「刺さる」って褒め言葉?|チクっとする言い回しが苦手な理由
「刺さる」という表現が苦手だ。
「この記事、刺さりました」
「この言葉、刺さる人多いと思います」
褒め言葉として使われているのは、文脈からもわかるし本来なら喜ぶべきだろう。けれど、浮かぶのは感動ではなく針である。心に届いたというより、心臓の横あたりをチクリとやられた気分になる。
「刺さる」という言葉の、もともとの痛みが抜けていないからだ。
小骨が喉に刺さる。
トゲが指に刺さる。
妻の正論が胸に刺さる。
どれもまあまあ痛い。少なくとも笑顔で受け取りたいものではない。それなのに世間では、この痛そうな言葉がやたらと華やかな顔をして使われている。
「絶対刺さる名言」
「刺さる人続出」
「これ、刺さらない人いる?」
心の防御力を無視して飛んでくる。「いや、まず刺す前提で来るなや!」と言いたい。絹ごし豆腐くらいの強度しかない日だってあるわけだし。
「響く」ではいけないのか。
「届く」では足りないのか。
言葉が胸に届いたなら、それで十分ちゃう?わざわざ刃物を持ち出さなくても、感動は伝えられるはずである。
もっとも、正しい意味で使われる、痛い時の「刺さる」は、どんどん使って欲しい。
妻に「前も言ったよね」と言われた時などは、実に見事に刺さっている。しかも一撃では終わらない。過去の失敗まで丁寧に串刺しにされる。
これこそ、正しい「刺さる」の使い方だ。
名言集など読まなくても、家庭内には十分すぎるほどの鋭利な言葉が転がっている。だから褒める時くらいは、もう少し丸い言葉を使いたい。
「よかった」
「響いた」
「届いた」
そのくらいでいい。人の心は、わざわざ刺さなくても動く。
ちなみに関西では、蚊に刺されたとは言わない。蚊に噛まれたと言う。あれはきっと、刺されるより噛まれた方が笑えるからだ。
言葉も同じである。
どうせなら、チクリと刺されるより、響かせて欲しい。

言葉のプロ?まで「刺さる」を使う時代😑
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🌀 シリーズ序章:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥
