嫌いならやらなくてOK👍結果…娘は勉強嫌いのナマケモノへ🦥
娘には「嫌いな食べ物は食べなくていい」という方針で育てた。なぜなら、パパが子どもの頃、嫌いなものを無理やり食べさせられる地獄を知っていたからである。
あれは食育ではない。もはや口の中で行われる修行である。
だから娘には「嫌いなら無理して食べなくていい」と育てた。すると、娘はわりと何でも食べる子に育った。無理強いされない安心感があったのか、単に食い意地が張っていたのか。ただ、結果を見れば食育は成功だった。
そこでパパはチョけた。
「嫌いなことは、無理にやらせなくていい」
この方針を、食べ物以外にも広げてしまった。なかなか大胆な教育方針である。教育評論家に聞かせたら、眉間にシワを寄せられるだろう。
ある日、娘が「勉強きらい」と言った。
「なら、やらんでOK」
結果論で言えば失敗した。食育で得た成功体験が悪い方向に発動したのだ。食べ物なら、嫌いでも生きていける。たとえピーマンを食べなくても人生は終わらない。
しかし勉強は違った。宿題を残すと先生から連絡が来る。ドリルを開かなければ、サラのまま学期が終わる。塾に行かせても、本人にやる気がなければ、ただお金が美しく消えていくだけである。
食べ物の「嫌い」は、個性で済むが、勉強の「嫌い」は、放っておくとただのナマケモノになる。
もちろん、無理やり机に向かわせたところで賢くなる保証はないし、怒鳴っても、成績は上がらない。せいぜい親子の空気が悪くなるだけだ。
それなら「愛嬌さえあればええか」の気分でいた。しかし、テスト用紙は愛嬌では埋まらない。
娘は、食べ物に関してはずいぶん伸びたが、勉強に関しては、見事に伸びなかった。まるで家庭菜園で、トマトは育ったのに、隣に植えたバジルは一切芽が出なかったような感じである。
それでも、嫌いなことを嫌いと言えるのは、悪いことではない。無理に好きなふりをするより、よほど健全である。
ただし、嫌いだからといって全部放置していいわけでもない。そこをパパは盛大に取り違えた。
人生の宿題は、残しまくりである。
……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨
🔗 前章はこちら:娘への食育🍚
🌀 シリーズ序章:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥
