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親は偏食…娘は偏食ゼロ!?|“無理に食べさせない”子どもへの食育🍽️

子どもの偏食を心配する親は多い。

栄養がどうとか、将来困るとか、一口だけでも食べなさいとか、食卓には小さな正論がよく並ぶ。

けれど、娘に嫌いなものを無理して食べさせる気はまったく起きなかった。なぜなら、パパ自身が給食でしっかり食べ物を嫌いになったからである。

子どもの頃、給食は残してはいけないものだった。食べられないものを前にして、昼休みもなく、机の上の皿とにらめっこする。

先生は「食べなさい」と言うが「無理です」と体で訴える。最終的には、無理やり口に入れられ、ゲロして終わる。あれで好き嫌いが治るなら、なかなかの根性論である。

私に残ったのは栄養ではなく、「嫌いなものを強制されるトラウマ」だった。

だから娘が生まれた時、偉そうな食育はしないと決めていた。

嫌いなら残していい。
無理に食べなくていい。
食卓を修行場にしない。

親が偏食なのに、子どもに向かって「好き嫌いするな」と言うのも、なかなか厚かましい話である。

娘が「これ嫌い」と言えば「パパも嫌い」と返した。娘が「一口もイヤ」と言えば、「ほな食べんでええ」と言った。教育熱心な人が見たら眉をひそめそうだが、我が家の食卓は平和だった。

不思議なことに、娘はなんでも食べる子になった。野菜も食べる。魚も食べる。炊き込みご飯も好きだし、外食ではパパより彩りのあるものを選ぶ。

無理に食べさせなかった結果、食べ物への好奇心が勝手に育ったらしい。親の偏食を反面教師にしたのかもしれない。だとしたら、パパの好き嫌いにもようやく使い道があったことになる。

食育とは、嫌いなものを克服させることではない。食べる時間を嫌いにさせないことも大事である。私の給食の記憶は、いまだに美味しくない。だからこそ娘には、食事くらい安心していてほしかった。

ただ一つ問題がある。

妻が料理をしないので、娘はいわゆる「お袋の味」が存在しない。代わりにあるのは、パパの適当な味である。

偏食のパパが作ったご飯で、なんでも食べる娘が育った。食育とは、案外雑なものなのかもしれん。

……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨

🔗 前章はこちら:食わず嫌い🍚
🌀 シリーズ序章:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥

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