給湯器を消しただけなのに|突然変わった家族ルール
“家庭内ルール”のルールブックを書いているのは妻である。パパに拒否権はない。従わなければ「なんで?」と聞かれ、従っても突然ルールが変更される。
スポーツなら試合中止レベルのルール改定だが、家庭では普通に続行されるから恐ろしい。
我が家にも長年続いていたルールがあった。お風呂から上がったら、給湯器のスイッチを切る。これはもう“考えてやっている行動”ではない。歯磨きのあと口をゆすぐくらい自然な流れで、風呂から出た手でそのまま「ピッ」と消す。
昔住んでいた家では光熱費を私が払っていた。「使ってないものは消す」。大阪人として育ったせいか、この精神は身体へ染みついている。使ってもいない給湯器が光っていると敗北感があった。とにかく負けた気がするのである。
ところが、ある日突然ルールが変わった。
「私が使う予定がある時は、給湯器を消さないで」
妻が言うには、洗い物でお湯を使うかららしい。さらに歯磨きの時に冷たい水が嫌なのだという。だが問題はその次の一言だった。
「私が使わないときは、ちゃんと消して」
難易度が急上昇した。
「風呂上がり=消す」という単純なルールではなく、「妻が在宅しているか」「洗い物が残っているか」「今後お湯を使う予定があるか」を総合判断しろという話になったのである。
給湯器ひとつに求められる状況判断能力ではない。
しかも怖いのは、どちらを選んでも怒られる可能性があることだ。
いつものように消せば、「なんで消したの💢」となる。かといって意識して消さなければ、「つけっぱなし💢」となる。
給湯器のスイッチひとつで詰みである。
その頃から、風呂上がりに給湯器の前で一瞬止まるようになった。「今日は消していい日か?」と考える。だが、そんな高度な判断を毎日できるほど、器用にできていない。
結局どうなったかというと、何も分からなくなった。ルーティンは一度壊れると脆い。怒られることで賢くなるとは限らないのである。
最後には妻も面倒になったのか、「もう前と同じでいい」とルールは戻った。ただ、“風呂上がりに消す習慣”が戻ることはなかった。
あれほど身体に染みついていたはずなのに、習慣とは案外あっさり壊れるものらしい。
給湯器のスイッチを消しただけなのに。

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