話を遮りそうになったら“飲み込む”だけで家庭は平和になったが、関西人としてのアイデンティティは失われた🫢
人の話を最後まで聞くというのは、簡単そうに見えてなかなか難しい。
先日、noteのフォロワーさんの記事を読んでいたら、心当たりが多すぎて笑ってしまった。そこには会話の改善策がいくつか書かれていて、その中に「相手の話を遮りそうになったら、一度飲み込む」というものがあった。
相槌を増やすとか、質問を返すとか、話を整理するとか、そういう高度な技は私には向いていない。だが、飲み込むだけならできそうである。食べ物でもない言葉を飲み込むというのも妙な話だが、ワンアクションで済むなら試す価値はある。
さっそく妻の話で実践してみた。
妻の会話は、主語が消え、時系列が入れ替わり、途中から登場人物が増える。聞いているうちに、まるで途中参加した海外ドラマのシーズン4を字幕なしで見ている気分になる。
妻が「聞いて、今日あそこでさ」と言ったとき、心の中で叫んだ。
“あそこってどこや!?”
だが、ここで遮ってはいけない。その疑問を飲み込んだ。
すると次の疑問が生まれた。
あの人って誰や。
いつの話や。
それは怒ってる話なんか、笑う話なんか。疑問は飲み込めば消えると思っていたが、実際には胃の中で増殖した。結局、話の内容はよく分からなかったけど、途中で口を挟まなかったおかげで「聞いてないやろ」とは言われなかった。
これはもう成功と言っていい。内容を覚えていないことについては、この際、触れないでおく。
娘にも試してみた。
娘が「ママがさ、今日さ」と話し始めたので、反射的にツッコミを入れそうになった。しかし、ここでも飲み込んだ。すると娘が不思議そうな顔をして、「なんで黙ってるん?」と言った。
「飲み込んだら、言うつもりやったこと忘れた」と答えたら、娘は冷静に「なんでやねん」と返してきた。
ツッコミを封印したはずなのに、娘からツッコミが飛んできた。関西人の血は恐ろしい。黙っていても、結局どこかでツッコミが発生する。
話を遮らない努力は、思っていたより難しい。言葉を飲み込むと、会話は平和になる。しかし飲み込んだ言葉は戻ってこない。あとで思い出そうとしても、どこかへ消えている。
それでも、怒られる回数が減るなら悪くない。相手の話を遮らないというのは、思いやりというより、家庭内トラブルを減らす防災訓練に近いのからである。。
ただ問題は、ツッコミを飲み込み続けた関西人は、そのうち何者になるのかということだ。
無口な関西人。
それはもう、ただの体調不良である。
……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨

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