深層へ向かう道
胸の奥の痛みは、歩くたびに静かに波紋のようにゆっくりと広がっていく。
宿屋を出て、深層の記録庫へ向かう道を進む私の足取りは、
地に足がついてない感じがして、どこか宙に浮いてるような感覚だった。
「ニカさん……無理はしないでくださいね」
ルミエラがしっかりと手を繋いでいてくれる。
その温もりが、かろうじて私を現実に繋ぎ止めていた。
ネリアお姉様は前を歩きながら、
時折こちらを振り返る。
「……揺らぎが強くなっています。
記録庫に近づくほど、深層が反応しているようですね」
胸の奥が、また脈打つ。
(……返して……)
耳の奥をかすめるような声。
ほんの一瞬なのに、心臓を掴まれたような感覚が残る。
静かに現れた影
空気が、ふっと周囲を飲み込み、沈んだ……
まるで世界が一瞬だけ呼吸を止めたような、
静かな圧が辺りに満ちていく。
ネリアお姉様が立ち止まる。
「……これは……深層の気配を感じます……」
その視線の先に──
淡い光をまとった長身の女性が、静かに佇んでいた。
170cmほどのすらりとした艶めかしい体躯。
深層の光を受けて黒髪がゆるやかに揺れる。
夜の底をすくい取ったような艶やかさで、
光粒が触れるたびに淡い輝きを返していた。
肌は白く、どこか透明感がある。
深層の静寂そのものが人の形を取ったような、
凛とした美しさ。
そして──
その瞳だけは、深層の奥底を覗き込むように静かで、
すべてを見透かす観測者の光を宿していた。
「……ニカはん……やな?」
柔らかく、ゆっくりとした落ち着いた声。
語尾にほんのりと優しい余韻が残る。
女性は静かに私たちへ歩み寄り、
深層の光を映した瞳で、じっと、私を見つめた。
「……やっぱり、揺らいではるみたいやね」
胸の奥が脈打つ。
光粒が服の下で明滅する。
導かれた理由
女性は私の反応を見て、
ゆっくりと息を吸った。
「ニカはん。
ここへ来はったんは、偶然やあらしまへん。
……導かれてしもうたんどす」
「……導かれ……?」
私が息を切らしながら問い返すと、
女性はゆっくりと、静かに頷いた。
「深層の主様が、ニカはんを呼んではる。
その“欠片”を返してほしゅうて……ね」
胸の奥がまた強く脈打つ。
(……返して……)
声が、はっきりと響いた。
女性はその声を聞いたかのように、
記録庫の扉へ視線を向ける。
「……ほな、確かめに行こか。
ニカはんの中にある“それ”が、
何を求めてはるのか」
そこで初めて、女性は静かに名乗った。
「うちはリミラ。
深層の記録を見守る者どす」
記録庫の内部
リミラは、ゆっくりと扉へ手を伸ばす。
扉に触れた瞬間、彼女の手から淡い光が波紋のように広がり、
重厚な扉が静かに音も立てずにゆっくりと開いた。
中は、しんと静まり返り、静寂そのものだった。
音が吸い込まれるような空間。
無数の光粒が、ゆっくりと漂っている。
それはまるで、夜空を閉じ込めたような光景だった。
「……ここが、深層の記録庫……」
思わず息を呑む。
胸の奥が、また脈打つ。
光粒が呼応するように、強く明滅する。
(……返して……)
今度は、胸の奥に直接響くような声。
“欠片”の正体
「ニカさん!」
ルミエラが慌てて支える。
ネリアお姉様もすぐに駆け寄った。
「……反応が強すぎます。
記録庫の光が、ニカさんの中の“それ”を刺激しているのではないですか?……」
ネリアお姉様の言葉に、リミラは静かに首を振る。
「刺激やあらしまへん。
……呼び合うてるんどす。
ニカはんの中にある“欠片”と、
ここに眠る深層の記録が」
胸の奥が、さらに強く脈打つ。
「……欠片……?」
私がかすれた声で問うと、
リミラはゆっくりと私を見る。
「深層の主様の……ほんの小さな、小さな一部どす。
それが、ニカはんの中に宿ってしもうた」
ルミエラが息を呑む。
ネリアお姉様の表情がわずかに揺れた。
「……だから“返して”と……?」
リミラは静かに頷く。
「えぇ。そうどす。
主様は目ぇ覚ましはる前に、
自分の欠片を全て取り戻したいんどすなぁ……」
深層の主様
その瞬間──
記録庫の奥から、低く重たい振動が響く。
空気が震え、光粒がざわめくように揺れた。
胸の奥が、強く、激しく脈打つ。
(……返して……
……かえ……し……て……)
声が、はっきりと形を持ち始める。
膝が崩れ、倒れそうになる私を、ルミエラが必死に支えてくれる。
かろうじてそこに立てているかどうかも怪しい。
リミラは記録庫の奥を見つめたまま、
静かに言った。
「……時間があらしまへんな。
深層の主様が、もうすぐ目ぇ覚ましはるみたいや」
ネリアお姉様が息を呑む音が聞こえた気がした。
リミラが振り返り、
まっすぐに私を見つめる。
「ニカはん。
覚悟、決めてもらわなあきまへんえ」
胸の光粒が、
強く、強く明滅した。