的、情念的な響きを洗い落とし、キリスト教的な「愛」、西洋近代のロマンティック・ラブ、個人主義、人格の相互承認を重ね合わせた、かなり人工的な言葉だった。人工的であることは弱さではない。むしろ、その人工性こそが、明治の若者を揺さぶった。
北村透谷は一八九二年、「厭世詩家と女性」で「恋愛は人世の秘鑰なり」と書いた。秘鑰とは鍵である。人生の奥の扉を開ける鍵。いま読むと少し面映ゆい。だが当時、この言葉は若い知識人たちの内面に本当に大砲を撃ち込んだ。木下尚江がその衝撃をそう回想しているように、透谷の恋愛論は、親が決めた結婚、世俗的な成功、国家や家への従属に対して、私の内面にはそれとは別の聖域がある、と宣言するものだった。
透谷にとって恋愛は、肉欲ではない。世俗の功利主義を超えた精神の合一であり、魂の救済であり、近代的自我の砦だった。ここには巌本善治らのキリスト教主義、内村鑑三的な霊性、徳富蘇峰的な世俗的功利主義への反発が重なっている。恋愛とは、誰かを好きになることにとどまらない。何によって自分の内面を正当化するかという問題だった。
しかし、言葉が高く飛べば飛ぶほど、地面は冷たく見えてくる。明治民法は一八九八年に「家制度」を法制化した。戸主権、親権、家の継承、妻の従属。そこでは結婚は、二人の内面の合意というより、家と家を結び、家産と秩序を守る制度だった。つまり、明治の恋愛は最初から矛盾のなかに生まれていた。片方では、恋愛は人格の自由である。もう片方では、結婚は家の管理下にある。
この断裂が、近代文学を生んだとも言える。島崎藤村の抒情、国木田独歩の理想と生活の衝突、有島武郎の『或る女』における葉子の破滅。恋愛は、自我の目覚めとして輝く。だがその輝きは、社会のなかで安定した居場所を持たない。恋愛は近代的である。けれど、結末はしばしば前近代の心中へ戻っていく。有島武郎自身が波多野秋子と情死した事件は、恋愛という近代的な言葉が、家制度と世間の壁に突き当たるとき、どれほど古い出口しか持たなかったかを示している。
明治の恋愛は、男女の情ではなく、思想だった。それは「私は誰のものか」という問いだった。親のものか。家のものか。国家のものか。それとも、自分の内面のものか。
第三章 自由恋愛は、自由だけでは終わらなかった
大正期になると、「自由恋愛」という言葉が強く響きはじめる。大正デモクラシー、女性解放、都市文化、女学生文化、少女雑誌、手紙。恋愛は、若い男女の個人的な問題に見えながら、社会のあちこちを揺らす言葉になった。
平塚らいてうは「処女の真価」で、愛のない見合い結婚を「公認の売春」と批判した。かなり強い言葉である。しかし彼女にとって、恋愛結婚とは単なるロマンティックな夢ではなかった。女性が家や親に売り渡されるのではなく、自分の身体と心の主体であるための条件だった。恋愛は、女性が自分を取り戻すための言葉になった。
けれど、自由恋愛は自由だけでは終わらない。与謝野晶子は、経済的自立なき恋愛結婚は、結局女性を新たな従属へ導くと見た。愛があればよい、という話ではない。愛のあと、誰が生活費を払うのか。誰が家事をするのか。誰が子どもを産み、育て、仕事を諦めるのか。恋愛という美しい言葉は、そういう生活の勘定を消してしまうことがある。消えた勘定は、たいてい女性の身体に戻ってくる。
この時期には「貞操論争」も起こる。女性の性的主体性が語られる一方で、「真の恋愛」には純潔が必要だという別の規範も強まる。恋愛は女性に声を与えた。しかし同時に、女性に「霊肉一致」の高潔さを要求した。欲望を語れと言われる。だが語り方を誤ると、たちまち不道徳とされる。自由恋愛は、家の外へ出ようとした。だがその外にも、別の規範が待っていた。
都市にはモダンガールが現れる。カフェーがあり、ダンスホールがあり、女学生文化があり、身体をめぐる新しい感覚が生まれる。恋愛は、家の座敷から街へ出ていく。だが昭和戦前期、戦争体制が強まるにつれて、結婚と出産は国家の人口政策へと組み込まれる。「産めよ増やせよ」の時代に、恋愛はふたたび家庭と母性の規範へ回収されていく。
恋愛は自由の言葉だった。しかし、その自由はいつも、家、国家、性道徳、経済のどこかで引き止められていた。
第四章 戦後、恋愛結婚は「普通」になった
敗戦後、日本の家族制度は法的に大きく書き換えられる。新憲法二十四条は、婚姻が「両性の合意のみに基いて成立」することを明文化し、戦後民法改正によって明治以来の家制度は廃止された。ここで恋愛結婚は、家や親の決定から個人を解放するものとして、大きな正当性を得る。
見合い結婚から恋愛結婚への移行は、戦後日本の親密性を考えるうえで避けて通れない。国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査に基づく整理では、戦前には見合い結婚が七割程度を占めていたが、戦後に一貫して低下し、一九六〇年代後半には恋愛結婚とほぼ逆転する。九〇年代には見合い結婚は一割を割り込み、二〇二一年には約九%にまで落ちている。一方で、近年はネットやSNS、マッチングアプリを通じた出会いが一三%台から一五%程度に達し、見合いを上回る主要な回路になっている。
この変化は、たしかに解放だった。親が決めるのではなく、自分で選ぶ。家のためではなく、二人のために結婚する。それは戦後民主主義の感情的な表現でもあった。
だが、そこにはもう一つの面がある。恋愛結婚は、個人主義の純粋な勝利だったわけではない。それは高度経済成長期に形成された日本型近代家族、つまり男性が企業で働き、女性が家事・育児を担い、郊外の団地やマイホームで核家族を営むというモデルに、情緒的な正当性を与える装置でもあった。落合恵美子が近代家族論で示したように、家内と公共の分離、強い情緒的関係、子ども中心主義、性別役割分業は、戦後の標準家族を支える基本構造だった。
そこに恋愛結婚が入る。すると、性別役割分業は単なる制度的強制ではなく、「好きな人とつくる幸せな家庭」の姿を帯びる。女性が家に入り、男性が会社へ行き、子どもを育て、冷蔵庫と洗濯機とテレビのある生活を整える。その労働の重さは、愛という言葉で包まれる。愛は、制度を柔らかくする。しかし柔らかくなった制度は、ときにいっそう深く身体へ入り込む。
そして見合いの衰退は、別の問題を生んだ。見合い、仲人、職場、地域、親族のお節介は、厄介で古臭く、ときに抑圧的だった。だが同時に、それは婚姻のセーフティネットでもあった。個人の恋愛能力が高くなくても、社会が半ば自動的に結婚を媒介してくれる仕組みだった。その仕組みが消えたあと、結婚の責任は個人に移る。出会えないこと。選ばれないこと。結婚に至らないこと。それらは、社会の構造ではなく、自分の魅力や能力や努力の不足として感じられやすくなる。恋愛結婚は、家から個人を解放した。だが、結婚の重さも個人に移した。
第五章 都市を消費する恋愛から、通信に傷つく恋愛へ
ここから恋愛は、制度だけでなくメディアと市場によって姿を変えていく。戦後の恋愛結婚が「普通」になったあと、恋愛はその普通さを時代ごとに違う衣服で着替えはじめる。八〇年代には都市の光をまとい、九〇年代には通信の不在を抱える。恋愛は同じ言葉で呼ばれているが、そこに流れている時間は変わっていく。
一九八〇年代――恋愛は都市を消費する儀礼になった
一九七〇年代から八〇年代にかけて、恋愛は若者文化の中心的なイベントへと大衆化していく。大学進学率の上昇、都市化、消費社会の拡大。『an・an』『non-no』『POPEYE』『Hot-Dog PRESS』のような雑誌は、恋愛を精神の深奥から引きずり出し、デートの行き先、服装、会話、プレゼント、クリスマスの過ごし方へと翻訳した。
恋愛は、どう感じるかだけではなく、どう演出するかの問題になった。どこで食事をするか。何を着るか。車でどこへ行くか。ホテルはどこか。何を贈るか。クリスマス・イブをどのように過ごすか。恋愛とは、都市を正しく使いこなす技術だった。
バブル期、この傾向は極まる。松任谷由実や山下達郎の楽曲、ホイチョイ・プロダクションズ的な映画、トレンディドラマが描く都市的ロマンスは、恋愛を洗練された消費の儀礼にした。赤坂プリンスホテル、高級フレンチ、ティファニーのオープンハート、外車、夜景。こうした記号は、誰かを好きになる感情の外側にありながら、いつのまにかその感情の真正性を支えるものになった。
これは単なる浮かれた時代の話ではない。恋愛は、階層の表現でもあった。いわゆる「三高」、高学歴・高収入・高身長という言葉に表れているように、結婚相手は愛の対象であると同時に、社会的地位の記号だった。恋愛は自由な選択のように見えながら、そこには所得、職業、学歴、服装、店を選ぶセンスが深く入り込んでいた。一九八〇年代の恋愛は、誰かを好きになることだけではない。都市を正しく消費できる人間になることでもあった。
一九九〇年代――恋愛は、つながらなさの痛みになった
バブルが崩壊すると、恋愛の風景は少し陰る。社会には長いデフレと雇用不安が広がり、若者文化は、華やかな上昇よりも、いまここで心地よく生き延びる感覚へと傾いていく。宮台真司が女子高生文化や援助交際を論じるなかで語った「まったり革命」は、結婚へ向かう直線的なロマンティック・ラブから、いまの島宇宙的な快適さへ退却する感覚を捉えていた。
この時代、恋愛の質を大きく変えたのは通信メディアだった。ポケベル、PHS、携帯電話、キャリアメール。親の目を避け、家の電話を通さず、相手と直接つながることができる。これは親密性の革命だった。夜、部屋の中で、家族の気配から少し離れて、短い数字や文字を受け取る。恋愛は、家の外に逃げるのではなく、ポケットの中に入った。
しかし、つながる技術は、つながらなさの痛みを濃くする。返事が来ない。着信がない。ベルが鳴らない。メールが短い。つながれるはずなのに、つながらない。その不在は、かつての平安貴族が夜を待った不在とは違う。相手はどこかにいる。機械もある。連絡もできる。だからこそ、連絡が来ないことに意味が生まれてしまう。
J-POPや月9ドラマは、この感覚を情緒の言葉にした。DREAMS COME TRUE、Mr.Children、スピッツ、宇多田ヒカル。そこには、つながりたいのにつながれない、傷つきたくないのに傷ついてしまう、純愛と孤独が近くにある。『東京ラブストーリー』のようなドラマは、都市の中で恋愛することの軽さと切なさを同時に映した。
同時に、援助交際やブルセラ、ギャル文化は、恋愛、性、消費、身体の関係を大きく揺らした。純愛の物語が流通する一方で、性は商品化され、身体はメディア化される。この二つは矛盾しているようで、実は同じ時代の表裏だった。人は純粋な愛を求めながら、同時に身体や承認や金銭の回路から逃れられない。一九九〇年代の恋愛は、つながる技術によって、つながらなさをより深く感じる時代だった。
第六章 市場になった恋愛と、記録される親密性
二〇〇〇年代以降、恋愛はさらに乾いた言葉で語られるようになる。市場、スペック、モテ、非モテ、婚活、草食系男子、負け犬。九〇年代の恋愛が「つながらなさ」に傷ついていたとすれば、二〇〇〇年代の恋愛は「評価されること」に疲れていく。
二〇〇〇年代――恋愛は市場になった
就職氷河期、非正規雇用、格差社会。山田昌弘は「パラサイト・シングル」や「希望格差社会」を論じ、白河桃子とともに「婚活」という言葉を広めた。婚活とは、結婚活動である。ここには、恋愛や結婚が、自然に訪れるものではなく、努力して獲得しなければならないタスクになったことが端的に表れている。就職活動のように、自分を市場へ出し、評価され、選ばれる。履歴書のかわりにプロフィールがあり、面接のかわりにデートがあり、内定のかわりに交際や結婚がある。
恋愛市場では、年収、職業、外見、コミュニケーション能力、趣味、清潔感、学歴、家族背景が見えない値札になる。もちろん、人は完全に商品ではない。だが商品ではないと言いながら、互いに値踏みしている。そこで選ばれないことは、単なる縁のなさではなく、自分の価値の低さとして経験される。
インターネット掲示板やブログ、mixi、初期SNSは、非モテ論やオタク文化、男性の恋愛不安を可視化した。『電車男』のような物語は、コミュニケーションが苦手な男性が恋愛市場へ参加するための幻想と希望を与えた。一方で、恋愛から排除されているという感覚は、自己否定やミソジニーの温床にもなっていく。ここで重要なのは、恋愛が冷めたのではないということだ。むしろ恋愛は、社会的にますます重要な審査になった。恋愛できることは、魅力があること、コミュニケーション能力があること、市場価値があることの証明になる。恋愛できないことは、その逆のように感じられる。二〇〇〇年代の恋愛は、感情を市場価値に変えた。
二〇一〇年代――恋愛は、スクリーンの上に記録された
二〇一〇年代、恋愛はスマートフォンの画面に入った。LINE、Twitter、Instagram、Facebook、YouTube、恋愛リアリティ番組、マッチングアプリ。恋愛は二人の関係であると同時に、見られ、記録され、比較され、晒される関係になった。
LINEの既読は、小さな文字でありながら、大きな圧力を持つ。読んだのに返さない。読んでいないふりをする。返すまでの時間で温度を測られる。かつて手紙には待つ時間があった。メールにも少しはあった。だが既読は、その時間を細かく刻む。沈黙が、単なる沈黙ではなく、計測可能な沈黙になる。
Instagramでは、恋愛は見せるものになる。カップル投稿、記念日投稿、匂わせ、旅行、ホテル、食事、指輪。親密性は秘密であると同時に、公開される。公開されなければ、不安になる。公開されすぎれば、また別の不安を呼ぶ。恋愛は、二人だけの関係であるはずなのに、観客席がどこかに設けられている。客席は暗い。だが誰かが見ている。
マッチングアプリは、出会いの回路を劇的に変えた。Tinder、Pairs、Omiai、with。国立社会保障・人口問題研究所の二〇二一年調査でも、夫婦の出会いのきっかけとしてネットやSNS、マッチングアプリが急増し、見合いを上回る水準に達している。これは出会いの民主化でもある。地域や職場や学校に閉じ込められず、広い範囲から相手を探せる。
しかし、選択肢が増えることは、かならずしも自由を軽くするわけではない。むしろ人は、選択肢が増えるほど選べなくなる。他者はスワイプされ、プロフィール化され、写真と短い文章で判断される。自分もまたそう判断される。出会いは増える。だがそのぶん、代替可能性も増える。誰かを選ぶとは、無数の別の誰かを捨てることになる。二〇一〇年代の恋愛は、二人だけの秘密を、保存可能な記録にした。スクリーンショットされ、転送され、比較され、後から掘り返される。恋愛は記憶である前に、データになった。
第七章 二〇二〇年代――恋愛離れではなく、親密性の再配置
二〇二〇年代の日本では、未婚化、晩婚化、少子化がさらに深まっている。出生動向基本調査では、十八歳から三十四歳の未婚者のうち「いずれ結婚するつもり」と答える割合は、男性八一・四%、女性八四・三%へ低下している。さらに、異性の交際相手を持たない未婚者は、男性七二・二%、女性六四・二%に達する。未婚男女の約七割に交際相手がいない。そしてそのなかには、交際そのものを望まない人も少なくない。
これを「若者の恋愛離れ」と言ってしまえば簡単である。簡単な言葉は、たいてい何かを隠す。恋愛から離れているのは、情緒が乏しくなったからではない。欲望が消えたからでもない。そこには、三十年に及ぶ賃金停滞、住宅コスト、雇用不安、家事・育児・ケアの不均等な負担、ジェンダー平等の遅れ、ハラスメントやモラハラへの警戒、アプリで値踏みされる疲労が重なっている。恋愛は、楽しいものというより、高コストで高リスクな投資対象になっている。
傷つくかもしれない。値踏みされるかもしれない。時間を取られるかもしれない。金がかかるかもしれない。結婚したら家事や育児の負担が偏るかもしれない。別れたらSNSに痕跡が残るかもしれない。そもそも、そこまでして恋愛する必要があるのか。そう問うことは、冷淡さではない。生存戦略である。
その空白を埋めるように、推し活、ソロ活、友情結婚、選択的非婚、Aセクシュアル、アロマンティックといった言葉が見えやすくなっている。推し活は、恋愛の代替品と片づけるには粗い。そこには、非対称ではあるが安全な親密性がある。裏切られにくく、生活を侵食しにくく、自分のペースで距離を取れる。ソロ活も、孤独の敗北ではない。一人でいることを、欠落ではなく形式として整える試みである。友情結婚は、性愛を必須としない生活共同の形を模索する。Aセクシュアルやアロマンティックの可視化は、恋愛と性を人間の標準装備のように扱ってきた社会に、静かな異議を差し出している。
ここで起きているのは、恋愛の終わりではない。恋愛に背負わせすぎたものが、ほどけているのだ。恋愛、結婚、性、生殖、共同生活、承認、生活保障、自己実現。戦後日本のロマンティック・ラブ体制は、これらを一つのパッケージにしてきた。好きな人と結婚し、性を持ち、子どもを持ち、家族をつくり、生活を支え合い、自己実現もする。あまりに多い。どれか一つでも大変なのに、全部を一人の相手と一つの制度に背負わせるのは、考えてみればずいぶん無理がある。
つまり恋愛離れとは、愛の消滅を意味しない。上述の通り、恋愛に背負わせすぎたものが、少しずつ別の場所へ移っているということだ。この現象は、「恋愛観の変化」というより「親密性の再配置」と呼んだほうが、現実に近い。
終章 日本人にとって恋愛とは何だったのか
日本人は恋を知らなかったのではなかった。明治以前から、恋は歌われ、色は遊ばれ、情は人を制度の外へ押し出し、義理と人情は物語を死へ向かわせた。そこへ明治以降、「恋愛」という近代の言葉が入ってきた。
この言葉は、最初から少し重かった。そこには、個人の内面、人格、結婚の自由、家制度への抵抗、キリスト教的霊性、女性解放、性道徳、近代文学の自我が入っていた。北村透谷が「人世の秘鑰」と呼んだとき、恋愛は単なる男女関係ではなく、人生の意味を開く鍵だった。
戦後になると、恋愛結婚は普通になる。普通になるとは、怖いことである。特別な思想だったものが、誰もが当然に通るべき道になる。恋愛結婚は家から個人を解放した。だが、結婚の責任も個人に移した。見合いが衰退すると、出会えないこと、選ばれないこと、結婚できないことは、本人の魅力や努力の問題として感じられやすくなった。
その後の半世紀、恋愛は何度も姿を変えた。一九八〇年代には、都市を消費する作法になった。一九九〇年代には、つながらなさの痛みになった。二〇〇〇年代には、市場価値の言葉になった。二〇一〇年代には、記録され、比較され、晒される親密性になった。二〇二〇年代には、人生の中心から降りつつ、それでもなお人を傷つける規範として残っている。
恋愛は、日本人を自由にした。けれど同時に、選ばれない不安を個人の内面に植えつけた。だから、現代日本で起きているのは恋愛の終わりではない。恋愛に背負わせていたものが、少しずつほどけているのである。恋愛は消えない。たぶん消えない。人はこれからも誰かを好きになり、待ち、嫉妬し、失い、忘れたふりをするだろう。ただ、その感情に結婚も性も承認も生活保障も人生の正解もすべて背負わせる時代は、少しずつ終わりに近づいているのかもしれない。(了)
主要参考文献・出典一覧
国立社会保障・人口問題研究所『出生動向基本調査』
落合恵美子『21世紀家族へ』
山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』
山田昌弘・白河桃子『婚活時代』
上野千鶴子の家族・ジェンダー研究
牟田和恵の家族社会学・ジェンダー研究
北村透谷「厭世詩家と女性」
平塚らいてう「処女の真価」
与謝野晶子「女子の徹底した独立」
宮台真司の一九九〇年代若者文化・援助交際論
見田宗介の戦後日本社会論
吉見俊哉のメディア文化論・都市論
Anthony Giddens, The Transformation of Intimacy
Eva Illouz, Consuming the Romantic Utopia / Cold Intimacies
Zygmunt Bauman, Liquid Love
Arlie Russell Hochschild, The Managed Heart
Viviana A. Zelizer, The Purchase of Intimacy
