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ケチか節約かは請求書の宛名次第🧾|光熱費で入れ替わった夫婦の価値観🤫

私は大阪生まれである。だから「ケチ」と言われても、まぁ褒め言葉として受け取れる。

ところが同じ行動でも、人によっては「節約家」と呼ばれたり「ケチくさい」と切り捨てられたりするから、評価というものは実にあてにならない。

前の家では、光熱費を払っていたのは私だった。だから当然、冷房を下げすぎれば気になったし、暖房をつけっぱなしにされれば胸の奥がざわついた。

「ちょっと寒すぎへん?」「暖房いる?」と声をかけるたび、妻から返ってくる言葉は決まっていた。

「ケチくさっ」

ひどい話である。地球にも財布にも優しくしているつもりなのに、家庭内ではただの小うるさい男として処理されていた。冷房二十二度、暖房二十八度。沖縄の家はまるで避暑地と南国リゾートを行き来しているようだったが、その請求書は毎月きっちり私のところへやってきた。

ところが上京してから、光熱費の担当が妻に変わった。すると冷房は二十八度まで上がり、暖房は二十二度まで下がったのである。

人はこんなにも変わるのか。あれほど「ケチ」と言っていた妻が、今ではリモコンに触ろうとする私を鋭く見張っている。

「電気代高いから、これ以上下げないで」

心の中で、あの頃の「ケチくさっ」をそっと取り出した。なんなら額に入れてリビングに飾りたいくらいである。

風呂も同じだ。前の家にはガス乾燥機があり、ガス代は当たり前のように一万円を超えていた。今の家では半額以下になったにもかかわらず、追い焚きは一回までという厳しい法律が制定された。

妻が三、四十分入り、娘が三、四十分入り、さらに洗面所でドライヤーを使う。そのあと私が入る頃には、風呂は「元お湯」である。湯船というより、ぬるい記憶でしかない。

結局、ケチと節約の違いは、誰が払っているか。誰の財布が痛むか。そこが変わると、同じ行動でも呼び名が変わる。

私が言えばケチ。妻が言えば節約。光熱費とは、価値観を数字で殴ってくる恐ろしい紙である。

今は私が払っていない。それでもつい、使っていない電気を消してしまう。大阪人としての節約魂なのか、かつて請求書に育てられた後遺症なのかはわからない。

ただひとつ言えるのは、ケチか節約かは、『請求書の宛名』で決まるということだ。

🔗 前章はこちら:第31章|ルールブックは妻👩
🌀 シリーズ序章はこちら:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥

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